新薬の開発
ホムンクルス ~瓶の中の未来 Ⅷ
〈おまえ……。おまえに人の命を哀れむ余裕があるのか?〉
あいつの声が、頭に響いてきた。
〈おまえの余命は、もうあまりないのだよ。そのおまえが、人の命を哀れむなどと……。クックッ、クッ〉
あいつが、私に最後通告を告げる。
「うるさい! 黙れ……。おまえの思い通りなってたまるか」
私は、思わず声に出して叫んでいた。
〈おまえに残された時間はあとわずか。このまま死んでいってもいいのか? やり残したことがあるだろう〉
あいつは、私の憤りなど、まったく意にも介さずに、そう言った。
「俺が、やり残したこと?」
〈そうだ、おまえがいま一番、やりたいと思っていることだ〉
私の欲することとは、いったいなんだろう。
夢に見た就職先が、ダメになり、恋人には裏切られ、親友はとんでもないカス野郎だった。
〈おまえ、悔しくないのか? おまえを絶望の淵に追いつめた矢田や、郁子は、これからものうのうと生きてゆくんだよ。おまえを嘲笑ってな〉
矢田と郁子は、私が死んでしまっても、何の痛痒も感じないだろう。
私が、こんなにも苦しんでいるのに……。
「俺は……。俺は……」
〈おまえは、何を望む? なにがしたい?〉
「俺は……、俺は……。復讐をしたい」
〈ほう、誰に復讐をしたい?〉
「それは……」
私は、矢田の高慢ちきな顔と、郁子の高笑いする顔を想いだした。
私を見下した矢田と、私を憐みの目で見た郁子……。
なぜ、私だけ、こんな目に遭っている。なぜ、おまえらは人を絶望のどん底に陥れても平気な顔でいられるんだ。
おまえらだけが、幸せになることなど許さない。許せるものか。
とことん追い詰めて、私が味わった以上の苦しみを、おまえらに与えてやる。
私は、矢田と郁子を、この手にかけようと決心した。
だが……。
私には……、いまの私には、彼らを、この手にかけることはできない。精神的にも肉体的にも、ボロボロの状態だ。あの通り魔のように、気でもおかしくなっていなければ、とても人を殺すことなどできやしない……。
せめて、あのドリンクさえあれば……。あのドリンクを服用さえすれば……。
私は、夜の闇の中で、RZと名がつけられた新薬の残像を追い求めつづけていた。
寂れた温泉街の一角に十階建ての近代的なリゾートホテルがあった。
少し前までは、温泉街を訪れる観光客たちで、満杯状態だったが、昨今の不景気で、この街を訪れる人も少なくなり、行楽の季節になっても、閑古鳥が鳴いていた。
当然、経営難に陥る。
温泉街の集客力に頼ってきた経営者は、青色吐息で毎日を過ごす羽目になってしまっていた。
そんな時、どこかで経営難の状態に陥っていると話を、訊いてきたのであろうか。ホテルのオーナーの元に、国内の医療産業部門の中で、その名を知らぬものがないと言われるR製薬から、賃貸の申し出があった。
R製薬が、ホテル側に対して要求してきたものは、次の二点。
今後、五年間、最上階にある広大なフロアーのすべてをR製薬で、借り受けるが、その際、最上階で行われている全ての事柄について、一切、外部に漏らさないこと。
万が一、最上階でやっていることが、外に漏れても、それはR製薬と、まったく関係ないことという証紙を交わすこと。
R製薬から出された条件は、腑に落ちないところもあったが、ホテル側が、部屋の使用料三割り増しとの条件を取り付けて、この話しはまとまった。
R製薬が、寂れた温泉街のリゾートホテルを、なぜ、高額な使用料まで払って利用するのか?
R製薬は、新たなプロジェクトを秘密裡に進めていた。プロジェクトを秘密裡に進めてゆくには、R製薬にとって都合のいい物件を探し出さなければならなかった。R製薬は全国各地から情報を集め、収集した情報を分析し、寂れた温泉街に建つこのホテルが、最もR製薬の条件を満たしていると判断したのだった。
R製薬が、このプロジェクトに、異常とも思える力を注いだのには、それなりの理由がある。
毎年プラスの収益をあげていたR製薬のドリンク部門は、五年前の下半期の業績からマイナスに転じていたのである。R製薬の売り上げの三十パーセントを占めるドリンク部門の衰退は、R製薬そのものの存続を脅かすものになってゆくだろう。
何かをしなければならない。なにかアクションを起こさなければならない。
R製薬首脳陣は、栄養ドリンク部門の大幅な、てこ入れを開始した。
首脳陣から新たな命を受けた新商品の開発チームは、このホテルの最上階全部を貸し切って“他のメーカに真似のできない売れるドリンク”を合言葉に、新規のプロジェクトに着手したのであった。
だが、他のメーカーが真似できないドリンクの開発など容易ではない。
この時点でも、スーパーやコンビニ、ドラック・ストアーには、謳い文句だけが違うだけの、似たような商品が溢れている。どこかのメーカーが新機軸の製品を打ち出せば、直ぐにそれに追従するメーカーが現れ、コンビニなどのドリンクコーナーは、新商品と銘打った、ありふれたドリンク類で溢れかえっている状態なのだ。
その状況で、どうすれば売れる商品を生み出すことができるのか?
R製薬は、現状を打破するために海外に活路を求めた。
= Ⅸに続く =