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With the Wind!  作者: 肉丸 もりお
薫風の運び手
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木曜 放課後(1)

 顧問の仕事もあって非常に忙しい中、お前のために時間を割いているのだ、という長野の弁に、先生僕なんかどうぞ放っておいてください、と、口答えしたくなる気持ちをぐっと堪え、耳を傾けた。

 貴重な放課後の時間を四十五分も奪ってくれたことへの感謝を込めてやけくそ気味な挨拶を放ち、教官室を退出する。うるせえぞという他の教官の声が背中に追いつく前に駆け出した。


 人影のない廊下を疾走することに若干快感を覚えながら、息せき切ってドアの前にたどり着く。勢い込んで開けたが、教室には(むすび)の人影しかなかった。西日に照らされながら、箒と塵取りを両手に持ち、少し驚いた面持(おもも)ちで鴎を見ている。


「どうしたんですか?」


「いや、体育教官に呼び出されて……」


 肩を上下させながら質問に答えつつ、時計を確認する。


「ちょっといろいろ用事があったんだけど……」


 釣られて時計を見た結は、得心が行った様子で、


「残念でしたね」


「まったくだよ……」


 相手がいないのでは質問もできない。それ以上愚痴を口にする気力もない鴎は、手近な机を引き寄せ腰を落ち着け、呼吸が整うのを待つ。

 こうして見ると、小一時間前は騒がしさに包まれていた教室は噓のように静かで、結が箒を動かす音だけが響いていた。放課後までの時間はああして過ごすつもりらしい。

 生徒への聞き取りはできないが、赤村の様子を見に行くことはできる。生物室を見に行こうか、掃除を手伝おうか迷っていると、何か思い出した様子の結に呼び掛けられた。


「里見君、叔父が話をしたいと言っていました。よければ駐車場へ行ってみてくれませんか」


(いおり)さんが?」


 一昨日車の中で話して以来の、目の前の少女に似た細面(ほそおもて)が脳裏に浮かぶ。

 結の説得には成功したが、何の用件だろう。少し興味が湧き、生物室はまた今度でいいか、と、考えた。


「わかった、今から行ってみるね」


 うなずく結に、またあとで、と、声をかけ教室を出る。


 結が江袋高校に入学してからというもの、庵は毎日車で送り迎えをしているらしい。今日もあの黒塗りの高級車は下駄箱のすぐそばにあった。鴎が近づくと、気づいた庵が軽く手を挙げる。指で指された助手席の ドアを開け車内に乗り込んだ。

 庵は空調を起動させ、よぉ、と、軽く挨拶をした。


「上手くいったらしいな」


 その声が弾むほどに嬉しそうなことを意外に思いながら、鴎は頷く。


「アドバイスのおかげです」


 結一人では不安だと伝えたのは庵の入れ知恵だ。責任感の強い結なら、そう言われれば自分一人で充分だと強弁できないだろうという考えだった。


「俺から言っても反発されただろうから、あの子が聞き入れたのは鴎君のおかげだよ」


 いつのまにか鴎を名前で呼びながら、やはりどことなく嬉しそうに笑みを浮かべている。一緒に笑おうとして、鴎は小骨が喉に突っかかったような気持ちになった。それを見た庵は、微笑に少し苦いものを混ぜた。


「ちょっと申し訳ない?」


 胸中を言い当てられ、顔に出やすいというのは困ったものだ、と、思った。


「なんていうか、あのカエルに襲われたことを盾に無理強いしたような気がして……」


 結が鴎の協力を許してくれたのは、そこに道理があったからではなく、きっと、鴎自身が抱えるもやもやとした気持ちのことを伝えたから。自分のわがままを聞いてもらった形で、(かえ)って負い目が増えたというのが本当のところだ。

 

「まぁ、別に気にしないでいいと思うけどな」


 庵はそんな鴎の思いも汲み取ったのか、ハンドルの上に置いていた手を組みなおし、瞳を正面に向ける。


「君をけしかけたのは俺だし、あの子も鴎君が手伝うって言ってくれて嬉しかったんだろ。昨日今日は今までに比べて安定してる」


 思わぬ情報に不意打ちを食らい、鴎は驚きながら庵を見た。


「そうなんですか?」


「おう、あんなのずいぶん久しぶりだ。今までは日に日に弱ってたからな」


 少しハンドルに体重を預けつつ、庵は鴎の方を見た。


「鴎君と会う約束が、“(くさび)”になってるってことだな」


 庵が嬉しげだった理由を見た気がして、鴎もその感情が伝播したように頬がほころびそうになるのを感じながら、気になっていたことについて尋ねる。


「あの……」


「ん? どうした?」


 上機嫌なままの顔に、疑問をぶつける。


「もしかして、こうなるように仕組んでたんですか?」


 結に“楔”ができ、協力者も得られた。庵にとって都合がいい展開が続き、それを読んでいたのかもしれないという疑念があった。鴎が戻るまで車が止めてあったとき、少なくとも自分の行動に関してはそうなのではないかと思った。

 庵は一瞬きょとんとしたものの、何か思い当たることがあったのか、あぁ、と、口を動かし、


「いいや」

 

 と、首を横に振った。


「君をアパートに送ったときに、ずっと車を止めてたことだろ」


 鴎はコクリと頷く。


「待ってたのは、君が疲れて見えたからちゃんと部屋に入るまで見届けようとしたのと、まぁ、せっかくあの子に友達ができたのに、ちょっと残念だったからだ」


 庵は誰にともなく告げるような声だ。


「でも、本当に戻ってくれるとは思ってなかったし、“楔”になってくれたのも出来すぎだったよ。俺はそんなこと仕組めやしない」


 そこで少し片頬を上げながら、鴎の顔を見た。


「友達ができたなんて聞いたとき、ちょっと期待はしてたけどな」


 友達という言葉を庵が口にするたびになんだかむず痒くなり、鴎は本当にそうだろうかと自問した。


「わざわざ呼んだのは、君にさっきのことを知らせたかったからだ。ありがとな」


「……はい」


 一拍遅れて返事をして、会話を終えた鴎は車を降りた。庵は夜に迎えに来るまで別の場所にいるらしい。駐車場から去る車を見送ると、鴎も結の待つ教室へ向かった。


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