伝言
引いていた潮がまた干潟を満たすように、生徒たちが通路に現れ、二人の傍らを通り過ぎていく。達也はゆらりと上体を動かすと、その中に紛れ込んでしまった。
「!」
話しかけるどころか近寄ることもできなかった鴎だが、無言で離れていくのは放っておけない。
先ほど見つけたときと同様に、誰のものとも知れぬ手足の中から達也のものを見つけ、隙間を縫って追いかける。
偶にそこだけ突き出る頭の動きからして、向こうは歩いている。それなのに、こちらは走らなければすぐさま置いていかれる。
身に覚えのある体験が、達也もまた彼らの同族だと無言で告げる。
騙していたのか?下らない冗談で笑わせてきたときも、真剣な顔で進路の話をしたときも、あの硬い目は後ろめたさを抱えていたのか?それとも…。
疑問は尽きず、それを問いただす資格を自分は持っていると思う。一向に衰えないその速度に、こちらも負けじと足を踏み出して追いすがる。
階段を一階分上った先で、突然人気が失せた。平時も使われていない空き教室にはどこか他所から運ばれた椅子と机がいくつも置かれていた。
達也はそこに入ると、窓の近くでようやく足を止めた。
「達也」
荒い息に挟まれた言葉にも、達也は振り向こうとしない。ここまで来たのは駐車場を眺めるためではないだろうに、窓から外へ視線を向けている。
その姿に、鴎の中で短く燃え上がるものがあった。
「話せよ、全部!」
「お前と話すことはない」
まだこちらを向かないのか。
発露した感情も、達也の声と態度に再び煽られる。握った拳に力が入り、柔らかい肉に爪が食い込んだ。
「用事があるのは六城だ」
どうしてここで結の名前が出るんだ、今ここにいるのは自分たち二人のはずなのに。
瞬時に浮かんだ文字列はそれだが、鴎の思い全てを載せるのには容量不足というべきだった。推測はできても、確定的なことは何も知らない身では、憤懣をあくまで憤懣として処理するしかない。
「あいつはどこにいる」
「ここにいます」
知るもんか、と叫ぼうとして、耳に届いた涼やかな声に、鴎は体を捻る。
教室の扉の前に立つ結は、学校内のどの騒ぎとも無縁の空気を纏っていた。鴎の中で形を成さずに暴れる感情とは縁遠い、かといって温顔でもない表情は、いつもの彼女を形容するにふさわしい静謐さだった。
つい怒りを忘れ口がきけなくなった鴎に、結は頷いてみせた。
「廊下を歩いていたら走る鴎君を見つけて、追いかけてきました」
そして視線を物言わぬ背中に移す。
「きっと彼に関係があると思ったので」
「…どういうこと?」
結は数瞬黙り込み、心の準備を促すような、最後の確認をするような時間を作った。
「小佐野達也くんは大谷茉莉さんと京都から行動を共にしてきた“可能種”です」
端的な表現を受け入れるのに随分と時間がかかった。はじめ大谷茉莉の顔が、次いでカエルに面と向かったときの馬鹿げているからこそ恐ろしい映像が頭に浮かぶ。それと達也の顔を繋げようとしても、虚しい努力に終わった。
言葉にされてなお信じられなかった。
「ほんとに…?」
何の捻りもない質問に、結は黙って首を縦に動かした。
「私たちが与えられた情報は二つでした。こちらに潜伏した“可能種”は二人組だということ、一人は使用データを取っていない狙撃銃の“遺産”を扱え、そして持ち出したこと。私が大谷さんとの戦いを終えても江袋高校に残ったことと、叔父が戦場に出なかったことはそれらが理由です」
喫茶店での会話が脳に蘇る。
「先日の説明は十分ではありませんでしたね。銃の“遺産”はごく最近生まれたもので、他と比較して“可能種”を殺傷することに特化しています。情報もないそれの使い手がどこに潜んでいるかわからない以上、叔父は軽はずみに戦えなかったんです」
結は話す先に達也も加えた。
「 “虎伏せ”への数少ない対抗手段は、どこの“可能種”にも求められたはずです。そして二人の“可能種”にも身を寄せる先が必要であり、それは六城家に恨みを持つ“可能種”たちだった、そうですね?」
答えがないことが答えだった。
達也は深く息を吐くと、緩慢な動作で振り返った。
「佐久間からの伝言だ」
硬質の光を宿す瞳は結だけに向けられ、鴎を一顧だにしない。
「明日の夜、ここでお前を殺す。次に“虎伏せ”。来なければそのガキを殺す」
結は黙ってそれを聞き終えると、僅かに伏せていた顔を上げた。
「それでは伝えてください。逃げることも隠れることもしません、六城家当主として受けて立つ、と」