鴎 その(1)
どれだけ遠くからでも、彼女だとすぐにわかった。
学校からの帰り道で六城結を見つけた里見鴎は、走り出そうとする気持ちを力づくで押さえて、彼女の方へ歩き出した。
小走り未満だが、確実にたどり着く速度で。
ベンチに座る結の視線の先には、夕日を乱反射する川があった。ガラス細工に似た輝きに照らされる横顔は、ここ最近で随分大人びたという感想を思い出させた。
心も体も少年の域から出ないと自分を認識している鴎は、声を掛ける前に立ち止まってしまった。
それでも、気配に気づいた髪が揺れ、黒々とした瞳がその姿を見つける。
「鴎くん」
結は少し首を傾げながら、微笑んだ。それを見た瞬間に、心拍数が異常値を叩きだす。もっとも、その光景が暴走した脳に影響を受けたものではないと、鴎は言い切れなかった。
こちらが何か口にする前から、結は座っていた場所をずらすと一人分空けた。鴎は、いいのだろうか、とどぎまぎしながら隣に座る。
暦は五月を迎え、季節は眠っていた春がまどろみから覚めたころだった。夕方を迎えても、背中を過ぎる風に冷たさはない。
二年生に進級してからというもの、鴎はあまり結と話す機会がなかった。鴎は文系クラスを選択し、結は理系クラスを選択したからだ。クラスが変わってしまえば、間には友情と書かれた橋しか架けられていないのだから、交流は自然と少なくなる。
その結果、去年の文化祭で両者が伝えたことについても、詳しく話したことがない。思い出すと顔が火照る。
無理に、というほどでもないが、意識して話題を探す。
「本を読んでたの?」
そう尋ねたのは、結が揃えた両膝の上に単行本を置いているのに気づいたからだ。
「いいえ」
答えると、結は本の表紙がよく見えるよう持ち上げた。
「持っていると、何となく落ち着くんです」
古びてはいても丁寧に扱われているそれは、結の亡くなった母親が執筆したという本だった。少し複雑な事情があって、彼女の叔父の名義で出版されているが、結にとってはこれと髪飾りが母親の形見らしい。
これも複雑な事情で、出会ったときには見るのも辛いという状態だったが、本に向ける結の瞳には、そこから立ち直ったことを知らせる穏やかさがあった。
鴎は自然に笑顔を浮かべながら、「そっか」と口にした。
しばらく並んで川を眺めていると、鴎の心に一つの疑問が生まれた。
「クレアは一緒じゃないんだね」
六城クレアは結の腹違いの妹だ。本人は時差がどうとか誤魔化しているが、結より一月以上あとに生まれたことははっきりしている。
そのいつも姉が好きで仕方ない妹の姿が、今は見当たらない。
細いまつ毛が伏せられた。
「さっき喧嘩してしまって」
それ以上を語らないので、鴎も詮索しようがなかったが、それでも、もう半年前になるあの出来事が、姉妹の間に影を落としているのではないかと、思わずにはいられなかった。