遊園地デート
里見鴎はなんだかやたらふわふわした空間で、やたらけばけばしいベンチに座っていた。
先ほど男女混合100mハードルで優勝したお祝いにどこかレジャー施設に来ているのだ。
隣には同級生で友人の六城結が座っている。確か職種か何かが三文字程度の独特なものだったが、パッと頭に浮かんでこない。しかしその肩書が無くとも、彼女は鴎にとって、接していると心が弾む存在だった。結に祝ってもらえるのなら、あのバカ高いハードルを飛び越えた甲斐がある。
その結と一緒に並んで、鴎は何かを食べていた。とはいっても、鴎は自分が持っているそれには手を付けず結の方ばかりを見ていたが。
そうさせるのは、雪の結晶のように繊細な造形の顔で、鴎の視線を奪い見とれさせるほどに整っている。
レジャー施設にしてはBGM一つ流れておらず、周りで音を発する人も物もない不思議な空間だった。世界中の音が二人の話し声に席を譲っているようだった。
「このアイス、美味しいですね」
艶のある黒髪を耳に掛けた結は、アイスをペロペロと舐めている。その途端鴎が手に持っているのはプレーン味のソフトクリームアイスになったが、そんなことで鴎の視線は揺るぎはしなかった。
一日中見ていても飽きないような深い黒色の瞳が、鴎のアイスに向けられた。
「鴎くんのも美味しそうです。食べていいですか?」
「うん。いいよ」
いいのか?
疑問の声は大した大きさにはならず、鴎はアイスを結に差し出した。
そうして結が食べた部分は、鴎が既に口をつけた部分だった。そのことに気づいてすらいない様子の結を、鴎は固唾をのんで見守った。
結はニコリと笑い、
「バニラ味って素敵ですよね」
「君の方が素敵だよ」
鴎が真顔で言うと、結は一瞬きょとんとした後、頬を赤くして、「えぇ~」と恥ずかしそうに、そして嬉しそうに身をくねらせた。
お前はそんなに大胆ではないと誰かに言われた気がしたが、無視する。
鴎は悟られないように少しずつ、さしずめ書き取りの宿題のページ数をちょろまかす子供のような小狡さで、結との距離を縮めた。
「これも美味しいんですよ」
結はイチゴ味のアイスを鴎の顔の前に持っていった。鴎は平静を装いながら、
「ふ、ふーん」
上ずった声を出しつつそれに口をつける。
すると結は、
「えっ」
と悲しそうな声を上げた。
ひょっとして、お前も食べろ、ではなくお前にも見せてやる、だったのか。
「あ、い、いや、ごめん、その」
結は、可愛がって育てた豚をこれから食べるのだと告げられた子供のような顔をしていたが、上手く言葉が出てこない鴎の慌てっぷりを目にすると、堪え切れず笑い出した。
「うふふ、嘘です。食べてください、もっともっと」
心臓が爆発しそうだった鴎としては、人が悪いなあとも思ったが、こんなに楽しそうな笑顔を見せられたら怒る気などするがはずがなかった。
語尾にハートマークがくっついていそうなほどに甘い声で勧められ、鴎は二口アイスを食べる。口触りはそこそこお高いアイスのそれで、目の前の景色と相乗して鴎の幸福度は跳ね上がった。
一段落したあと、鴎はまたずりずりと尻を動かして結に近づき始めた。直前の遣り取りもあって図太くなっていた神経に背を押され、どうせばれないと高を括っていたが、長い黒髪が開演を告げる幕のようにさあっと揺れた。
宝石のような輝きを宿した目と、鴎の目が合った。いつのまにか二人の間はお互いの体温が伝わるほど縮んでいる。心臓は先ほどのように暴れ出した。
瞳は何よりも雄弁に感情を映し出す。そこにどんな色が映りこむのか怖くなった鴎は、指先すら動かせず固まった。
そうしてわずかに細められた結の瞳は、何もかもを許容すると表明していた。それを実行するように、結は鴎から目を離して何もない足元を見つめている。
鴎は今更ながらに冷や汗を流しつつ、じっと待っている結へと、今度はひどく小刻みに近づく。薄い赤色を帯びた頬と、微かに緩んだ口元、そして小さくなった吐息は、少女が抱える期待と、それが空ぶることへの不安が表れている。
シャボン玉を扱うような慎重さとそれに伴う緊張は、鴎に時間の流れを、一秒を百等分したほどの遅さに感じさせたが、その瞬間はやってきた。
結の肩に鴎の肩が触れる。あと髪の毛一本分の先に、結が。
鴎はベッドの上で体をガクリと震わせた。そこは自分が一人暮らしをしているマンションの部屋で、肩に触れているのは二日前に洗ったベッドのカバーだった。
カーテンの隙間から漏れ刺した光が顔に当たり、意識がはっきりとした。夢を見ていたのだと気づくと同時に、体の中からとても大事なものが零れ落ちていくようで、それはもう取り戻せないのだと思うと、このまま白目を向いて横たわっていたくなった。柔軟剤の優しい香りに泣きたくなった。