鴎の苛立ち
役者は揃ったので輪は解散し、リハーサルが始まった。
仁の演じるシンデレラが、同じように剛史の演じる継母とその娘たちにいじめられる。本番では化粧もするらしいが、今回は衣装を着ているだけだ。一年生にしては大柄な二人が女物の服を着ている絵面は、幻想的とも不気味とも言えた。
しかし二人とも演技に対しては誠実そのもので、素人なりに全力で役を演じていた。周りもそれに触発されたように役に入り込み、開始前の気の抜けた雰囲気は一変して真面目な、程よい緊張の漂ったものになっていた。
結も、出だしが周りをビクつかせるほど大きな声になるという、発声に不慣れな者にありがちなミスはあったが、恥ずかしさは顔の色だけに留めて最後まで演じきった。量は少ないとはいえ、この短い間にセリフをきちんと覚えたのは流石“可能種”と言ったところだった。
問題らしい問題と言えば、一つだけだった。小手川と原田の担当だった城の背景がまだ半分も完成していなかったのだ。持ってこられたのは未だに着色もされていない台紙だけで、絵もこれで完成とは言い難い出来だった。
それを除けば滞りなくリハーサルは進み、シンデレラが家族愛の大切さを継母に説き、二人が抱き合うシーンで終わりを迎えた。
部活へ向かうために急いているクラスメイトを集めると、監督である迫は大方問題ないことを伝えた。
「皆ちゃんとセリフを覚えてくれていたのでよかったです。本番も頑張りましょう」
「小学生かよ」
迫が短いスピーチを終えると、横に立っていた佐藤が進み出る。
「大道具は本番までにちゃんと作っておいて下さい。担当は?」
「あい」
この期に及んでもやる気のなさそうな原田と小手川が手を挙げた。
「お願いね?間に合いそうなの?」
「あー、多分」
「てか本番の日には部活組もするんだろ?平気平気」
態度にムッとしたのか、佐藤はまた小言を口にしようとしたが、部活生たちから無言で急かされ、渋々解散を言い渡す。
「じゃあな」
「あ、うん」
女装のまま走り出す友人二人を、逞しいなあ、と思いながら見送った鴎は、教室を出ていこうとする原田たちに気づいた。これから大道具組は作業をするはずだが、あの二人にはそのつもりがあるのだろうか。
以前話をしていただけに思うところのある鴎は、静かにその後を追った。
前回に近い場所で声をかける。
「原田、小手川」
振り向いた二人はへらへらとした笑い顔で、それを目にした鴎は自分の中の不満がみるみる膨らむことに気づいた。
「あ?なんだよ鴎」
「どこ行くの?」
「ちょっと休憩だよ、休憩」
「作業はどうするんだよ」
原田たちは鴎の喉から出た低い声に少し顔色を変えた。しかし、驚いたのはむしろ鴎の側だった。
どれだけ機嫌が悪かろうが相手が気に食わなかろうが、知人にこんな口の利き方をしたことは無かった。
ちらりと視線を見交わす様に、見慣れぬ鴎の不機嫌さへの二人の小さな動揺が見て取れる。
それでも、日頃大人しい生徒が凄んだ位で態度を変えることには抵抗があるようで、結局、原田はいつも通りだと殊更アピールするかのように声を張った。
「あとからするって」
その場逃れでしかない返事に、腹の奥でチリチリとした熱が生じる。それはそのまま口上に乗った。
「道具持ってないぞ、教室からとって来いよ」
「うるせえなあ」
言葉通り、耳元にたかる蠅を追う仕草で、小手川が手を振った。
小手川には元々そういう手ぶりを平気でやるところがあり、特別鴎を煽るつもりではなかったろうが、された側には関係のない話だ。
鴎はとうとうわずかな自制心もかなぐり捨てた。
「うるさくてもやれ、子供じゃないんだから」
もう遠慮はなかった。威圧的な言葉を選んで口に出す。
にやけ笑いが崩れ、歪みだけが表情に残った。
二人も面と向かってそう言い放たれると苛立ちを覚えたのか、作業の遅れという負い目を感じていない声で言い返す。
「いや、別にすぐじゃなくていいだろ」
「つうかお前に言われる筋合いねえし」
「リハーサルに間に合わせるて言ったのはどっちかもう忘れたのか」
慣れない言葉遣いでも、鴎が激しい感情を込めていることは変わらない。明らかに気分を害した形相の原田たちと睨み合う。
そうしながら、鴎は自分がどうしてここまで怒っているのかを考えていた。
頭の隅では冷静だから、ではなく、エンジンが動くのには燃料を必要とするのと同じで、ふつふつと煮えたぎる怒りが理由を求めているからだ。
鴎はおとなしい人柄から、他人に軽んじられることが少なくないが、普段ならそれに反発も覚えない。それどころか相手に対して気後れすることもあり、だからこそ舐められる。
そう、いつもはどうともないのだ。
ならばどうしてかという再度の自問に、先ほどの体験が応える。リハーサルを見ていたからだ。
友人たちが一生懸命に汗をかいていた姿を見た後だと、原田たちの態度は心底頭にきた。
これが後にしこりを残すことになっても、鴎は黙っていたくなかった。