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With the Wind!  作者: 肉丸 もりお
戦場の支配者
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囲い

 しばらくの間何も考えられずに立ち尽くしていたが、視覚からの情報が脳に割って入り、嫌でも思考を取り戻す。

 はっきりと物の形が捉えられるようになり、細かな陰影まで見て取れる、これまでにないほど良くなった視力を持て余しながら、鴎は考えを巡らせた。


 庵が来ていたこと、結からの相談を見透かされたこと、何やら目に妙な仕掛けを施されたこと、自分と話したら帰ってしまったこと。

 特に最後の事実が、鴎の心に無視できない重さを持って存在していた。叔父が姪に歩み寄ろうとするのを潰してしまったのではないか。そう思うと、自分の軽挙妄動(けいきょもうどう)が悔やまれた。


 それに比べれば身体の異変は大して重要でもない。取り戻した庵への信頼があれば、混乱はしても不安に思うことはない。

 そうして意識に圧迫されていた聴覚へ、校舎からの放送が届いた。主人に意識を割かれることなく、その意義をほとんど失いかけていた耳が、待ってましたとばかりに音を拾う。


 もうじき昼休みが終わり、午後の自由時間が始まる。

 文字列に遅れて意味がついてくると、鴎は来た道を歩き出した。結にどう話せばいいのか、気分と共に足は重くなる一方だが、ここでいつまでもこうしているわけにもいかない。

 亀を思わせる鈍足ながら一応前には進んでいると、通路から吐き出される生徒の群れが目についた。彼らも移動を始めたらしい。


 何とはなしに見ていると、磨き抜かれ、研ぎ澄まされた瞳が見覚えのある姿を知らせた。人込みの中に混じっていたのは達也だった。視力ではどうにもならない人の壁に阻まれ、それ以上追うことは敵わなかったが、確かに通路を歩いていた。


 あの草むしりの一件以来、校内でも出会うことはなかった。少し考えた鴎がそちらへ足を向けたのは、友人との交誼(こうぎ)を確かめる他に、相談できるはずもない事情を、しかしよく知っている誰かと会話をすることで、しばらく頭の隅に追いやっておきたかったからだろうか。

 酔っ払いほどではないにしても頼りない足取りで、鴎は歩き始めた。

 

 探偵に向いているかもしれない、と鴎は思った。もしくは警察官か。

 通路を行く大勢の間から手足が見えただけでも、それをぶら下げているのは誰なのかが判別できるほど、この眼は些細な違いを特徴として捉えている。

 思いがけず備わった能力に、鴎は膨らむ期待を感じたが、これ自体、全く得体が知れないことを考慮すると、その眼力は必ずしも物事を全面的に掴むことはできないのかもしれないとも思った。


 次第に生徒が減り、達也の後姿をほぼ視認できるようになると、鴎はその周りに同行者の距離で歩く人物がいることに気づいた。影は複数だったが、達也を注視するあまり、他は目に入っていなかったのだ。

 やはり探偵も警察官もだめかもしれない。


 そんなのん気なことを考える一方で、おや、と頭脳に呼び掛ける声があった。

 近くにいる二人は学生ではない。確かに達也は文化祭を見て回る友人はいないと言っていたが、親戚も来ないと言っていたはずだ。予定が変わったのだろうか。

 声を掛けようか躊躇(ためら)っていると、右に位置している大柄な男が後ろを向いた。視線が合い、気まずく思っていると、その男が目を()いた。男の動揺につられた達也ともう一人の青年が振り向き、同種の驚き方をした。


