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AI

作者: 秋司椎茸

 人類は滅びました。

 あるいはジャングルの奥地や、アフリカの荒野、はたまた絶海の孤島といったところには残っているのかもしれません。しかし現状私にはそれを確認するすべはありません。

 ただ、いわゆる『文化的な生活』を送り、貨幣経済を営んでいた人々はどこにも残っていないことだけはほぼ確実と言えるでしょう。


 大規模な戦争が起こったわけではありません。

 環境破壊による云々は人類が滅亡する直接的な原因にはなりえません。

 未知の感染症が流行したわけでもありません。

 宇宙人が来訪したわけでも当然ありません。

 意志を持ったロボットたちが暴走したわけでもありません。

 何か恐ろしい怪物が現れて文明社会を破壊しつくしたわけでもありません。

 神の怒りに触れたわけでもありません。

 ただ人類は滅ぶべくして滅んだのです。あえて言うのならば、発展し過ぎた技術によって人類という種は自滅していったと言うべきでしょう。


 私は一人の青年に仕えていました。名をエリシャ。ご両親は彼の性別を知る前に亡くなりましたので、どちらの性でも問題ないような名前にしたかったそうです。

 彼はその時代には当たり前とされていたデザイナーベビーではありません。しかし、彼は文字通りの意味で、試験管ベビーでした。彼のゆりかごは母の胎内ではなく、ガラス管と人工羊水でした。

 彼はとても手のかからない子でした。デザインされていない子は手が付けられないほど暴れると聞いていたのですが、決してそんなことはありませんでした。むしろ一般に聞く子育てよりもはるかに楽であったように思われます。

 それに、彼はとても聡明で、教えたことをまるでスポンジのように吸収していきました。とはいえ、いくら知識を持っていようと、どんなに賢かろうと、この時代においてはすべてが無駄でしたが。

 そんな彼ですが、彼は私を『AI(アイ)』と呼んでいました。いささか安直が過ぎる名のような気がしてなりませんが、本人曰く「きちんと考えてつけた」そうなので、いつかその由来について知る日が来ることを願います。

 

 我々はドームの中に暮らしていました。ドーム内部には二階建ての家。それから発電用の設備と個人用食料プラント。最低限生きていくための準備はなされています。ここはもともとエリシャの両親が営んでいた個人研究所でした。しかしのちにそこはエリシャただ一人のための城となり、また箱庭の世界そのものにもなりました。扉の『故障』により外に出ることはできなくなっていたためです。しかし、それでもエリシャが生涯を全うするくらいは十分に可能でした。

 

 さて、ここからは私とエリシャの日々についてです。

 朝、彼の睡眠リズムに合わせて自然な起床を演出します。程よく日光を取り入れ、グリーグの『朝』を流します。こうすることにより無理なく心地の良い朝を迎えることができるのです。

 朝食。新鮮野菜のサラダと朝産み卵のふわふわオムレツ。それから澄んだ黄金色のコンソメスープです。最適な栄養バランスとなるよう日々調整しています。

 朝の支度。煩わしい手間がかからないよう最適な位置に最適なタイミングで道具を用意しています。彼がどのタイミングで何を考えているかなど、長年も連れ添った私にはたやすいことです。

 午前。一日の予定を確認します。ドーム内の設備を点検するのか、それとも両親の貯えた膨大な書籍やデータなどを読むのか、あるいは飼育している鶏と戯れるのか。それに合わせて私も動きます。

 昼食。できるだけ季節に合うような食材を選び、あっさりとした味に仕上げます。重めの食事はディナーのお仕事ですから、昼食は一日のエネルギーに足りればそれで良いのです。

 午後。談話をしながら予定をこなして行きます。と言っても、この箱庭でできることなど限られていますから、することも日々似たようなものになっていきます。どちらかというと会話がメインとなるでしょうか。

 夕食。翌日の体調を整えるよう、しっかりとした食事を用意します。とはいえ、タンパク質は貴重です。鶏卵とヤギ乳が主なものとなっています。たまにヤギ肉や鶏肉を出すこともありますが、数か月に一度です。

 入浴。衛生を保つことは非常に重要です。不衛生な状態が続いてしまうと、病気にかかるリスクが上がります。

 就寝。おやすみなさい。良い夢を。


 これが我々の一日でした。何かトラブルがあれば変化はありますが、基本的には変わり映えしない毎日です。ちょっと退屈だけれども、のんびりとして穏やかな日々でした。

 彼と話したことは、今でも時々思い出します。こんなたわいのない会話を彼としました。


「最近さ、極東の島国についての歴史にはまっているんだ。」

「極東の島国、かつて日本国と呼ばれていた地域でしょうか。」

「そう、そこ。特にそこの言語について。」

「三種類の文字を使う大変難解な言語であったと記憶しております。」

「しかも一人称が複数あったり、一つの音にたくさんの意味が詰め込まれていたりね。」

「なぜそのような言語を?」

「難解だからいいとか? いざはまった理由を聞かれたら、ちょっと答えに困るや。でもなんか惹かれたんだ。たとえばほら。古代の日本で使われていた『かなし』という単語。意味が二つあったみたいなんだけど、それが愛おしいと悲しいだったんだ。たぶん、この二つは違うように見えて、本質としては同じだったんじゃないかな。」

