一国の風呂
体洗うの中心です。戦のいの字も知りませんので、いろいろとこんな国ないだろ、とかはご了承ください。
殿が仰るには、風呂など軟弱なもの、入っているようでは一国の主が務まるか、とのことだ。
若君が一国一城の主に代替わってからはや20余年、 平和だったこの国はついこの間まで、変わらず平和を保っていた。
代々、頑固一徹な気質を持つ城主達が治めてきたこの国は政も大層堅実で、何よりも城の主その人が誰よりも自らを厳しく律しておいでだった。
思えば先代も、冬でも水浴びばかりのマスラオを絵にかいたような美丈夫であられた。
今、卓上を囲んで軍義の真っ最中である殿と、面影がよく似ている。
「殿、こちらの陣の場所は挟み撃ちにされると危険です。あの丘の上に変更しましょう」
「なるほど、その通りだな。ではあちらにも別の隊を置こう。敵の意表をつけるとよいが」
生真面目で武骨な表情の先にあるのは、隣国との国境地帯の地図である。
ここ二年ほど、緩やかな飢饉が続いた隣の大国が、長年平和だった我が国に目をつけてからおよそ一月になる。
私はじっ、と殿の後ろで軍義を聞いている。戦況は膠着状態。殿と軍師たちは、あーでもない、こーでもないと頭を抱えていて、かなり疲労の色が濃い。
…さらに言うと、皆かなり汗…男臭い。
と、そこへ、殿がくるりとこちらに向き直って、物々しい様子で仰った。
「じぃ!そなたも何かもうしてみよ!」
ついに、この時がきた。私はここ四日ほど心にしたためていた言葉を準備して、卓上のマスラオ達を一人一人見てから、言った。
「…殿。では、畏れながら申し上げます。
今すぐ全員風呂に入ってくだされ!!」
「風呂だと!?」
軟弱な、とか、今はくつろぐべき時ではない、とか、ガタガタ言う殿と軍師たちを一喝して、私達は夜の城下町の兵舎まで来ていた。
戦中ではあるが、人々はそれなりに活気があり、女子供も飯炊きや、その手伝いと士気はかなり高い。
その様子に、殿はまた一段と、国を守る意思を固くされているご様子で、町民へ労いの言葉などかけている。
私は今再び先程の決意をますます強くして、町民に囲まれ出した殿達を引っ張って、とある建物まで連れてきた。
「じい、この建物は」
殿があっけにとられた顔で見上げるのは、城の一番広い部屋ほどもある大きな木造建築である。
さて、このお殿様、普段は湯に浸かる、ということを全くしない。例にならって「男なら黙って行水」精神の持ち主だからである。湯殿に入るなど、普段の殿ならまず納得しないだろう。
しかし、先程の私の剣幕にどうやら押されているご様子。この勢いのまま丸め込…すっきりしていただこう。
「殿はお忙しい様子でしたので報告のみとなっていましたが…こちらが先日完成した湯殿にございます」
ぽかんとしたマスラオ達を引き連れて、私はずんずん進んでいく。脱衣場まで来て、雰囲気に飲まれている彼らの服を脱がせてやりながら、側にいた番頭に目配せをすると、番頭は大きくうなずいていそいそと脱衣場を出ていった。
よし、あとは彼が色々と用意してくれるだろう。
「この建物は、全て湯殿なのか」
少し居心地が悪そうに、殿はご自分でも服を脱ぎ始めた。腹をお括りになったらしい。
「殿が以前、兵士達を労うようにとじいに任せてくださった予算がありましたでしょう。あれで建てたのでございます」
ゆくゆくは温泉施設として経営していくが、今は無料解放している。
「健全で勇敢な士気は、清潔な体に宿るものですぞ」
衛生維持、免疫力の向上、精神の安定、風呂は健康に欠かせないよい効果を沢山もっている。
殿は昔から精神論がお好きで、辛い思いをすればするほど心は鍛えられるとお思いだが、無理が祟って先代も早くにお亡くなりに。私は常々殿もぽっくりいってしまうのではと心配だった。
なので、この好機は逃すことができない。こんな切羽詰まった状況でもなければ、殿にこんなに強気に出ることなどできぬし、頭の固い殿をここにつれてくることもできなかっただろう。
「む…、一理あるな。しかし一国一城の主ともなれば、冷たくとも水浴びで身を清めるべきだ。風呂でくつろぐなど生ぬる」
「だまらっしゃい!」
ごちゃごちゃ言い出した殿に再び一喝して、私はずずい、と詰め寄った。
「よいですか、じいは殿がまだこーんなに小さな時よりよく存じ上げておりますがね、先代も殿もご自身に辛すぎでございます!風呂で寛ぐことは百薬にも匹敵するのですぞ!しっかり戦に励むにはしっかり休むことも大事!常々先代の奥方も仰っておりました、どうしてこの二人は体力バカにかまけて無茶をするのかしら、と!」
「母上がそのようなことを…!」
どさくさに紛れて奥方の愚痴まで聞かせてしまったが、なかなか効果があったようで、殿は雷に打たれたような顔で動揺を隠せずにいる。
少し胸がいたんだが、心を鬼にしていよいよ殿を丸裸にして、浴室へと殿を突っ込んだ。
(軍師達は遠巻きにこちらの様子を見ていた)
さあ、長年暖めていた大風呂大作戦をはじめますぞ!
