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With the Wind!  作者: 肉丸 もりお
戦場の支配者
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別離と再会

(かもめ)くん」


 声のあとに手を置かれた肩が飛び跳ね、鴎の眼球は光を取り戻した。目の前にはこちらを見る(いおり)がいる。


「庵さん…」

「おう」


 いつものスーツ姿の庵は、鴎が戸惑うほどにまじまじと顔を覗き込んできた。


「あの、庵さん」

「おう」


 返事をすると視線を(わず)かに下げる。鴎も一緒に顔を動かし、自身が抱えている結の姿を確かめた。

 そうだ。この密着する体の温もりがなければ、目も見えず、音が聞こえてくるだけの時間には耐えられなかっただろう。

 (まぶた)は閉じているが息はしている。

 よかった。


 喉から出た安堵(あんど)は、この数時間のストレスの分大きかった。

 庵はごく短い時間、その(さま)に静かな眼光を向けた。


「目のことは説明不足だったな。”遺産”を使わせてもらった、見せたくなくて」

 

 変わらない声音(こわね)で付け加える。


「こんなに早く使うとも思ってなかったが」


 ハッとしてその背後を確認するが、破壊された建物以外には戦いの爪痕(つめあと)は見受けられなかった。

 姪に向けられた庵の瞳からは何も感じ取れず、だからこそ殺伐(さつばつ)としたものが込められている気がして、鴎は()れた声を出すのが精一杯だった。



「まだ屋上にいるな」


 しばらくすると、結の顔を見つめたままの庵がぽつりと口を開いた。


「やっぱり鴎くんの友達か?」

「…はい」

「そうか」


 庵は鴎の手から結を抱き上げると、


「行ってきなさい、俺は後片付けをしておくから」


 背中を向けて、車があるらしい駐車場の方へ歩いていった。

 一人になった鴎は、すぐには動き出せず、目だけを校舎に向けた。




 八年ぶりに食べるみかんを泣いて喜んでいたこと、今から追いつくのだとファッション雑誌を()(あさ)っていたこと、魚の小骨取りを任せてきたこと。


 そんなこまごまとしたことを今更のように思い出しながら、達也は屋上の(ふち)に座っていた。

 そういえば、制服が好きだと言っていた。“威装”をその制服にするほど。

 同じデザインにしていたのに、理由なんて考えたことがなかった。


 一貫性のない思考を好きに遊ばせていると、背後でドアが開いた。やや躊躇(ためら)いがちに近づく足音には、そのくせ全力疾走のあとの息遣(いきづか)いも混じっていた。


「…達也」

「あいつを探しに行く」


 言うと決めていたことを口にする。鴎は少しの間黙っていた。


「行っちゃうの…?」

「ああ、お前とは多分もう二度と会わない」


 宣告にたじろぐ気配がする。

 向こうも色々と考えていたらしいが、達也は自分の方を優先した。


 こいつに任せるとどうも湿っぽくなりそうだったから。


「お前、ちゃんと話したんだな」


 何の話か分からずにキョトンとしているのが、背中越しに伝わってきた。「六城のこと」、と付け足す。


「やっぱりお前、勇気あるよ」


 今日だけでも十分見せてもらった。(ひが)みのない声に、しばらくすると同じ声が返ってきた。


「そうさ、僕は勇気を出したんだから」


 同じ道を帰ったときの調子なのが、嬉しかった。


「達也も勇気出せよ」


 見えていなくとも、二人とも笑っているのが分かった。屋上を風が吹き抜けると、達也は立ち上がった。


「達也、あのさ」


 少し鼻声になっていた。

 おいおい、と言ってしまいそうになったとき、弾ませようと努める音が聞こえた。


「頑張れよ、僕も頑張るから」


 意外な思いに打たれたあと、達也は微笑むと、最後にもう一度だけ友人の顔を見た。




 鴎がとぼとぼと部室棟前に戻ると、壊れていた校舎が元通りの姿になっていた。

 口を開けて驚いていると、部室棟が今まさに元に戻っているのが見えた。


 近づいてみると、庵が何か小さな丸いものを地面に転がしていた。それはコンクリの破片や木屑(きくず)の中にたどり着くと、シャボン玉に似た膜を発した。


 すると、球形の中のものが文字通り時間を巻き戻された。空を飛びながら自分の場所に収まるロッカーを見ていた庵が、鴎に気づいた。


「悪い、もう少しかかるから駐車場の車の中で待っててくれ」


 鴎は頭をぶんぶんと二回振ると、何度か振り返りつつ、駐車場の方へ向かった。

 