 不可解な反応に困惑する鴎は、男が達也に向けて口を動かすのを見た。声は届かないが、何と言ったのかは読み取れた。

 どういうことだ。

 質問を受けた達也は痛恨の表情で鴎に視線を送る。状況はまるで理解できないが、逃げろ、と言っている気がして、後ろへ向きかけた体が芯のある肉にぶつかりよろめいた。


 そこには鴎を見下ろす傲然とした瞳があった。黒髪をオールバックにした男が退路を塞ぐようにして立っていた。片手に持っているから揚げが入った包みは外部の業者が販売しているものだろう。大きく顎を動かし口に入れていた分を咀嚼(そしゃく)すると、喉を鳴らして飲み込んだ。


「なんだ、このガキ」


 親しみとは真逆の視線に襲われた鴎は、背後から聞こえた声に全身を震わせ振りむいた。


「説明しろ」


 いつの間にか近づいていた三人の内、最も年長に見える男に促された達也は、諦観(ていかん)(にじ)む声で答えた。


「…俺の知り合いだ」

「俺と目が合ったぞ」

「…六城の知り合いでもある」

「六城の…!?」


 他二人の男に比べて幼さの抜けきらない青年が、懐疑から敵視へと変わった視線を送りつける。

 四人分の注意を一身に受けた鴎は、背筋を伝う(あぶら)汗に不快感を覚える余裕もなかった。


「ならとりあえず殴っておくか」


 日常的な動作なのだろうかと疑うほど、オールバックの口調は平然としていて、鴎は意味を理解するより、詰め寄られたことへの恐怖を味わうのが先だった。


「やめろ」


 硬質の目が(きり)のように鋭い眼光を光らせる。理性よりも感情を理由に、オールバックはピタリと動きを止めると、鴎に向けた以上に荒々しい目つきで達也を睨んだ。


「あ?何言ってんだクソガキ」


 放り投げられたから揚げが達也の胸の辺りにぶつかり、地面に転がった。もったいない、と言いたげな青年の横で、達也は当てられた箇所を見ることもしなかった。


「他の生徒を巻き込むなんてのは段取りになかったはずだ。俺の記憶違いか」

「もちろん正しい、こんな情報は知らされていなかったからな」


 年長がオールバックを抑えた目を、次に達也へ向けた。

 一日二日ではない、重ねた年月と同じ厚みだけ積もった疲労が顔つきに表れている。見る人への押しつけがましさはないが、それを隠すつもりはないらしい。


「六城の高校での身辺調査はお前に一任していた」


 表情は不快そのものだが。年長の声はビジネスパートナーの失態を咎めるもので、オールバックほどには今の感情を重視していないことが窺えた。

 沈黙を続ける達也に、三人の不信感が募るのが目に見えるようだった。


「高校に来るなと言っていたのは、こんなことが理由だったのか?」


 ハッとして顔を上げ、新たに加わった鴎の視線にも、達也は無視を決め込んだ。

 ここまでくれば、いくら鴎が鈍くても気づかない方が難しい。

 周囲を囲む彼らは“可能種”だ。


 庵が佐久間という一族を壊滅に追い込んだことは耳にしている。既に一人出会ったのだから、他にも生き残りがいてもおかしくないというのは、実情を知らない人間だけに許される誤った推測だろうか。

 何にせよ友好的とは言い難い人物たちに、達也が自分のことを黙っていたのは確かだ。


 それぞれが別々の考えを抱えたまま口を(つぐ)む時間は、年長によって破られた。


「だがまあ、なんにせよ悪いことじゃない。決め手が見つかったわけだ」


 殊更(ことさら)強調された“見つかった”にも、達也は顔色を変えなかった。

 もう一度掴みかかろうとして年長の腕に止められたオールバックを見ると、ガラの悪い人だという印象は拭えそうになかった。


「予定通り明日決行する。六城に伝えておけ、来なければこの少年を狙う」


 単語は辛うじて常用の範囲に留まっていたが、その意味するところは鴎を怯えさせるのに十分な物騒さだった。

 それだけ残すと、不満げな二人を連れて男は校舎から離れていった。

 通路には(うつむ)いた達也と言葉の出てこない鴎が立っている。距離ほどには近い心境ではないだろう。

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