高そうな車
その後も奇行と呼んで差し支えない結の振る舞いは続いた。お化け屋敷ではお化け役の生徒に道を尋ね、早押しクイズでは答えを考えず押すだけ押すのを三回連続で繰り返し、五組の展示では悪ふざけで撮られたコンクリの写真を本物の石だと勘違いしていた。
「後で保健室に連れてくからね」
昼休みを迎え、三人で昼食を摂ろうとした所、クレアが結へ、罪人に対する判決を言い渡す裁判官の無慈悲さで告げた。
「どうしてですか」
当の本人は抗議というよりは不思議そうな口調で、弁当箱の卵焼きにたまご味のふりかけをかけている。
「あんたが今エッグオンエッグつくってるからでしょ!ご飯にケチャップかけてるし!」
言われて慌てながら手を止める結を、鴎は用意がいいなあ、と思いながら見ていた。
自分は海苔も巻いていない塩むすびを頬張っている。これはこれで美味しいが。
クレアは結にケチャップを分けてやりながら、自分もハンバーグを口にする。飲み込み終わると、箸で白米を掴んだ。
「いい?日頃のあんたの落ち着きっぷりがこれなら」
そのまま口に入れると、モグモグ食べ終え、
「美味しい」
「クレアの卵焼きも美味しいですよ」
「まあね…そうじゃなくて」
勝手に和んで勝手に怒ると、クレアは逸らすことを許さない鋭さで結に向かい合った。
「熱がないのにそんなに取り乱してるんなら、他に理由があるんでしょ」
結の眉が力なく下がる。図星を言い当てられるとこうなるらしい。
「ああ!やっぱりそうなんだ!」
文句を言われている結に助け船を出そうとして、鴎はあることに気づいた。
結が目をクレアに向け続けるのは、自分と合わせないためでもあるのかもしれない。自分に気を遣って黙っているのかもしれない。
「ちょっとジュース買ってくるね」
鴎は立ち上がりながら二人に告げた。
「二人はいらない?」
「私はいい!」
「私も、結構、です」
妙に細かい区切り方が気になるが、とにかく教室を出る。
鴎は自身の配慮に満足しつつ階段を下りたが、いつでも二人きりにもなれた家で話していなかったのだから、結はクレアにあの放課後のことを伝えるつもりはなかったのかもしれない、と思い至る。
クレアに詰め寄られる姿を想像すると、取り残してしまったという気持ちが強くなった。戻ろうかとも思うが、何も持たないのはそれはそれで不自然だ。
散々迷ったが、帰ったあとの雰囲気で判断しようと決め、止めていた足を動かす。
購買は人が多かったので、校舎の外にある自販機を目指した。時折制服姿でない成人を見かけるのは、OBか、生徒の保護者に違いない。中にはやけにかしこまった服装もいるので、来賓も来ているのかもしれない。
駐車場に目が行ったのはそんなことを考えていたからだろうか。何時にも増して多く並ぶ多色の中に、鴎は見覚えのある色と形を見つけた。
どうして、と疑問を覚えるまでもなく、鴎はそちらへ走り出した。
その人物は車のドアに身を預けつつ、校舎を見上げて立っていたが、鴎の足音に気づくと視線を下げた。こちらに気づくと、意外さが顔に浮かび上がる。
「あの、こんにちは、庵さん」
「鴎くん…?」
結の叔父、六城庵は、少し見開いた目を鴎に向けた。見慣れた黒色のスーツは車体に溶け込んでいるが、すらりと伸びた手足と文字通り俳優顔負けの容姿は、周囲に埋もれることを拒否している。
「こんにちは、どうした?そんなに急いで」
「校舎から、見つけて」
鴎は少し上がった息を落ち着かせながら、また口を開こうとした。
「その、もしかして、庵さんは」
鴎の愛読書の作家名には庵の作家としての名義がずらりと並んでいるが、見つけ次第走り出したのは何もそれが理由ではない。
結から電話で聞いた、庵とのぎくしゃくとした関係について抱いていた違和感に、校舎を見つめる孤影が答えを出した気がしたからだ。
「結の、クラスを見に来たんですか?」
期待を込めてそう尋ねたとき、結から聞いたもう一つの情報、庵の血みどろの過去についてが脳裏をよぎり、身震いをしかけた。返事への期待と同時に不安が高まる。
しかし、庵のバツが悪そうな表情と、そこに結に感じた人間臭さを見出したとき、それはフッと収まった。
「…まあ、な」
やはり、この人物は結のことを疎ましくなど思っていない。結と同じように、接し方に悩んでいるだけなのだ。
結のためにも、庵のためにも、そのことを立証したくなった。
「だったら、僕案内しますよ」
つい前のめりになる鴎の様子に、庵は少し笑みを漏らした。
「知らないオッサンと歩くのは恥ずかしいぞ」
「そんなことないですっ、それに、多分結も見てほしいと思ってるって、僕は思って」
溢れた言葉が空回りする。庵はまごつく鴎に何かを察したようだった。声量も調子もそのままでありながら、印象ががらりと変わった声がその喉から発された。
「あの子から聞いたのか?」
ドクンと締め付けるように鳴った音は、鴎にしどろもどろの返事以外を許さなかった。
「あの、その」
不機嫌になることを予想し、視線を逸らし掛けた鴎は、庵がどこか寂し気に微笑んでいることに気づいた。
二重の驚きに言葉を呑む鴎を置いて、庵は校舎に視線を戻した。
「せっかくだけど遠慮しておくよ。来た理由はそれだけってわけでもない」
同じ行動をしたわけでも、発言をしたわけでもない。それでも、庵が見せたのは姪に通ずる不器用さで、今日の彼女を見ていた鴎にはそれが痛いほどよく分かった。
「あの…!」
とにかく言葉を絞り出すことに懸命だった鴎は、庵がその必死な姿にどこか安心した表情を見せたことを知り得なかった。
鴎の言葉を封じるように肩に置かれた手へ向けかけた顔が、庵の言葉に引かれる。
「でも、ありがとな」
言い終わる前に、庵の手から鴎の中に何かが流れ込んできた。
その瞬間、鴎の視界が一変した。正確には、鴎にとっての世界が有り様を変えた。草むらに潜むパンくずほどの虫たちの、その背中の模様までよく見える。コンクリートのひび、山々の木の本数、誰かの車に置かれた週刊誌の見出し。気づいてすらいなかった情報の洪水に、鴎は頭が真っ白になった。
重いものが、その衝突に耐え得る重さにぶつかる音で我に返る。
庵の体はもう運転席に沈んでいた。
「それ、役に立つかもしれない。まあ何もない方がいいんだが」
「え、それって…」
「じゃあ、またそのうち」
去っていく車の姿を立ち尽くして見送った鴎の頭は、置いていかれた、という一語が占めていた。