大きな檜の湯船には、こんこんとわき出る天然温泉がたまっている。実は我が国、温泉大国なのである。
だというのに、今日は殿が初めて湯船に浸かるということで、人払いをしているため非常に広く感じる。
「広い、城の水浴び場の十倍はあるぞ」
「そうでございましょう、しかし、いつもは町民で賑わっておりますので、狭く感じるくらいでございますよ」
湯船が町民で賑わう様子を想像したのだろう、殿は興味深げに鼻をならし、湯船の底を覗きこんだ。少し風呂にたいしての警戒心が溶けたようだ。
「殿、まずは体を洗いますぞ!番頭!」
「はいっ!」
私が呼びつけると同時に、大浴場の扉がスパンっ、と気持ちの良い音と共に勢いよく開いた。
肩をビクッ、とさせた殿の目の前に、ぞろぞろと白い浴衣をきっちりと着た女たちが並び立ち、一糸乱れぬ動きで恭しく一礼した。
「殿、此度の戦においてのご尽力、心よりお礼申し上げまする。今宵、どうぞ我々にその御身をお預けくださいませ」
「う…うむ!」
女達の隊列中央の、一際髪をきりりと結い上げた女が顔を伏せたまま申し上げると、しばし呆気にとられていた殿は我を取り戻されたご様子で 鷹揚に頷いた。
「良しなに頼む!」
「「「はっ!」」」
突然出てきた48人の女達に、臆することなく身をさらけ出すこの心意気。
さすが殿、女子供の前では毅然として努めるべし。些かの憂いも感じさせぬその風格、思わず番頭もため息をもらす。
「いい男じゃ…」
いや番頭、お前はすっこんでおれ。
「ありがたき幸せ。殿、では参ります。全員配置に付け!」
「「「はっ!」」」
掛け声と共に、48人の女たちは即座に隊列を整えると半分は殿の周りに、半分は湯殿を出てバタバタと脱衣所でなにやら仕度をし始めた。
我が国の最高のおもてなしの為に編成された「殿・四十八」、彼女らの玄人業を拝見するのは私も初めてである。
あれよあれよと洗い場の広い区画に連れていかれた殿は、丁寧に洗い場中央の大きな背もたれ椅子に座らせられ、大事なところに手拭いを被せられ、足元に大きな桶を用意された。
(一緒に来ていた武将も、同じように大きな背もたれへと連れてかれていた)
「殿、これよりお体を清めさせていただきます」
準備が出来たのか、先程の先頭にいたきりりとした女が殿の横で跪いたので、殿は一言「うむ」とだけ力強く頷かれた。
それが合図で、「殿・四十八」の玄人業が炸裂した。
刹那、泡が弾け飛ぶような音とともに沢山の石で出来た桶から白い蒸気がもうもうと立ち上がり、ただでさえ蒸気で暖かい室内が更に温度と湿度をあげる。
おびただしい質量の湯けむりで満たされた室内はぐんぐん温度を上げ、立ち見の私も思わず汗が吹き出てくる。
「熱波用意!」
全員の動きをまとめている女がその白い腕を上げ、声を張り上げると、いつの間にやら先程準備のために立ち去った女達が三尺(90センチほど)もあろうかという団扇を持って、一人づつ配備されているではないか。それぞれ、頭の女の声でその大きな団扇を振りかぶる。
「うてーーー!」
「「「はっ!」」」
頭の女がその上げた手を振り下ろすと、それを合図に弾かれたように全ての団扇が振り下ろされた。
団扇はもうもうと蒸気をあげ続ける焼石の蒸気を巻き込み、その熱波が殿達へと襲いかかった。
悠然と背もたれ椅子に座る殿に、灼熱の風が降り注ぐ。殿の引き締まった体はみるみる赤く火照りだし、その隆々とした肉体の上を汗がこれでもかと流れ落ちてゆく。
「う、うむ!!」
団扇の勢いはとどまるところを知らず、強い熱波が殿の肌にぶつかり続ける。しかし、さすが殿は多少驚かれた様子だったものの、微動だにせず真っ向からこの風を受け止めておられる。
仰ぎ続ける女達、受け止め続ける殿。ぐんぐんと上がる室温と、光る双方の汗。異様な光景ではあるが、そこには何故か絆のようなものが見え隠れしているようにも見える。
