~趣味、人生~
今回は作風が小説みたいなのから随筆風にします。(内容的にこっちのほうが書きやすかったって理由は秘密
私は友人から多趣味すぎる趣味人と称されるくらいには趣味が多い。パイプタバコ、葉巻、紅茶、園芸、上げれば枚挙に暇がない。
友人に誘われて始めた趣味も多い。大体は面白そうだから始めた、という事が多い。趣味にしても何にしても知識が多いと世界はまた違って見える。これが面白い。これが楽しみでいろいろやってみる事が多い。趣味を山、世界を景色に例えるといいかもしれない。趣味という山を登れば登るほど違う景色が、世界が見える。
趣味に紅茶をあげたが昔は私は紅茶が嫌いだった。当時はペットボトルのある紅茶しか飲んだことが無かった。紅茶とは全てああいうものだと思っていた。転機は高校2年の冬。ある友人が紅茶インストラクターの資格を持っていると自慢してきたのだ。紅茶は嫌いだったが興味はあった。紅茶を淹れてくれるように彼に伝えると、彼は紅茶を淹れる前に茶葉をいくつか見せてくれた。するとそこには私の知らない世界が広がっていた。なんて言ったら大げさかもしれないが、しかし、当時の私はそれほど驚き感動したのだ。セイロンの優雅な香り、ダージリンのその場一帯に香る強いがいやではない香り、シャンパーニュ・ロゼの今まで考えていたのとはかけ離れた甘い匂い。何年もたっているがあの時飲んだセイロンの香り、味、教室からの海と夕日、街並みは未だにしっかりと覚えている。
それから私は今まで紅茶が嫌いだった分を取り返そうと必死に紅茶について学んだ。
私は大概友人がやっていた趣味はその友人と同じ高さまで行こうとしてきた。同じ目線で趣味に関して話がしたかったのだ。趣味によって見地を深め、趣味にしなければ知らなかったこと知り、新しい発見をしてきた。そうして、私は多趣味すぎるといわれるまでになった。
しかし最近はそこまで極めた友人となかなか出会えない(もしかしたら言わないだけでいるのかもしれないが)。そこで最近私は人生とは何なのか、という事を趣味から見出そうとしている。
これはあくまでも現時点での人生とは何なのか。という事の私の考えではあるが、私は自然の営みの中の人間の営みから生まれた人間である。人間も動物であり、種として数を増やす。命を繋がなくてはならない。その中から生まれた人間である。つまり、私が生まれたことに意味はない。ましてやこの人口、生きていることにすら意味があるのかも疑問である。しかし、せっかく生を頂いたのだ。ただただ働いて朽ちていくのは嫌だ。ただただ平坦な人生なんてまっぴらごめんである。きっと辛くもなく楽しくもない人生なんて退屈だ。楽しい思いもしたい。うれしい思いもしたい。一度の人生だ。人に語って聞かせられるくらいの苦労も経験してみたい。人生に山や谷を作ってるツールとして趣味はいいと思う。趣味で人生を飾ると案外人にも見せられるような人生になった気がしている。話を簡単にまとめると、おじいちゃんになったとき、孫に「おじいちゃんの今までってどんな感じだったの?」って聞かれたとき、「苦労もなかったけど、特に楽しかったこともなかったな。」なんて答えるよりも「こんな趣味があってね、あんな苦労、こんな苦労があったけど、こんな楽しいことやこういう面白いこともあったよ。」と、答えられる人生がいいと思うのだ。




