ミックスジュース
たかが文化祭のお疲れ様会で打ち上げなどと称する神経の太さは、親の金で飯を食っている自覚が足りない証拠だ。
鴎がそこそこ真面目な顔で提唱した説は、剛史の「お前捻くれてるな」、の一言に総括された。
今現在、鴎を含めたほとんどのクラスメイトは、文化委員の迫たちが予約から何まで主導した打ち上げの真っ最中だ。手際の良さはむしろこちらの方が主目的だったのではないかという疑いが生じるほどで、実際迫たちのはしゃぎ方は、準備期間も含めた文化祭の何時にも勝っていた。
仁と剛志と鴎は、座敷席の端の方に並んで座っている。運動部の二人は文化祭でエネルギーを使い切ってしまったと主張するが、その口に吸い込まれるから揚げの数を病人が見たら気分を悪くするだろう。
「お嬢様学校の打ち上げってどんななんだろ」
鴎の疑問に、ドリンクバーの全てのジュースとチョコチップアイスクリームがぶち込まれたグラスを眺めていた仁が答える。
「お茶会じゃねえの」
「それ飲むの」
「いや俺のじゃねーし」
「お高い紅茶とか出るんだろ、ブルーマウンテンみたいな」
「ブルーマウンテンはコーヒーだね」
剛史は氷をいくつも口に放り込むとバリバリと噛み砕き始めた。いかにも無神経だと仁に揶揄されてもやめない。頭が痛むのがいいらしい。無神経というかアホだと思う。
「きっとリムジンで送迎するんだろうな」
「あれって俺らも電話で頼めるんだろ?」
「一回くらいリムジンの冷蔵庫に入れてた棒アイス食べてみたいよ」
「それはよくわからん」
三人で無駄話を続けていると、笑い声のまとまりと共に迫がこちらへ近づいてきた。
「おうやってやるよ!飲んでやるよ全部!見とけよお前ら俺が飲むとこ!」
迫は背後の集団にそう叫ぶと、先ほど仁が見ていたグラスを掴み取り、一気に喉へ流し込んだ。
それぞれの長所が台無しになっているとはいえ、こういう類のミックスジュースは正直に言って吐き出すほどのまずさではない。曖昧な味に対して甘さははっきりとしているから飲むのが苦痛ではあるが、それだけだ。グラスを離した直後の迫の様子からも似た感想であることは読み取れた。
ときにはウケを狙って噴き出す輩もいるが、迫はそこまではできなかったらしい。変顔を繰り返し、結果的にそこそこの笑いはとれた。
おふざけのレベルは小学生だが、ちゃんと飲んだのは偉い、と鴎は思った。
尿意を覚えて席を立つと、背後から話しかけてくる声がした。
「鴎くん」
振り返ると、文化祭で同じ大道具組だった相田たち女子三人だった。
「どうしたの?」
「今日結ちゃんとクレアちゃん来てないよね?」
ぎゅっと胃を握られた気がした。
「うん、みたいだね」
「あ、じゃあ鴎くんも理由知らないんだ?」
「うん、ごめんね」
「ううん、こっちこそ急にごめんね」
そうして解放された鴎は、トイレの個室に入ると少しの間何もせず立っていた。
「ちゃんづけなんだ…」
打ち上げ自体にも、迫たちのバカ騒ぎにもいまいち乗り気になれなかったのは、どうしても二人のことが頭を離れないからだ。
家で考えていても仕方がないと思ったから出てきたが、あまり結果に違いはないのかもしれない。手を洗いながらふと目に映った鏡には、何時にもまして覇気のない顔があった。
トイレを出ると、また誰かに呼び止められる。
「なあ鴎」
今度は別の理由で気が重くなった。作業のことで少し揉めた原田と小手川だったからだ。
「なに?」
ひょっとしてお礼参りだろうか。しかし二人のうじうじとした態度は鴎の暗い想像とは縁遠い。
「あのさ、六城さんって来てねえの?」
「六城さんって…」
「あの、クレアちゃん、さんの方」
この二人と話したのはそちらだけだからそうだろうとは思ったが、何の用だろう。
鴎の視線をどう受け取ったのか、原田は怒った風に急かした。
「どっちなんだよ」
「知らないよ、僕も見てないけど」
二人は落胆をあからさまに顔に出した。
「なんだよ、お前、文化祭一緒に回ってたくせによ」
「そんなの関係ないだろ」
「どっちともいっつも一緒にいたんだろ、なのに知らねえのかよ」
何だかイライラとしてきたので、鴎は返事をせずに席に戻った。
ポテトを機械的に口に運んでいても気分は晴れない。むしろこの場合、周囲の喧騒は鴎の心を荒い手で触れるだけの役割だった。
かといって静かにしろなどと勝手なことも言えない。鴎は知らず小さいため息を漏らすと、自分が退散する方を選んだ。
「ごめん、これ代わりに払ってて」
「なに、気分悪いのか」
「いや、ちょっと用事あって」
心配してくれる二人に申し訳なく思いつつも店を出る。勢いよく息を吸うと、冷たい空気が肺を刺してきて痛んだ。星々がよく見えるようになったことを思うと、この目の異変もそう悪くないかもしれない。何の星座だろうと目を細めながら、内心別のことを考える。
小手川たち相手に苛立った理由は分かっている。彼らの言う通り、いつもは一緒にいるのに、肝心なときは離れるほかない自分に怒りを覚えたのだ。
近頃体を鍛えようと思い立ち、店にも徒歩で来たが、そのくらいでは役に立つことはできないだろう。
開いたドアから漏れ出てきた笑い声に、無駄な努力だと哂われた気がした。
それでも何もしないわけにはいかない。
鴎は羽織っていたジャンパーのファスナーを引き上げると、家への道を駆け足で辿り出した。