雨降って
暦の上では夏が過ぎ、秋となっていても、木々からは蝉のやかましい声が聞こえてくる。しかし、それもあの茹で上がりそうな暑さの頃ほどではない。
鴎は毎年夏が終わったことを実感するために、蝉がいつまで鳴いているのか意識しているが、そのことに気づくと胸に抱え込んでおきたい類の寂しさを感じる。
そうして涼しい風に肌を撫でられながら商店街を歩いていると、知り合いの声がした。
「だから、あんたはもうちょっと攻めていいって」
「そうですか…?」
個人経営のアパレルショップの入口で、マネキンを指さしたクレアが結と話している。
「これくらい短くてちょうどいいの」
「短すぎますよ」
そこで結と鴎の目が合った。
「鴎君、こんにちは」
「うん、こんにちは」
クレアもこちらを向いた。
「あ、鴎」
「うん、鴎」
「何してんの?」
「本屋の帰りだよ」
答えながら鴎は二人を眺める。こうして当たり前のように並んでいるのを見ていると、最初からそんな関係だった気がしてくる。
和助との戦いが終わってから、クレアと結は、鴎に二人だけで話してみると決めたことを
告げた。
それまでのいきさつを知っている鴎としては、いきなり二人きりにしていいものかとはらはらした。しかし、そのことにクレアが文句を言わなかったので、もう自分が関わる段階は過ぎたのかもしれない、とも思った。
そして夏休みが明けると、どういうわけか名字が六城になったクレアがクラスに編入してきた。正式に六城家の一員になったらしい。
鴎は休みの間一度も会っていなかったので何があったか知らないが、結とクレアはすっかり仲良くなっていて、学校は勿論のこと、こうして休日も一緒にいるのを見かける。
「二人は?」
「買い物です」
「この子の服探してるの。ねぇ」
クレアは先ほどまで指さしていたマネキンをもう一度示した。
「結がこのスカート履いてるとこ想像してみて」
言われてよく見ると、それは膝の上くらいまでしかないミニスカートだった。
結が履いたら…。
「…」
「うわ、結の足見てるし」
「み、見てないし!」
「いや、見てたし。見られてる方は分かるもんだからね?そういうの」
そうでしょ、と話しかけられた結は、頷くのと逸らすのとの中間のような動作をした。
「まあ…」
「!?誤解だよ、結、見てないよ!」
「ふーん、興味ないの?」
「ない…」
そう断じようとして、結の顔にハッと気づく。
この勢いで否定するのはかなり失礼ではないか?
迷った挙句、正直に答える。
「…こともないけど」
「うわー、じゃあやっぱり見てたんだ」
「いや、見てたけど!」
焦りながら釈明する鴎と、その必死さに少し引いている結を横目で見ると、クレアはマネキンに向かい合った。
「ねえ、二人とも」
何事かと向けられた二対の目を避けるように、クレアはスカートを注視する。
小川を飛び越える程の躊躇いと勇気、そして少しの気恥ずかしさを内包した横顔だけで告げた。
「ありがとね」
結と鴎が、言われた言葉を飲み込んでお互いの顔を覗き合うのは同時だった。そしてまた二人揃ってクレアの顔を見る。
視線が集まっていることに気づいているであろうクレアは、頬が赤くなっていた。それは出会ってから初めて見る表情で、鴎はよかったな、と思った。クレアは居場所を見つけられたらしい。
出会ってからここまでの道中、すれ違いや過ちはあったけれど、クレアがこんな顔をするのが見れたのだから、それだけで結局はよかったと思うのだ。
鴎がそう告げるより、結が口を開く方が早かった。
「何がですか?」
思わず「え」と言いかけ、結を見る。そこには鴎と同じようにクレアの内心を察した上で浮かべられる笑みがあった。
「いや、その…」
もにょもにょと口ごもるクレアを見る目は、少し細められている。からかっているのだと鴎が気づいたとき、意を決したクレアがこちらを向いた。
「だから、その、全部…」
斜め下の何もない場所から、結のニヤニヤとした顔に視点が移り、クレアの言葉が止まった。そして結がふざけているのだと理解した途端、液に漬けた染め物のように、頬の赤みが顔中に広がった。
「知らない!」
恥ずかしさを怒った風にして隠したクレアは、先へ歩いて行ってしまった。
「…怒っちゃったね」
「はい」
鴎の苦笑いに、結は悪戯がばれた子供に似た表情で答えると、小走りでクレアを追いかけていった。
「ごめんなさいクレア、気持ちはとっても伝わりましたよ」
そう言って笑顔で話しかける結に、クレアは耳まで真っ赤にして何か抗弁していたが、やがて鴎の方へ戻ってきた。
にこにことしている結の横で、歯を食いしばっているようなクレアには、しかし友人とじゃれ合っているときの温かみがあった。
本当に仲良くなったなあ、と思いながら鴎が見ていると、その若干上から目線の感想が顔に出ていたのか、クレアは精一杯不機嫌そうな声で、
「…なに」
「見てただけだよ」
「また結の足?」
「それは違う!」
お返しとばかりにいやらしい視線のことをつつくクレアと、そんなことを引っ張られるのは御免だ、と否定する鴎に挟まれて、結は楽しさを抑えられない様子で穏やかに微笑んでいた。