由貴 その(1)
室内の暗さは陰謀の後ろめたさを孕んでいるのが理由だろうか。
いずれ実行者となる当人たちの意識は別として、企図した者は、あからさまにできることではないと判断したことは間違いない。
だだっ広いコンクリートの床、それを囲む壁には手すりと椅子代わりの足場が並び、見下ろす形でコンクリートが一望できる。
飛坂由貴は、照明が二つしかないこの空間で、同胞であり少しばかり年長の竜岡栄一と手合わせを行っていた。
実戦ではない以上、用いているのは刃の部分が木でできた槍や刀だ。しかし、栄一と由貴の実力には大差がないので、手合わせはお互い全力を尽くす激しいものとなる。“可能種”の筋力が全開で振るわれればただでは済まない、稽古であろうと命の危険は伴う。
由貴は、その過程で“可能種”としての自分の力量が確実に向上していることを実感していた。切っ先が頬を掠めるたび、判断ミスで退路を断たれるたび、体の動かし方、次に走るべき場所が頭の中に流れ込んでくる。鈍器を振り回す毎日が彼の心身を鍛え上げている。
彼らがこの場所で訓練を初めてもう二十年は経つ。当主直々の指名で親元を離れてからずっと、来る日も来る日も特別な訓練に明け暮れた。
同年代よりも過酷な日々に身を置いていると自覚しているが、苦ではなかった。最終的な目標の性質からして、達成すれば由貴たちが功労者として扱われることは間違いない。何十年と続く特権のためなら、十代の若さを費やすとしても収支は釣り合うと思える。
猛々しい野心とそれを支える真っすぐさを持った瞳で、由貴と栄一は武器をぶつけ合う。
その自主訓練を中止せざるを得なかったのは、湯田徳四郎が訓練場に顔を見せたからだ。
「おっ、お二人さん」
声が聞こえると栄一が小さく舌打ちをする。二人は揃って湯田に頭を下げ挨拶をした。
「偉いね、ほんと、いっつも自主練しててよぉ」
品がなければ覇気もないという湯田に対する栄一の人物評は、その緩み切った顔を見るとそう的外れでもない気がしてくる。
仮にも部隊の副隊長を務める男と思えば、出会った当初は賛辞にも一々喜んでいた。しかし、家格だけで選ばれたという評価を下したあとでは、時間を取られるのは鬱陶しいだけだ。
「まだまだ若輩者ですから、遊んでいる時間はありませんので」
早々に会話を切り上げる答えをして再び武器を構える。栄一も同様に刀を両手で握りしめた。そうして二人が向かい合っているにも関わらず、湯田はまだ近くに立っていた。
「ああ、それが駄目なんだよ。菊之丞さんからみんな集まれって命令がきてね、片付けしたら二人も第一に行ってくれ」
言い終えて去る湯田の背中に、先にそれを言え、と不満をぶつける。
「何が偉いねぇだ、無駄飯ぐらいの役立たずが。俺が出世したら真っ先にあいつを降格させてやる」
人一倍向上心の強い栄一は、戦果も無しに決められた上下関係、そしてそれを納得させるだけの実力を見せない湯田に強い反感を持っている。
由貴も湯田を好きにはなれないが、栄一ほど激しい感情は持っていない。湯田にも鈍感さの裏返しである大らかなところがあり、そこは嫌いではないのだ。
この年上で面倒見のいい親戚は、不満を覚えているとき、その原因に対して、実情と比して過剰な反抗心を抱く悪癖がある。
「話というのは何でしょうね」
結局由貴は、栄一には同調しないことにし、その関心の矛先を変えることを試みた。
「さあ、集められているのが全員なら、よほどの大ごとだろうけど…」
もしや、という期待が二人の口を重くする。第一講堂に移動する間、それぞれがそれぞれの、せめぎ合う不安と希望の形勢を見つめていた。
数十人は軽く収まる第一会議室に、由貴と栄一以外の隊員たちは既に集まっていた。
「遅れました、申し訳ありません」
栄一の言葉に、部隊長の浅木は軽く頷いて着席を促す。
二人の部隊長にその補佐役の副隊長、各部隊四人ずつの隊員たち、その全員に指示を下す連隊長、伊田菊之丞が、最前にある壇に立っていた。
日頃姿を見せることの少ない上司の顔に、由貴は体の奥から引き締まるのを感じた。
全員が着席したことを確かめると、菊之丞は厳かな声で告げた。
「六月中に作戦を決行する」
驚きと喜びの混じった叫びが上がる。由貴は机の下で震える拳を握っていた。
菊之丞は場が落ち着くまで待ち、淡々と続けた。
「今次作戦の重要性は諸君こそ身をもって知る所だろうが、当主からも激励の言葉をいただいている、期待している、とな」
芯から生じた痺れが手足の先まで広がる。
期待をされているのだ、自分たちは。
全員が陶然とした視線を菊之丞に向ける。
「応えられるかは全員のはたらきにかかっている。自分たちが伊那の中枢機能となる存在だと自覚し、各々の責務を全うすることを望む、以上だ」
部隊長の号令の下、退室する菊之丞へ全員が立ち上がり礼をする。
誰の顔を見ても、ようやく訪れた瞬間への高揚を滲ませている。自分自身、心身を包む熱に身を任せ、その端を見せた栄達への梯子に視線を送っていた。