代役
「あー、鴎!つまんねーから何かしろ」
「絵にかいたようないじめっ子」
「じゃあ一発ギャグしまーす」
「するのかよ」
鴎は仁と剛史から離れると。頭を両腕で抱えて床に這いつくばった。そして無言で尻を突き上げる。
「尻上がり」
「…ぐふっ」
「…いや、今のは駄目だろ、つまんねーって」
「えー、じゃあ仁がしてよ」
「ああ!?ったく…」
「お前もするのな」
本番の撮影は三日後の月曜に行い、水曜日と木曜日の文化祭に二日間教室で上映するのが、文化祭終了までのスケジュールだ。
今日はビデオ撮影のリハーサルだ。通しで演技を行い、撮影も行って問題点を洗い出す。時間の関係上行えるのは一度だけだが、撮り直しが容易だという認識もあってクラス内に漂う緊張感はそれほどではない。
とはいえ、鴎がどうして主演級の二人と一緒にだらだらと喋っているのかというと、まだ役者が一人来ていないのだ。王子付きの兵士の一人で大したセリフのある役でもないが、部活動参加者の多い出演者が全員揃うのは、本番の他には今日くらいしかないという事情があり、皆で待っている。
「俺今までずっとイヤホン無しで音楽聴いてたんだけどよ」
「うん」
「昨日何となくイヤホンで聴いてみたのよ、結構変わるらしいからさ」
「うん」
「そしたら今まで聞こえてこなかった楽器の音とか聴こえてよ、すげー、ここでドラムが鳴ってたんだ、とか感動してたのよ。俺こんなリズムが裏で流れてたの気づいたことなかったわ、イヤホン耳悪くなりそうだから敬遠してたけど、いいとこあるじゃんって」
「ほーん」
「で画面見たらよ、違う曲聴いてたわ」
三人で馬鹿笑いしていると、教室に何人かの女子が入ってきた。深刻そうな顔をして文化委員たちと話している。
「どしたの迫ちゃん」
寝転がっていた仁が立ち上がり、ほこりを払いながらそちらへ近づく。鴎と剛史も後に着いていった。三人と同様に、教室に散らばっていたクラスメイトが迫の話を聞きに集まる。
「今来てない津川、何か熱出てきて保健室行ったんだって」
「えー!?」という驚きの声がいくつか漏れ、続いてどうするのかと問う視線が迫の顔に集中した。
「多分今日は無理だから、誰か代わりにしてくれませんか、兵士の役」
そして誰もが予想していた通りの言葉に、誰もが目を逸らす。鴎も咄嗟に顔を下げてしまった。
また人任せの時間が始まる前に、自分が立候補してしまおうかという考えが浮かびはしたものの、中々踏ん切りはつかず、右の手の平を開きかけては閉じてを繰り返すだけだった。
そんなはっきりとしない空気を切り裂く一本の腕が、視界の端で伸ばされていた。
「あ、六城さん!お願いできるの!?」
結は佐藤に頷くと、
「私でよければ」
と短く答えた。
その場の生徒のほとんどは出演を免れたことに胸を撫で下ろしていただけだったが、鴎とクレアだけは結の顔を驚きの灯った瞳で見つめていた。
クレアから耳にした話が鴎の頭の中で再生された。結も自分の性格を変えたいと思っている、それは事実だったのだ。その証拠に、文化委員と話す結の頬は緊張の名残で僅かに赤みがかっている。
自身が悩んで答えを出せなかっただけに、鴎は結の偉さがよく分かった。どれだけ心構えをしていても、ああいった場面で自発的に行動するのは難しいものだ。
鴎にとって結が特別なのは、何も思春期らしい混乱した感情だけが理由ではないのだ。出会ったときから、自分にはできなことをやってのける彼女の姿は、鴎に敬意とはどんなものかを教えてくれた。
”可能種”だからで片づけられることではない、同じ日頃周囲に埋没しがちな高校生同士として、結の挑戦は鴎に鮮やかな衝撃を残した。
そして同時に、俯いていただけの自分を責めたてる、前向きさを孕んだ劣等感が沸き上がった。置いていかれるだけではいたくないというクレアの気持ちが今はよく分かる。
そこで鴎がハッと気づいたときには、クレアの顔は他の生徒の影に隠れてしまっていた。