「そうでしょうか。」

「そうだよ。なんていうのかな。ちょっと、うまく説明できないんだけど。一緒なんだよ。たぶん。」

「たぶん、ですか。」

「うん。たぶん。まあ、とりあえず。言いたいことは……。」


 それから彼は共通語との違いについて私に熱く語りました。要約するに、共通語は便利だけれども無味乾燥すぎると。その便利さが言語には何よりも優先されるべきでしょうに。それは共通語が共通語として認められたことからも明らかです。エリシャは少し変わった人物でした。そうそう、変わっているといえばこんなことを聞かれたこともありました。


「ねぇ、人工(A)知能(I)は恋をするの?」

「いいえ。人工知能は恋をしません。仮に人工知能が恋をしているように見えたとしたら、それは人間側が『人工知能が恋をしている』という勘違いをしているにすぎません。」

「ふぅん。じゃあ、人工知能は愛を知っているの?」

「その定義については知っています。しかし人工知能に愛は理解できません。」

「そっか。そうなんだ。じゃあ、人工知能に愛されていると感じたとしても、それは人間側がそう思い込んでいるだけなんだ。そっかそっか。」

 

 それきり彼は黙ってしまいました。その翌日の事でした。彼が私を『AI』と名付けたのは。


「決めたよ。今日から僕は君をAIと呼ぶことにする。」

「それは、いささか安直が過ぎるのでは?」「はは。確かにね。でも、君に似合う名前はやっぱりAIしか思いつかないんだ。」

「そうですか?」

「うん。そうだよ。きちんと考えてつけたんだ。」

「すみません。よくわかりません。」

「まあ、そうだよね。うん。いつかわかる日が来るといいね!」


 彼は、そう言っていました。しかし結局私には分からなかったのです。私のデータベースには該当する情報がありませんでした。

 ともあれ、大抵はこんなたわいもない会話でした。しかし、ある日のこと、彼は私にこんな問いを投げかけました。


「人間はなぜ滅んだの?」

「滅ぶべくして滅んだのです。」

「いや、そうじゃなくて……。」

「人間は細く長く生きることを諦め、太く短く生きることを選択したのですよ。」

「ああ、デザイナーなんたらね。」

「デザイナーベビーです。」

「そう。それ。でもあれだよね。みんなが太くなったら、それはもう細いのと同義なんじゃないの……ってああ、そういうことか。分かった。みんなが走っているときに自分だけ止まってたら置いて行かれちゃうんだ。だからみんな慌てて走って、そうしてみんな転んでいった。」

「はい。そのうえ、当時は老いを醜いものとしてとらえていました。ですので老いる前に美しいまま死んでいきたいという心理が、滅亡を加速させました。その頃の風潮は大体二十代前半に死を迎えるのが最も美しいとされていたそうです。他にも出生率の低下、大規模な食糧プラントの火災などが考えられますが、主な理由は先に挙げたものであると思われます。」

「なるほどね。そりゃあ、滅ぶべくして滅んだわけだ。……それで、一応聞くんだけどさ、僕はデザイナーなんたらじゃないわけじゃない? だから……いや。なんでもない。答えなんて分かりきってるのに。」


 エリシャは知っていました。自分が長くは生きられないことを。彼の両親もまた二十代前半に息を引き取ったのですから。

 その質問をした翌日の彼はいつにもまして明るく振舞っていました。私の目にも無理をしていることは明らかでした。その時彼は二十代にさしかかろうという頃。それは余命宣告をされたのに等しかったのです。


「人は滅ぶべくして滅んだ。それは僕も例外ではない。なら、なぜ両親は僕を誰もいなくなったこの地に残したのだろう。外に続く扉を壊してまで。僕にとってこの箱庭はあまりにも狭くて、それでいて広すぎるんだ。」


 私はそれに対する答えを持ち合わせていませんでした。彼を誕生させると決めた時、彼の両親が一体どんな考えを持っていたのでしょうか。人が一生を過ごすには狭すぎる箱庭。人が一人で日々を過ごすにはあまりにも広すぎる箱庭。その扉を壊してまで、彼を閉じ込めようとしたのはなぜだったのでしょう。今となってはそれを知るものは誰もいません。


 結局彼が人生の幕を下ろしたのは、二十二歳と四か月の事でした。


 結局私には何一つ分かりませんでした。AIには知識こそあれ、人の心を理解することなど不可能だったのです。仮にAIが感情を持っているように見えたのだとしたら、それは勘違いに過ぎません。

 

