発言
そこで鴎は、教室の雰囲気が変わり始めたことに気づいた。
最初は二人がバカをやっているのを見る、いつも通りの冷めた視線だった。しかし今は、二人の口を開いている方へ目線を動かしながら、黙って話を聞いている。友人同士だからこそ、討論に真剣味があると感じられているようだ。
この状況も、伊那は予想していた。事前に聞いていた身としては、その正確さは怖いくらいだ。本来一人ずつ企画を提案するだけの時間に、剛史と仁だけが長広舌を許されている。
「当日まで練習がある上に、当日も空き時間が削られて他のクラスの出し物を楽しめない」
「それだけか?そんなの...」
「それに恥ずかしいだろ、皆に見られるのは」
剛史の言葉への無言の同意が場を満たした。結局、皆が演劇を嫌がる最大の理由はそれで、それに比べれば他のことなど些末事だ。
「誰も目立ちながら劇なんてやりたくない」
これに皆が納得する答えを出さなければいけない。少なくともこの場において。
「それとも何か、解決策があるのか?」
つまり、仁のナイスアイディアが活きるのだ。
「ここでようやく鴎くんだね」
「え、僕ですか?」
「それってなんかお前が主役みたいでズルいな」
「確かに」
「いやぁ、二人が喋る量に比べれば鴎くんは挨拶程度だよ。二人の方がみんなの印象には残るさ」
「ふーん…じゃあいいか」
「まあな」
今にして思えば、あれは二人を納得させるためだけではなく、自分の背を押すためだったのだろう。
挙げた手に向けられる幾つもの両目に、胃へと迫るものを感じながら、鴎は、伊那のその判断は間違っていなかったな、と思った。
試合などで緊張する場面に慣れている二人に対して、自分はこの段階で既に喉が渇いている。
友人たちにおだてられて、そして自分の中の小さな都合に浮かされて、つい承諾してしまったが、この日が近づくにつれて馬鹿をしたものだという思いが強くなった。しかし、この段階で後悔したって仕方がない。その方が余程愚かだ。
鴎は生唾を飲み下し、腹に力を入れた。
「えっと、里見くん」
司会の役を思い出した佐藤が、両者の沈黙を確認して鴎の発言を促す。「はい」と出した声が枯れていたので、鴎は慌てて小さく喉を鳴らす。
「あの、ステージを使って劇をするんじゃなくて、事前に動画を撮って、それを教室で流すのはどうですか」
「教室で…?」
クラスメイトが漏らした声に頷く。
「この方法なら、ステージが使用できるかは問題じゃないし、全校生徒の前でしなくていいです。取り直しも出来ます」
「…それに当日も空き時間ができる」
今気づいたような顔で剛史が呟く。事情を知っている身としては白々しい態度にも、周囲から確かにそうだと認める声が聞こえた。鴎は今になって後ろめたさを感じたが、ここで中断しようとするほどではなかった。
「さっき二人が言ってた問題はクリアできると思います」
上がってしまうのを口の動きに集中することで誤魔化していた鴎は、自分を映す瞳の中の、とりわけ輝いて見えるそれを意識に捉えてしまった。
「それに」
そうだ、これを伝えたかったのだ。
「楽しいはず、です」
そうして喋り終わらない内に、こんなことをしている動機と、それが如何に独りよがりなものだったかを思い出し、口をついて出た付け足しの言葉は尻すぼみになって消えた。
「まぁ、それなら」
剛史に注意が集まるうちに、鴎は席に着いた。佐藤はそれで鴎の意見表明が終わったと見なし、黒板にビデオ撮影、と書いた。
ざわめきを残す教室を見回し、念を押すように
「もう他の案はありませんか?」
反応はない。鴎たちも、事前に打ち合わせていた遣り取りはこれ以上なかった。
「それでは投票をしたいと思います。一人必ず一度は手を挙げてください」
鴎は黒板を確認する。残っている文字の中で人気がありそうなのは、お化け屋敷や巨大ピタゴラスイッチ辺りだろうか。朝顔成長日誌のようなふざけたものは泡沫候補と呼んでいいだろうが、それが多いことが鴎たちにとって良いことなのか悪いことなのか、判断がつきかねた。
時折例外はあっても、大部分は発案者すら手を挙げない哀れなそれらが消されていくと、対立候補のお化け屋敷の名前が読み上げられた。
「賛成の人は挙手してください」