佐久間の残党
佐久間恭治は車のハンドルを握り、前方に注意を向けていた。後部座席で足を投げ出し座る水野茂のことも、助手席で二人の様子を窺う甥の伸太のことも、今は考えておきたくなかった。
しかしその思いは茂には通じなかったようだ。
「…やっぱり今からでもあのガキを押さえるべきだ」
昨日から都合三度目の提案に、重いため息が出るのを堪えられなかった。
「駄目だ」
こちらも三度目の返事に、茂は不平を隠そうともしなかった。
「なんでだよ!」
「一般人だからだ」
茂はバックミラー越しにこちらを睨め付けてきた。眉根には感情のざらつきを示す深い皴がある。
「だったらなんだ?一族皆殺しの恨みってのはそんなに軽いのか?」
恭治がそれを口にするたび、俺は生きてるけどな、と馬鹿にしていた茂の発言。
今すぐ後部座席に乗り込んで、その横っ面を張り飛ばしたかった。
「可能な限り一般人は巻き込まない。“可能種”はずっとそうしてきたんだ」
「バカげた慣習だな?」
恭治がこの説明をしたのは一度や二度ではない。茂が同じ質問を繰り返す理由には、時代遅れの年長者を鼻でせせら笑う意図が多分に含まれている。
もうずいぶん昔から、怒りよりも先に疲れが閾値を超えるばかりだった。
「そうだな」
押し殺すまでもなく暗さに沈んでいった熱を、恭治は冷めた視線で見送った。
言い負かそうとしてもどうしようもないことはもう分かっている。これは理性によって選択する考えや行動ではない、もっと原始に近い、いわば感性の問題なのだ。
そろそろ四十を迎える恭治にとって、先ほどの自らの発言は侵すべからざる不文律だった。周囲と共有する機会がなかったのも、認識として当たり前に過ぎたからだ。
堅気には手を出さない、任侠もののヤクザがよく口にするようなそれは、しかし“可能種”たちにとって決してきれいごとではなかった。
結果的に不都合であるから、とか、普通の人間に対して残酷であるから、といった打算や良心とは全く無関係に、自分たちの存在を知られることは極めて不愉快であり、巻き込むこと、関わることは避けるべき出来事だった。
だからこそ“可能種”を知る一般人などごく少数であり、歴史からもその姿はおろか、長く流された体液の染み一つ見出すことは困難なのだ。
しかし、自分が諫めるのも構わず単独での行動を強行し死亡した和助も、元からそれに同調していて、和助の死後は手が付けられないほど態度が悪化した茂も、今現在、隣で自分が激高しまいかと緊張感を滲ませる伸太も、自分と亡くなった“可能種”たちが生来有していた感覚を持ち合わせていない。
年齢でいえば自分たちの次世代に当たる茂たちが、明らかに異なる精神性と価値観を持っていることはこの長い潜伏期間で何度も浮き彫りになり、その都度双方に深刻なストレスを与えた。
年下であれば皆同じわけではないという言葉は慰めにもならず、ときには違う生き物にも感じられる彼らの存在は、不遇の十年も相まって恭治に発散しようのない鬱屈と諦観を植え付けた。
目に焼き付いて離れない親族知人の死に顔という、復讐を行う積極的な動機も十年間絶えず力を寄こすのは難しかったようで、近頃は責任などかなぐり捨ててどこかへ去ろうかと、自棄と切り捨てられない真剣さで考えていたところだ。
「俺はこれが終わったら抜けさせてもらうからな」
だが、転機が訪れた。碌な手段を持たず、不遇をかこつだけの身に、これ以上を望むべくもない好条件が回ってきたのだ。十年分の不満を拳に乗せて茂の頭を粉砕するのは魅力的だが、“虎伏せ”の首ほどではない。
「終わった後ならもう何も強要するつもりはない、好きにしろ。伸太、お前もだ」
それを思えばこそ、生意気な青年の言葉を受け止めることもできる。
「どの道再興だなんて現実的じゃない。俺たちが生きてる間は間違いなく不可能だ。そんなことに時間を使うつもりは俺だってさらさらないよ」
叔父と友人との間で選択を迫られているのだと一人思い悩んでいた伸太も、当たり前だと言わんばかりに鼻を鳴らしていた茂も、恭治がここまであけすけにものを言うという初めての経験に驚きを示した。
自分自身、包み隠さない本心を話すのは初めてだ、と思いつつ、
「だが、今日と明日は付き合ってもらう。今日と明日だけはな」
と言葉を重ねた。
会話が途切れた車中でまた運転に集中しながら、恭治は自分に言い聞かせた。
そう、全てが終わる瞬間はそう遠くない未来で自分を待っているはずだ。その為にこいつらを引き留める必要があるなら、どんなことだって厭うつもりはない。