ガラスの十代
昼休みの教室では、気のせいか、生徒たちがいつもよりはしゃいでいる気がした。実際に作業を始めたことで、文化祭を自分たちが行うという実感が増したのだろうか。
「お前らシンデレラに転生したらどうする?」
「家族に復讐する」
「家から追放されてそう」
主演でありながら部活動であまり稽古の時間がとれない剛史と仁は、昼休みの食事中にも台本を読み込んでいる。結果として、話題は何時にも増して下らない、中身のないものだった。
今の質問も、仁は剛史の答えに満足してしまったらしくそれ以上口を開かなかった。周囲の喧騒も耳に入らない顔で台本の字を追っている。
口へ運ぶまでの間にポロポロと米粒を落としている剛史が、
「生板って書いてまないたって読む地名があるらしい…あれ、どっちだっけ」
「あってるぞ」
「なんで知ってんの?」
「…なんでだっけ」
当人に分からないことが他の二人に分かるはずもなく、会話はそこで途切れた。
黙々と食事を進める時間を間に挟んで、今度は仁が口を開いた。
「お前ら作業どうなん?」
「…んー?」
自分が尋ねられていると気づくのに少し時間を要した鴎は、一緒に読んでいた台本からおもむろに視線を上げると、最近の放課後どうだったかを思い出していた
次の日は忘れていたと言うのでので仕方がないということになったが、二人の会合への不参加はそれからも続き、今日までその進捗は彼らだけが知る所となっている。
後で泣きを見るのは自分たちだというスタンスの女子たちは、敢えて男子たちのことは放っておくつもりの様だった。
「男子が不安かなあ」
鴎が事情を話すと、仁は眉間に皴を寄せた。
「小手川と原田だけって、マズくね?あいつら真面目にこつこつなんてタイプじゃねえだろ」
言われて、黒板の端に貼られた紙を見る。夏季休暇中の数学の課題未提出者のリストであり、そこには二人の名前があった。
他に監視役もおらず、遊びたい盛りの男子だけで行っているという不安材料が傍らにあることを思うと、仁の指摘はそう簡単に聞き流せるものでもない。
「お前聞いといた方が良いんじゃないか?」
「確かに、後で話しとこ…」
剛史の言葉に鴎が頷く横で、仁が首を捻った。
「おい」
鴎たちの視線を誘導するように台本を指さす。
「何回確認してもキスシーンねえぞ」
「当たり前だろ、高校生がチューなんて10年早いわ。妊娠したらどうすんだよ」
「現政権の調査によれば未成年の八割が恋のABCのAにもたどり着いてないからね、過激すぎるよ」
「鴎って根が嘘つきなんだろな」
「え…」
発言は唐突だったが、それが心中に落ちていくにつれて、丸きり事実無根でもないという心当たりが見つかった。同じ非難をされた記憶に直近の日付が書き込まれている。
自分が言われた通りの嘘ばかりついている人間だという気がしてきて、鴎はショックのあまり固まった。
二人はそんな友人に温情を見せるような真似はしない。鴎抜きで会話は進む。
「そんなにしたいのかよ」
「したい!」
仁は辺りの様子を窺うと、ひそひそ声で、
「みんなには内緒だよ?」
「言うの遅くね?」
自分はそんなにも嘘を吐いてきたのだろうか、と鴎が苦悩していると、小手川と原田が教室の前を通るのが見えた。
「ちょっと話してくる…」
鴎は立ち上がり、酔漢にも似たふらふらとした足取りでそちらに近づいた。
「でよお、金魚が自分のうんこ食ってる横でうさぎが自分のケツ舐めてんの!」
「ぎゃはは!汚ねえ!」
教育委員会関係者が聞けば眉を顰めるような低俗な会話だ。同類だと思われることに少し抵抗があるので、鴎は周囲に人気が無くなったときを見計らって話しかけた。
「原田」
ギザギザ眉毛がこちらを向いた。
「お、女子にモテモテの里見君じゃないですかあ」
肘を肩にぶつけてくるにやけ面にため息を堪えながら、
「作業だけどさ、文化祭の」
露骨に嫌な顔をしているが、構っていられない。
「ちゃんと間に合いそう?リハーサルはもうすぐだよ」
「あーあー、わーってるって」
「本当に?」
「ホントホント」
ラジオをぶら下げた案山子と話しているような手ごたえの無さに、これはだめかもな、という思いが過った。
何を言っても気怠そうに首をカクカクと振っている。同級生の忠告など意にも介さない性質らしい。
鴎としても、知人程度の間柄で催促するのは避けたかったが、この態度では信じようにも信じられない。
そこで剛史たちの顔が頭に浮かび、思いついたまま喋る。
「あれだよ?女子も心配してるよ?」
「女子ぃ?女なんか怖くねーよ!な!」
「そうそう!ぎゃはは!」
逆効果だったようだ。あの二人なら道具を取りに教室へ張り出していただろうに。
そもそもこんな場合に、他人がどう思っているのか、なんてことを引き合いに出しているから、自分は情けないままなのではないか。
仁の指摘も相まってナーバス気味の鴎は、TPOを弁えない自己批判を始めてしまい、二人が歩き去るのに気づかなかった。
「まあ撮影には間に合わせるからよお」
「あっ…」
肩越しにひらひらと振られる手を追いかけようとしたが、足を踏み出すだけの力が湧いてこない。俯くと、今度は堪えずにため息を吐き、鴎は気が進まない足取りで歩き始めた。