「仰ぎ方やめ!!」
固唾を飲んで見守っていると、頭の女がついに再びその手を上げた。
団扇の女達は息を切らしてはいるものの、一糸乱れぬ動きで団扇を仰ぐのをやめると、その場で跪いた。
「換気はじめ!」
途端に、室内のすべての窓が音を立てて開け放たれた。夜風がここぞとばかりに室内に入ってくる。蒸気で火照った体には心地よい。そして、程よく蒸気が逃げたところで窓は閉じられ、普段の湯殿の風景が戻ってきた。
「殿、お水にございます」
女の一人が、盆に乗った湯呑を持って現れた。跪いて、殿へと差し出す。
「大量に汗をかいた後の水として、常温のものを用意させて頂きました。ゆっくりとお召し上がりください」
「うむ!」
殿は盆から湯呑を受け取り、女の忠告を聞いてごくゆっくりとお水を飲干された。流石は殿、この熱波を浴びきってなお、自身を律する精神にはこのじい、感服でございますぞ。
「うまい!」
汗だくになりながら殿が湯呑を盆に戻すと、女が恭しく盆を下げ、団扇の女達と入れ替わりに手桶と手ぬぐいを持った女達が現れた。頭の女もここで殿の傍らの隊にまざり、そして再びそれぞれの椅子の横で跪いた。
「洗い方はじめ!」
「「「失礼いたします!」」」
頭の女が合図をし、跪いていた女達が統率された動きで殿の体を手ぬぐいでこすり始めた。
柔らかくなった肌からはポロポロとこれでもかと垢が出てくる。これは流石に気まずいのか、殿も明後日の方向を向いてバツの悪い顔をしている。
しかし、そこは我が国のおもてなし先鋭部隊、抜かりはないようだ。
「殿!連日の軍議まことにお疲れ様でございます」
「殿!先程の熱波の効果が出ております!」
「殿!お肌の調子がようございます!」
口々に殿を労い、時に湯で体を流し、隅々まで磨き込んでゆく。さらに、手際が良いのであれよあれよと洗い終わってゆく。
気づけば、殿と軍師たちは赤子のようにピカピカに仕上げられていた。
「殿、最後に洗髪をさせていただきます」
頭の女がややぼんやり気味の殿を気遣ってか、これまでの号令を中断してそう申し上げた。殿はご自身がぼんやりしていたことに気づかれたのかハッと瞬きを何回かされて、姿勢を正して鷹揚に頷かれた。…ついに、殿が気を緩めはじめている。
頭の女は一つ頷くと再び周りの様子を確認し、すっ、と片手をあげた。
「洗髪用意!」
「「「はっ!」」」
号令とともに、女達が殿たちが座っている背もたれをいじり始めた。すると、背もたれがゆっくりと倒れ、ちょうど首が支えられ、殿の頭髪だけが背もたれからはみ出るように収まった。
すかさず、湯を汲んだ桶が殿や軍師の頭部に添えられる。
「はじめ!」
殿のご尊顔に恭しく手ぬぐいをかけると、殿の頭が女の手に支えられ、ごく低い位置から別の女が柄杓で新しい湯を上からかけ始めた。
そして、頭を支えている女が、殿の頭皮を揉み込むように湯をかき混ぜては流すように洗い始めた。
あれは気持ち良さそうだ。殿も心なしか表情がゆるいようである。
…む、同年代の軍師が昇天しそうな表情だ。生きてくれ、同胞よ。
「殿、お痒いところは御座いませぬか」
「…う、うむ!苦しゅうない!」
ひたすら新しい湯をかけ、頭皮を揉み、流し梳いてゆく。後頭部をやさしく流し、耳の裏をゴシゴシと脂を溶かすように洗う。
全員すっかり呆けたところで、洗髪は終了した。
最後に椅子をもとに戻し、腕、肩、首をじっくり揉んで洗髪が終了した。
そして、女達は手に手に道具を持つと、殿の御前にずらりと整列をした。
「殿!今宵の私達めにその御身をお預け下さり、心よりお礼申し上げまする。これにて、全ての工程が終了致しましたゆえ、心ゆくまでごゆるりとご入浴をお楽しみくださいませ」
「「「お楽しみくださいませ!」」」
女達が跪く中、殿は一つ大きく頷き凭れていた椅子の背もたれから体を起こすと、女達をぐるりと見渡して仰られた。
