夜の着信
時刻が午後九時を過ぎたころ、課題を終えた鴎は、自室でベッドに寄りかかりながら今日聞いたことを思い出していた。
“万能種”の“近縁種”、“可能種”たちが束になっても敵わないその化け物に、庵は一人で戦いを挑み、倒した。最強の存在。
しばらくその説明を弄んでいた鴎だったが、いくらたっても記憶の中の庵の像とは結び付かず、文字の仰々しさに負けたように頭が傾く。
夏休み前にした最後の会話を除けば、庵は鴎にとっていつも人当たりの良い、気の優しい人物だった。鴎があれほどに親しみを持った大人は、庵の他には伊那くらいだ。
確かに怒ったのを見たときには、穏やかな表面にくるまれていた荒々しさが覗いたのを感じたが、一つの家を滅ぼしたという血生臭さには直結しない。
クレアが他との違いを感じ取っていたのは、本人の証言通り、似た例を知っていたからか。二人は庵の戦場に近い姿を知っていることも関係しているだろう。
想念が庵のことにばかり留まっていたのは、それを口にしていた結にまつわる苦さを避けていたからだ。
絡まった思いを放り投げたが、本を読む気にもなれず、そろそろ寝ようかと考えたとき、数時間前に聞いた音が耳朶を打った。
こんな時間に誰だろう、と重い頭を動かす。机の上で震える携帯の画面には、結という一字と、着信はそこからだという事実が記載されていた。即座に伸びた腕で掴み、パネルを叩いて応答する。
「もしもし?」
音の出し方を忘れていた喉が、調子はずれな声を出す。
「…鴎くんですか」
「うん、そうだよ」
まだ声は上擦っている。
いい加減に起きてくれ、と喉を殴りたくなった。
「どうしたの、結、だよね?」
「はい」
どことなく頼りない声の後、何の反応もない。
鴎が無音で通話を切る方法があるのだろうかと疑い始めたとき、
「叔父に聞いておきました」
「ああ、うん」
「どう使っても構わないそうです。ただ、自分の作品よりも、おとぎ話や昔話の方が適していると思うとも言っていました」
「そっかあ」
てっきり明日の朝教えてくれるのかと思っていたが、わざわざ電話してくれた。大したことでもないはずだが、無性に嬉しくなり、そのまま思いが口をつく。
「ありがとね」
「いいえ…」
庵のアドバイスは、鴎の題材に対する迷いを、そして同時に、庵に対して芽生えかけた、猜疑心とも呼べない小さな昏さも払拭した。
言われた通り、明日は有名どころを提案して、後は皆に決めてもらおう。そう考えを纏めていた所に、囁き声に似た小ささで、名前を呼ばれた。
「鴎くん」
「はい!?」
「まだ、昼間の話を聞きたいと思ってくれますか?」
あの豪邸ならそんな心配は不要だろうに、結の声は誰かに聞かれることを恐れるようにひどくか細く、夜の闇を貫く力はなかった。そうしていないと消え行ってしまう気がして、鴎は唯一の繋がりである携帯を握りしめる。
「うん、途中、でもなかったけど、聞きたいよ、まだ」
返事が遅れればそれだけ声は小さくなりそうで、消えてしまう前に鴎は口を動かした。それが幸いしたのか、今度の沈黙は短かった。
「鴎くんには、私と叔父は、仲が悪そうに見えますか」
「え?うーん…」
「正直な答えを聞かせてくれませんか」