行きつけ
HRやら何やらが終わり放課後になると、鴎は教室を出て帰ろうとする結に声を掛けた。勿論とでもいうべきか、隣にはクレアも一緒だ。
「何、告白?」
「よくないよ、そういう茶化し方」
「どうしたんですか?」
「うん、ちょっとお願いしたいことがあって」
すると、何故かクレアの顔が明るくなった。
「長くなる?」
「え?うーん、そんなには…」
「長くなる!きっと長くなるからどこかで休んでから話そう!」
そう言ってもう階段を駆け下り始めた。ポカンとしている鴎の横で、困った風に息をついた結が、
「鴎君はそれでもいいですか?」
「あ、うん」
問いかけの光を投げる瞳に、こうして二人だけで話すのは久しぶりだ、と思った。心臓が収縮する周期がゆっくりと短くなる。
「では行きましょう」
そんな小さな動揺も束の間、結はクレアの後を追いかけるように歩き出した。鴎はその動きにせっかちだと指摘された気分で、心臓はいつも通りのペースに戻った。
本題とは関係のない雑談をしながら、二人がよく来るらしい喫茶店に到着した。時間帯のせいか、それほど繁盛はしておらず、店内に流れる慎ましやかな楽曲は、鴎にはジャズだかクラシックだか判別できない。
鴎が首を回して、壁に立てかけられた英字の雑誌や空のボトルを、好奇心を隠し切れない瞳で眺めていると、クレアのにやけ顔に気づいた。
「あんた行きつけの店なんかないでしょ」
「あるよ、と、床屋とか」
ほら見ろ、と言わんばかりの表情に、鴎は内心苦々しさを覚えた。
咳払いの代わりに、涼やかな結の声が響く。
「それで、お願いというのは?」
「えっとね、文化祭の企画、この間決まって、僕はどんな話をするのか候補を決めなきゃいけないでしょ?それでさ」
あれから悩んだ結果、鴎の頭に残ったのは、
「庵さんって、そういうのに作品使われるのどう思うかな?」
やはり、万の、庵の本だった。以前出版されたショートストーリー集の中に、コメディ色が強いものがあったことを思い出したのだ。
しかし、場が場なだけに話はあちこちいじられる可能性が高く、それを庵がどう思うか分からない。人によってはこんな話を持ち掛けられただけでも起こるかもしれない。
それにファンの鴎としても勝手に扱うことは憚られる。かといって他に良い案があるわけでもない。
一向に思いつかない答えの代わりに迫る期日に焦り、とりあえず姪の結に相談してみることにしたのだ。そこまでを赤裸々に語ると、鴎は結の反応を待った。
結はいつも通りの落ち着いた様子で少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「気にしないと思いますよ。完全に趣味だと言っていましたし、前に叔父の小説を小馬鹿にしたような本が出ていたときもまるで無関心だったので」
「ああ、あったね、そんなことも」
「一応今日聞いておきますね、それから連絡します」
「うん、ありがとう!」
二人の会話を興味無さげに見ていたクレアが、これまた興味無さげに質問する。
「あの人本書いてるの?」
「うん、万桐生って名前で、面白いよ」
「へー」
そうして場が静まると、クレアはまた鴎に話を振った。
「あんたって何月生まれ?」
「十月だよ」
「あんたは?」
「五月です」
「そういうクレアは?」
まずい、という顔をしたクレアは、窓ガラスに顔を向けて誤魔化そうとした。
「まあ、それはおいおいね」
「ひょっとして結より遅生まれ?」
じゃあ妹だね、と口にしようとした鴎を一睨みして黙らせる。
どうやらそれには触れられたくないらしい。
再び沈黙が訪れると、結が立ち上がろうとした。すると、クレアは慌てた素振りで、
「昨日は何食べた?」
と鴎に訊ねてきた。
「カレー。クレア、帰りたくないの?」
さっきから、場繋ぎの会話が続いている。それにしてもクレアの話題の振り方は下手くそだと思うが。
「…だって、帰ったら訓練だし」
「訓練?」
なにそれ、と続けようとして、鴎は、結がクレアへ咎めるように向けた視線に気づいた。クレアも込められた色合いに気づいているようだが、この間叱られたときとは違い、逸らすことなく結の目に真っ向から立ち向かった。
「これくらい教えるのも嫌なの?知ったって鴎には何もできないでしょ?」
事情の分からない鴎の不安げな両目がその間を二、三度行き来した後、青々とした澄んだ色に押されて根負けしたのか、結はゆっくりと席に着いた。
「あの、どうしたの?」
「…最近、家に帰ってからは訓練をしているんです」
気乗りしない様子だったが、結は鴎に答えてくれた。
「私も結も、新しく“遺産”を貰ったんだから」
新品のおもちゃに喜ぶ子供に似たはしゃぎ方のクレアの横で、結も静かに頷いた。
“遺産”は、二人と同じ“可能種”が、未練を抱えたままこの世を去るときに遺すものだと聞いている。クレア曰く大変貴重なもので、これまで扱ったことは無いとも言っていた。
「へー」
結の持っていた“翠嵐”とかいう“遺産”は、自由自在に風を操っていた。今度は一体どんな代物なのだろうか。
「それじゃあ、二人で組み手でもしてるんだ」
「んーん」
「相手は叔父です。二人がかりで挑んでいます」
「え?庵さんって戦えるの?」