みじめ
堂々とした結の姿から逃れるように顔を背けると、達也は一つ問う声を発した。
「いつから気づいていたんだ」
「あなたが鴎君と話すのを目撃してからです。夏季休暇の前でした」
それほど前から気づいていたのか、という驚きと、ではどうして黙っていたのかという疑問、達也と鴎がこの教室に入ってから初めて共有した感情だった。
「私はこの半年で、もう一人の“可能種”には周りを巻き込むつもりがないと判断し、不干渉を方針としました」
「それは理解している。だからお互い気楽な学園生活が送れていたわけだ」
「そのあなたが今になって彼らに手を貸すのは」
息継ぎだと認識される短さで、結は躊躇いを見せた。
「私が大谷さんと戦ったことが原因ですか」
「…いや、違うな」
結の質問が教室中に広がり、そして消えてしまってから、達也は口を開いた。
「ビビってあいつを見捨てておいて、今更敵討ちだなんて抜かすつもりはない。あいつらに協力するのは何もしなかったのと同じ理由だ。こんなみっともないガキがあいつらなしで生きていけるとは思ってないんだよ」
「だったら…」
「でもな、あいつと殺し合いをしたあんたに尻尾を振るつもりもない」
意地と呼ぶには余りに矮小だと自覚している声で、それでも結から目を逸らさずに達也は告げた。
結が沈黙を選び、達也が去る気配を示したとき、震える声がその肩に届いた。
「なんで騙してたの…?」
「俺は一度も普通の人間だなんて言ったことはないだろ、…こんな言い方をさせるな」
「じゃあなんで黙ってたんだよ」
「友達ならどんなことも話さなきゃいけないのか」
自分ならそうしていた、と続けようとした鴎の体を、激しい虚しさが襲った。
視線と頭を落とした鴎を、最後に一度だけ見つめると、達也はもう何も言わずに教室を出ていった。
話しかけられれば拒絶する気でいたが、結は静かに近くで佇んでいた。
鴎はまだ収拾のつかない胸の内を眺めながら、彼女に話しかけた。
「…結はどうして教えてくれなかったの?」
「二人が友人に見えたので、話すつもりなら彼が自分から話すべきだろうと思っていました。鴎君には私を罵る権利があると思います」
「…ないよ、そんなの」
これほど情けない質問があるだろうかと思った直後だったので、鴎は頭を振って否定した。結は発言に含まれる矛盾を指摘せず、相変わらず手の届く位置に立っていた。
「私たちが消えずにいるためには“楔”が必要です」
どうしてここでその話が出るのか分からず、鴎は反応のしようがない顔を結に向けた。
結はそのしょげきった顔に、
「多分小佐野くんにとってそれは、大谷さんにとってもそうだったのでしょうが、逃亡生活を共にした相手だったはずです」
「でも、いなくなってもう半年経ってるんだよ…?」
黙ってこちらを見つめる瞳が、暗に答えを告げていた。
「僕だったっていうの…?」
「今でもそうだと思います」
「あいつは僕を騙してたんだ!」
「大切に思っていることと、何もかもを打ち明けられないことは両立しませんか?」
柔らかくとも引かない強さを持つ声に、鴎は即答できなかった。
「…わからない」
結の問いも、達也の気持ちも、そして自分の考えも。
鴎は長い無音の後、結に達也と共にいた“可能種”のことを伝えた。
「…結はあいつらと戦うんだね?」
「はい」
青年、オールバック、最後に年長の姿を思い出す。クレアを独りで圧倒していた水野和助、青年以外の二人からは、彼に似た雰囲気が漂っていた。命の遣り取りの果てに、ある種異常な精神状態に落ち着いた人種の臭いだ。
「勝てるの?」
「…分かりません」
初めて見せた結の明白な迷いに、鴎は足元がぐらつくのを感じた。そうして開きかけた口を、鋭さを取り戻した声に遮られる。
「鴎君は心配しないでください」
「そんなの無理だよ」
「それは、そうかもしれませんけど、学校には絶対に来ないでください」
考えまでには至っていなくとも抱いていた思いに釘を刺され、鴎はもう何も言えなくなった。
自分が無力でなければ突っぱねられたかもしれない、しかし前例の二度ともろくな働きをしていない自覚はある。押し黙った横顔に暗さを伴わせながら、鴎は足の先に焦点を合わせた。
結は極めて人間的な、今しがたの質問のときとは属性の異なる逡巡を覗かせると、鴎に恐る恐る声を掛けた。
「鴎君」
ゆっくりと頭を引き上げた鴎は、緊張を乗せて赤くなった頬を見た。結は鴎の両手を掴み、自分の両手で包み込んだ。