ライブ
土曜日、鴎は家でイヤホンを両耳にはめて、お気に入りの曲を聴いていた。
休日は本を読むのに疲れると、こうしていることが多い。床に座って目を瞑っている姿は、音楽鑑賞が趣味に見えなくもない。
しかし、ギターあるあるでよく聞くFコードでの躓きも、そもそもFコードが何か知らないのでよく分からない。ビブラートもどういう意味か知らない。カラオケでしゃくりと書いていたらしゃっくりをする。その程度の知識量な為に、音楽へのこだわりも特にない。何となく気に入ったものを借りてきて聞くだけだ。
今日も、少し前に街を歩いていたら耳に入った、両親の世代のヒット曲を流しながら床に座って目を閉じていた。その内自分も一緒に歌詞を口ずさんでいると、それがライブバージョンだったために、実際に会場で歌っているのは鴎自身のような気がしてきた。
ふんふん言いながら床を軽くたたいてリズムを取る。次第に楽しくなってきた鴎は、体を右へ左へ揺らしながら、マイクを持っているように握った左手を顔の前に持ってきた。決して隣室には届かない抑制された声量で、
「スタンドのみんなー?」
そしてマイクを右へ突き出す。「うわあああ」、という歓声が幻聴になって鴎の耳に届いた。
気分が良くなった鴎は、もう一度エアマイクを持つ。
「二階席のみんなー?」
マイクを差し出した先から、割れんばかりの声の渦が聞こえた気がした。
「ありがとー!」
歌うのを再開すると、本当に何万人もの熱気が感じられるようだ。いや、せっかくだから楽しもう。今、自分は確かに、夢だった武道館ライブを行っているのだ。そういうことにしておく。
後ろでベースのTAKAが手を振っている。お調子者かつムードメーカーのTAKAは、先ほどフリートークで笑いをかっさらったばかりだ。
Mr,WATASANはドラムを叩きつけながら激しいビートを刻んでいる。一人だけ年の離れたMr,WATASANの、その分年季の入ったスティック捌きに皆が夢中だ。
クールなギターのGEORGEは、今回も黙々と弦をかき鳴らしている。そのセクシーな指使いでどれだけのファンを虜にしてきたのだろう。
三人の織り成すミュージックは、時代の最先端であり、最高潮だ。会場中と一緒に、鴎はその音へ身を任せる。夢にまで見た体験が、今自分たちに訪れている。ここまでついてきてくれたメンバー、ファンの皆を、鴎はその歌声でさらに先へと連れて行くのだ。
サビ前が終わり、鴎はもう一度マイクを握りしめた。先ほどまでは小さめだった声が、無意識のうちに大きめになる。
「アリーナのみんなー!?」
叫びながら目を開けると、窓の外から結とクレアがこちらを見ているのが見えた。
「…」
「…」
二人とも突然頭をはたかれたようにポカンとしている。
「…」
はたかれるどころか拳銃でもぶっ放された気分の鴎は、だらだらと滝の汗を流して固まっていた。