 いつもの黒い高そうな車が、やたらと荘重(そうちょう)な空気を排出しながら停まっていた。

 夜の寒気を今になって指先に感じながら近づくと、後部座席に乗せられた二人が目に入った。


 やはり息をしている結の横で、頭に包帯を巻かれたクレアも座っていた。その白さに一瞬怯むが、こちらも呼吸はしていた。鴎が見たのは何やら赤黒くなった結の姿だけだったので、クレアがどうなったのか分からなかったが、ちゃんと生きて回収されたようだ。


 ホッとすると、ずるずるとその場に座り込んでしまう。寒さの次は恐ろしさが足へと来た。


 よく生きていたものだ、と掴まれた首をさすりながら思う。

 約束を破ってまでしたことは、ただみっともなく泣きながら騒いだことだけだ。(うつ)ろな目で今度こそ自分の存在意義を問うていると、足音が聞こえた。


「ごめんな待たせて、乗ってくれ」


 立っていたのは何だか気が(とが)めたからだったが、促されたので思いを一時停止して車中に潜り込む。温かい風が頬を通り過ぎた。


 クレアが心配なので先に六城(てい)に向かってもらうよう頼むと、庵は頷いた。

 助手席に座ってぼんやりと景色を眺める。

 あっという間に流れていく家々の明かりに、車って便利だな、と思った。


「また後日きちんとお礼を言うつもりなんだけど、ありがとう」

「…え?」


 昔部活の顧問にそう尋ね返したら殴られたことを思い出し慌てたが、庵は気にも留めていないようだった。


「助けに来てくれただろ、あの子たちを」


 二人一緒にバックミラーで後部座席を見る。姉妹は揃って目を閉じていた。


「いえ、僕は」


 学校の近くを通ると大きい音が聞こえた気がして、我慢できずに行ってみると結が戦っていた。連れ去られそうなのを見ると飛び出してしまったが、助けようなどとしっかりした考えを持っていたか、何かできたのかは疑わしい。


 黙り込んでしまった鴎に、庵は不思議そうな顔をしたが、


「君が来てくれなかったら俺も手を出せなかったよ」


と加えた。


 それこそ褒められている気がしない。鴎の表情は暗くなった。

 できることなら、自分で何とかして彼女の力になりたかったのだ。

 庵は何か重ねようとしたが、疲れているのだろうとでも判断したのか、口を閉じた。

 車が家の前に着くまで、エンジン音とエアコンの音だけが響いていた。


 庵は先にクレアを運んでいったので、鴎が車内で待っていると、後ろから小さな声がした。


「鴎君」

「結…!」


 意識を取り戻した結は、目だけを動かして周りを見ている。どうしてか出てきそうな涙を必死に堪えて、鴎が何と声を掛けようか迷っていると、先に結が口を開いた。


「クレアは…」

「あの、庵さんが今家に、大丈夫、生きてるよ」


 ほっとひ弱な息を吐くと、結はドアを開けようとした。「まだ動かない方がいい」、と告げる前に、


「肩を貸してくれませんか」


と言われる。


 逡巡(しゅんじゅん)が頭の中をうろつくが、放っておくと一人でも立ち上がりそうだったので、鴎は車を出て後部座席の方へ回った。

 結は「ごめんなさい」、と謝ると、体重をほとんどこちらに預けた。こんなときくらい踏ん張らねば、と鴎は力を入れ、どうにかよろめかずに済んだ。

 けが人と少年は、風に追い抜かれながら歩く、


「二人のことは庵さんが助けてくれたんだ」

「そう、ですか。鴎君はどうして…?」


 隣の鼓動にどぎまぎしていると、ずしりと胸を刺された。返事もできない。


「ごめんなさい、約束守らなかった…」

 

 しょぼくれた声に、結は持てうる力を総動員して首を振った。


「私も守れませんでしたから」


 鴎が考え込んでいると、結が何かに気づいた。入り口近くの部屋の電気が付いている。

 裏手から入っていった庵だろうか。

 考えを声に出す。


「庵さん?」

「私を運ぶのを鴎君だけに任せるでしょうか」


 顔を見合わせると、とにかく見てみることに意見が一致し、よいしょよいしょと足を動かした。


 山を一つ登る気分で上がり(かまち)を超えると、廊下を進み、部屋の(ふすま)を開ける。

 ソファに座っていたのは伊那(いな)だった。


 「…?」


 伊那さん…?


 わけが分からず放心していると、隣からかすれ気味の声が届く。


「お父さん…」

「…え?」


 自分以上に驚いている結の顔を見たあと、揃って伊那を見つめる。


「…久しぶり」


 二人分の視線を受けた伊那は、あの奇妙に老成した笑みを浮かべていた。


「大きくなったね、結ちゃん」

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