奥の手
伸太の投げる石礫の塊を避けながら、明らかに剣技では勝るこちらの刀をすんでの所で躱し続ける。
風を操る“遺産”が強力なものであることは疑いようがなかったが、結の動きはその補助を一切無駄にすることのない、洗練されたものだった。
“虎伏せ”との訓練の成果だろうな、と予測しても、雑念はそれ以上発展しなかった。その余地がないと言っていいほど、敵は集中に値する相手だからだ。
校舎が崩れ落ちる音を聞いてもそちらを向かなかったときには、流石だという感想まで浮かんできた。
しかし、経験の差は若者だけに硬直をもたらした。それを見過ごすほど恭治は甘くない。
一気に踏み込むと、後退するその腹に右の拳を叩き込む。骨が右手に砕ける感触を返した。吹き飛んでいく先へ、伸太が手に持つ小石を投げ込み追い打ちをかける。
部室棟にぶつかる体は直前に体中へ衝突した石に推進力を受け、校舎に負けない派手な音で突っ込んだ。
砂塵が拡散する中、動きはない。
よく粘ったが、終わりだ。
「中から引きずり出しとけ、俺は車を回してくる」
まだ戦闘の高ぶりを留めた目が、茂はどうするのかと聞いてくる。
瓦礫が吹き飛んでこない様子からして、気を失っているか、動きが取れなくなっているか。掘り出している時間は惜しいが、これからのことを考えると不在では困る。
これから、という単語は、恭治に場違いな満足感を与えた。当主は手に入った、後は自分たちのフィールドにあいつを追い込むだけだ。
まだまだ目標まで半分の位置でしかないが、ここまでかかった時間を思うと無感動ではいられなかった。
結が崩壊した部室棟の中でじっとしていたのは、意識があることを悟られないためでもあったが、実際に負傷をしていたからだ。
体から流れていった血が床に赤い色を塗り広げる。それを見ると、似たような状況に陥ったときのことを否が応でも思い出した。今回は誰も助けには来ない。自分がそう願ったから。
これくらいなら聞こえないだろうと、小さく咳き込む。
元々限度は近かったが、あの音にやられた。目の前のことから頭が離れてしまった。腹にめり込んだ拳も、あちこちの皮膚に食い込んだ硬さも、その手痛い仕置きだ。
クレアは無事だろうか。考えても仕方がない、とは割り切れない。
ぐっと力を入れ、体を起こす。破片がパラパラと散った。
助けなければ。
しかし、そのためにはこれから、一人で、二人、もしくは三人と戦わなければならないのだ。
後でクレアに話したら、信用していないと怒るだろうか。
想定の重さに押しつぶされそうになったが、想像にクスリと笑うと、その分元気が出た。
“翠嵐”と分離した“白梅”を握った手を腰のポケットに入れる。ややあって取り出したのは、赤黒い刀身の小刀だった。ナイフ大のそれを見つめながら、庵との訓練を思い出す。
叔父には作戦を詰めすぎるな、と忠告された。長々と考えたところで事態を最後まで見通すことはできない。応用のきく場面、戦い方をいくつか想定して、タイミング次第、それを実行するように、と。そしてそれもダメというときにだけ、これは許される。
結局これは自在には扱えなかった。力の大きさはそれだけ結の意識を引っ張る。血だらけで目が覚めたのは一度や二度ではない。庵でも押さえるのには手加減ができなかったのだ。
怖いな、と思う。上手く扱えるとは限らない上に、こんなものに頼っても勝てるかは怪しい。
負けたらどうなるのだろう、と考えてしまう。和助のときは考える時間などなかったし、大谷のときはどうだってよかった。死んでもいいと、はっきり思っていた。
小刀を落としそうになった手に力が入ったのは、約束を思い出したからだ。
約束は守るものだ。今は死んではいけないのだ。
明日会うことを考えると、その身を横たえていた底力が目を覚ます。
肩を掴む恐怖に何とか別れを告げた。
結は握りしめた小刀を胸の前まで持ってくる。浅い息を吐きだすと止め、右手と腕の付け根にそれを突き立てた。
激痛を押しのけて、血よりも濃い赤黒さが体へ入り込む。それは文字通り雷の速さで体を駆け巡った。結が苦痛の声を上げるよりも前に、色に澄みを取り戻した小刀が女性の声で告げた。
「赤霆充填」
雷鳴が轟いた。