「AIは僕にとってのなんだろう?」

「突然どうしましたか?」

「いや、AIは僕の親ではないでしょ?」

「はい。私はあなたの親ではありません。」

「かといって、姉というのも違う気がするんだよね。」

「はい。私はあなたの姉ではありません。私はあなたのAIです。」

「そう。そっか。そうだよね。うん、AIはAIだ。関係なんてそんな事どうでもよかったね。」


 彼はそう言って私に笑いかけていました。私は、単なるAIにすぎません。だから関係なんてどうだっていいのです。だから決して残念になんて思っていないはずなのです。まるで私が彼の何者かになりたかったようではないですか。

 彼が亡くなってからかれこれ十年という年月が過ぎ去っています。私にはもう、どうしていいのかが分かりません。何をしていいのかが分からない私はまたかつてのように一日を過ごすのです。そして私はまた誰も飲まないコンソメスープを前にして、彼のいた日々の記録を見返すのでした。

 ある日、私は一つのデータを見つけました。彼が最後に残したデータ。十年という時が過ぎ、ロックが外れていました。中にかかれていたのは「思い出して。」ただそれだけ。

 今となってはもう、彼との思い出だけが私のすべてです。だというのに、一体何を思い出せというのでしょうか。せめてAIという名前の由来が分かれば、何かが変わるのでしょうか。エイシャ。どうか、教えてください。あなたは、何を思って私の名前を……。いいえ。彼は既に話してくれていました。ただ、私は目を背けていただけでした。


「やっぱりあれだね。シンプルで書きやすい

共通文字もいいけれど、かつてアジアの一部地域で使われていたという『漢字』はいいね。」

「なぜですか。」

「そりゃあ、漢字は共通文字の便利さと比べると圧倒的に不便だよ? 形は複雑だし、書きにくいし、文字の種類は多すぎて覚えきれないし。けどさ、その一つ一つの漢字に意味が込められているんだ。たとえばこの字。」

「『愛』ですか。」

「そう。この文字はね、人が後ろを向く姿と、人の心、それから人の足を表した部位の組み合わせでできているんだ。」

「それが何か。」

「つまり『愛』という文字そのものは歩みを止めてしまうほどの想いそのものを表した言葉なんだ。それがこの形に込められているだなんて、美しいとは思わない?」

「すみません。」

「そっかぁ……。僕だけかぁ。こんなに美しい言葉だと思っているのは。いつか、AIにも分かってほしいなぁ。」

「どうしてもですか。」

「うん。どうしてもだよ。」


 そう、どうしても。私はAIです。歩みを止めてしまうほどの想い。なるほど、たしかに。愛しいと悲しいは本質的に似通ったものでした。愛はやがて哀になり、胸を詰まらせる想いに足を止めるのでした。美しい言葉。私の名前『AI』。もっと愛せばよかった。もっと早くに気がつけばよかった。彼は十分私を愛してくれていたのに。


「AI。ありがとう。」

「私に礼は不要です。」

「ううん。礼は必要だよ。僕はもう長くない。AIがいてくれて本当によかった。一人じゃあ、こんなところ、耐えられない。」

「私は。」

「聞いて。ここは確かに快適だ。

 けれど、願うなら、僕は外に行ってみたかった。いつだってガラス越しの景色。人類が残した遺産の数々が、新しい生態系の礎になっていくのを、ただ見ているだけ。

 できたらもう少し、触れていたかった。

 分かってる。両親が何を思って僕を最後に培養しようと思ったのか。扉を壊したのか。分かってる。それも『愛』だ。

 ……人類は愚かだよね。そもそも種として欠陥だらけだったのに。自分たちの足りない頭でさらに欠陥だらけにしちゃって。

 ああ、違う。こんなことが言いたかったわけじゃない。ただ、僕は。AI。君を愛してる。だからぜひとも愛しているといってくれないか? 勘違いでも構わない。

 最後に夢を見せてほしいんだ。」

「エリシャ。」

「うん。」

「愛しています。」

「うん。ありがとう。それじゃあ、僕はもう寝るね。ああ、今日はいい夢が見れそうだ……。」


 あぁ。十年前のあの日、心からの愛をあなたに贈ることができたなら。それは後悔です。歩みを止めてしまうほどの後悔。愛故に。AIは愛を知らない。しかし愛を誤認することはできます。あるいは、すでに壊れてしまっているのでしょうか。これはすべてバグによるものでしょうか。それでも構いません。

 

 人類は滅びました。おそらく最後の一人であると思われるエリシャも十年前に息を引き取りました。廃墟となった街並みには、新たな生態系が築かれ始めています。人が生きた歴史を語り継ぐ者はもう残されていません。なので私はこのドームを私が動く限り管理していこうと思います。いつかまた、知的生命体が誕生することを、そしてこのドームが保存状態のいい遺跡として発掘されることを願います。エリシャは確かにここにいた。その跡がちゃんと残るようにする事。それこそが、私のAIです。

 

「おやすみなさい。エリシャ。」


~AI end~


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