「おもてをあげい」
「「「はっ!」」」
そして立ち上がり(殿は手ぬぐいが落ちても臆することなくさらけ出す御方だ)、張上げずともよく通るそのお声で一言。
「大儀であった!」
「「「はっ!」」」
殿・四十八の面々(と番頭)は殿としっかりと視線を交わすと、撤収!の号令とともに去っていった。
広くなった湯殿に、殿と軍師たち、そして私、じいが残された。
「じいよ」
「何でございましょう」
「大儀であったな」
殿がしみじみと仰るので、少し目頭が熱くなってしまった。
「風呂など軟弱と言ったが、そんなことはない。熱波を受け、自身の体の汚れを受け止める。そして女房たちのあの身のこなし、儂もあれらの主として身の引き締まる思いがしたぞ」
殿、少しじいの狙いと違う方向で受け止められたようでございますな。
ともあれ、殿は風呂に納得されたご様子。これで、殿の日頃の疲れも取れ、身体をいたわることを覚えてくださるに違いない。
「ささ、体をきれいにされたら湯船に浸かりましょう。これで疲れもきれいに落ちますよ」
さて、やっと湯につかる時間が来た。ようやくである。
湯の温度を手を入れて見てみれば、ちょうどよい湯加減である。殿と軍師たちを案内して、湯に体を沈めるように促してやる。
「う、うむ」
湯に体を沈めた殿が唸っている。先程女達にきれいに磨かれて少し冷めた体に湯の暖かさが染み込んでいるのだろう。
軍師たちもめいめいに寛いでいる。
「殿、湯加減はいかがでございますか」
「む、苦しゅうないぞ」
殿が湯船でくつろいでいる。それだけでじいはいろいろとこみ上げてくるものがございますぞ。
「殿、湯に浸かるということは、疲れを取るだけではございませぬ。疲れが取れれば頭もスッキリし、肩の力が抜ければ思わぬ発想も浮かぶというもの。何事にもメリハリが大事だと、じいは思いますぞ」
「うむ、じいの言うことも一理あるな」
殿は少し笑って、何か思いついたように思慮深げなお顔をされた。
「じいよ」
「はい、殿」
「ここに軍議の地形図を持ってまいれ」
「殿、何か思いつかれましたか」
殿は軍議の時の疲れたような表情ではなく、本来の凛々しい眼差しで一つ不敵に笑ったのだった。
さて、広い風呂に足を伸ばして入ることのなんと素晴らしいことか。
めいめいにくつろぐ町民を見ていると、こちらの心も休まるというもの。子どもたちが儂を見つけて嬉しげに近づいてくるのも、たいそう可愛らしい。
「殿、おくつろぎのところを真申し訳ありませぬ」
呼ばれて振り返ってみれば、困り顔の爺が何やらバツが悪そうな顔で歩いてくるところであった。
「どうしたじい、申してみよ」
「殿、確かにじいは風呂は体に良いと申しましたが、こうずっと浸かっていては体に毒にございますぞ」
そうなのだ。儂は今毎日のように風呂に浸かっては町民と会話を楽しんでいる。
「そうは言ってもな、じい。そちのおかげで思いついた奇策がまだまだ人気なのだ、ほらな」
そうこう言っていると、子供やら大人やらが集まってきて、お殿様ー、この間の戦の話をしてくださいよー、とせがんでくる。
「いえ、爺もまさか温泉の源泉をあんな使い方をするとは思いませんでしたけれども。至る所に熱々のお湯を引いて、町人にお湯攻めさせてる間に本隊が敵の頭を叩く、そしてその作戦がうまく行くとも思ってなかったですとも」
「うむ。あの「殿・四十八」の女房たちの働きを見てこその発想であったからな。町人が彼女らによくついていってくれたものだ」
素晴らしく統率の取れた我が国のおもてなし部隊、「殿・四十八」は、戦でも素晴らしい戦果を上げてくれた。(あの頭の女房には武勲を授けようとしたら丁重に断られた)
そんなこんなで、隣の大国も退けこの国には平穏が続いている。
そしてこれからも。
風呂にあふれる民の笑顔を見渡しながら、儂はそう固く誓ったのだ。
了