クレアの目標
無責任に対応するのは躊躇われ、鴎は一度クレアたちのことを整理した。
結とクレアは、最近周りの生徒と関わる機会が少し増えたようだ。しかし、おそらく故郷でひどい扱いを受けていたクレアは、知らない多数と話すことに恐怖を感じている。それは以前話しかけられていたときに見せた強張りから察せられる。
そういえば、“楔”のない“可能種”は、普通の人には存在を認識されにくいという話だったが。今の二人はどうなのだろうか。
目線を変えることも意図して、鴎は問う声を発した。
「あのさ、今って、クレアと結は他の人にどう見えてるの?」
「日頃は意識してなくて、用事があったり話すときは、ああ、そういえばいたな~、って感じ。ちゃんと認識されてるならこんなに可愛い女の子放っておかないでしょ」
「…」
「結だって、ほんとはもっと存在感出せるはずだからね。その内そうするかも」
「…ふーん」
確かに最近、結を見る男子の目が変わった。もしクレアの言う通りになったらきっとモテるだろう。
「…」
深刻そうな顔でじっと考え込む鴎を横目で眺めつつ、クレアは解いた足をぶらぶらと動かした。背後から覆うように広がる校舎のうっすらとした影の中で、二本の足型の影が揺れ動く。
「目立ちたくないからそうしてたけど、変えたいって言ってた。変わりたいって」
「…そうなんだ」
意外にも、結らしいとも思った。気づかれていなかった入学当初ならともかく、周りと交流するようになった今、苦手なまま放っておく性格でもない。
日が当たり、目をそむけたくなるほど強い光を返す地面を見つめるクレアに、鴎は寂しさに似た表情を見つけた。
「クレアはみんなと話せるようになりたいの?」
「…うん」
太陽に雲が差し掛かり、辺りの色合いが柔らかくなった。クレアは眩しい光に疲れた目を休ませるように、自身の靴先を見つめた。
「いつまでもあの子にだけ話させるのは、なんかやだ」
心ならずも対応を任せてしまったことに気後れする部分が、それに、変わろうとする結に置いていかれたくないという思いもあるのだろう。
「…僕はできると思うよ、クレアなら」
近頃の仲の良さを思い出すと、そんなしこりを抱えたままの姿を見るのはやるせなかった。なんとかクレアを元気づけたいという気持ちが強まる。
「みんなはクレアと話して仲良くなりたいから話しかけてるんだよ。クレアを傷つけようとしてた連中とは違う。だからそんなに構えることないよ。初めはちょっと勇気がいるかもしれないけど、そこを乗り越えたらなんてことないはずだから」
鴎は強気に見えるように、口角を上げることを意識して笑って見せる。
「なんたってみんなが放っておけないくらい可愛いんだから。そうなんでしょ?」
クレアは軽く驚いた顔をしたが、微かに笑い返すとそれを顔に刻んだまま、正面に視線を戻した。
こうして黙っていると、結に似ているなあ、と鴎は思った。
瞳の形だとか、唇の色が、といった細かい部分部分ではなく、その造形の整い方に姉妹の面影を感じる。
「まっ、やってみるか」
隣から届いた自身を鼓舞する声に、鴎が抱いていた深刻さは薄れた。そのままのん気な気分で座っていると、クレアが口を開いた。
「そっちこそ、あんまり気にしなくていいからね」
何の話か分からず、キョトンとした顔になる。
「そんなに嘘つきでもないから、あんたは」
「ああ…」
確かに先ほどまで気にしていたが、クレアの悩みを聞いた後だと、どうしてあんなに落ち込んでいたのか自分でもよく思い出せなかった。
「ただ」
「?」
「自分の気持ちには素直じゃないみたいだけど?」
どこか上から目線な調子と、堪え切れないと言いたげな口元の笑みに、鴎はゆるゆると立場が悪くなるのを感じた。クレアがこういう態度をとるのは、決まって鴎をからかうときだ。
「な、なに言ってんだよ」
クレアは黙ってにやけている。楽しそうにキラキラと輝く青色の目には、何もかもお見通しだと書いていた。
何のつもりだ、こいつ。
下手にこちらから尋ねれば、思わぬ箇所に飛び火するかもしれない。鴎はクレアの出方を探ろうと静かに待った。
「…若い男女が」
「…」
「夜中に二人きりで…」
「…」
「電話を…」
「…!」
背中をたらたらと冷や汗が伝った。隠しきれない動揺を嗅ぎ取ったクレアが人の悪い笑みを濃くする。
ひょっとして、と鴎は思う。
今、クレアと結は同じ家に住んでいるはずだ。ひょっとして、あの夜の会話をクレアにも聞かれていたのだろうか。
そんなことがあるはずない、という思いと、結から時折感じるどこか抜けた印象が、脳の回転を鈍らせる。
どうしよう。
結の部屋は声が外まで漏れるような構造なのか、あの時間帯にクレアは家で何をしているのか。まるで情報がない。
散々迷った挙句、鴎は被害を最小限に抑える道を選んだ。
「…ああいう会話を盗み聞きするのってどうなの」
「なに、やっぱり聞かれたらマズいこと話してたの!?」
結局藪蛇だった。瞳を一層輝かせて身を乗り出してくるクレアに、鴎は役立たずな頭を抱え込んで殴りつけたくなった。
「へえー、あんた意外と積極的」
「じゃないよ…」
そんな度胸はなかった。何か浮ついた話があったわけでもない。ただ誤魔化しただけだ。
鴎はそのことも思い出し、自分の優柔さがひどく情けなくなる。クレアにポンポンと優しく背中を叩かれるが、却って惨めな気分になった。
「まあまあ。実際今はまだ早かったって。もうちょっと距離詰めてからの方がよかったはずだからそんなに気にしなさんな」
「なにがさ…」
ぐちゃぐちゃになった頭の中ではもう恥じらいもない。
ひっそりとため息を吐く鴎を見て、クレアは忍び笑いをしていた。