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バッドヒーロー

作者: ふなびと

【次。名は────。生前の罪状は────】


 顔回りにライオンのたてがみのような黒髭をたくわえた険しい大男──閻魔大王は厚みのある巻物を机の上に広げ、内容を読み上げていた。

 書かれているのは、最下段で閻魔大王を睨みつけている青年の生前の罪状だ。

 閻魔大王は、一息つくと手元に湯飲みを引き寄せ、喉を潤す。軽く溜め息を吐いたあと、胡乱げな眼差しで罪人を見やる。


【……貴様の目的は何だ? いくらなんでも無為に罪を重ねすぎだろう】


 二人の視線が重なり合ったまま数十秒たつ。罪人は何も話さない。痺れを切らした閻魔大王はまた溜め息をついた。


【まあよい。理由が何であるにせよ、貴様が重ねてきた罪からして極刑は免れん。よって、貴様の行く地獄は──】


 しゃくを罪人に向けて判決を下した。


【ない】

『……は?』


 この時、ようやく青年は言葉を発した。


『おいおいおい。何言ってんだてめえ? ボケたのかじじい? まさかオレが天国行きだって言うんじゃあねえだろうな』

【ようやくしゃべったのう。天国行き? なわけあるまい。ここは地獄ぞ。いいか、貴様のような大罪人は痛めつけたところで反省するようなタマではない】


 一呼吸おいて、茶をすする。


【ならばどうするか。答えは簡単じゃ。肉体的な裁きではなく、精神的な裁きを下せば良い】

『精神的な裁きだぁ?』

【左様。貴様が最も忌み嫌うものを延々とさせ続ける罰じゃ。それは地獄では行えず、人間界でのみ成立する。よって、貴様には地獄ではなく人間界に行ってもらいたい。もらいたいというより強制じゃの】

『……何だ。オレに何させようってんだ』


 閻魔大王はもったいぶって間を置き、一言告げた。


【人助け】


 ◇◇◇


 ──【刑期は生前に生きていた年数だけじゃ。28歳で死んだので28年。ただし人助けの理由を他人に話した場合、一人につき刑期が10年伸びる】


『まじかよ……無駄に長生きしちまったせいで28年も人助けしなくちゃなんねぇなんて……』


 とぼとぼと行く当てもなくさまよい歩く。生前住んでいた地域ではないどこか別の場所に飛ばされたため、地理がわからなかった。


『まあ、今の俺は幽霊みてぇなもんだから、腹もすかねえし眠くもならねぇから住む場所は必要ねぇけどな。……ただ、28年間もこうして存在し続けんのか』


 通行人は罪人に気づかずにすれ違っていく。透明の身体は人や物をすり抜けることができるため、透明の身体を維持すれば何ものにも干渉されることはない。

 ふと、立ち止まる。見上げた先には映画館があった。


『暇だし、映画でも見るか』


 無論、この青年は人助けなどさらさら行うはずもなく、透明化を維持したまま28年間過ごそうとしていた。

 受付を素通りし、コーラとポップコーンをくすねるのに失敗し(一瞬だけ透明化を解いて奪おうとしたが、何故か強制的に透明化が発動)、仕方なく座席に着いて映画が始まるまで待機。

 スクリーンに様々な広告の映像が映し出されていき、やっと本編が始まると期待した矢先、青年の身体は宙に投げ出された。


『な、なんだぁ!?』


 不可視の力でどこかへ引っ張られていく。映画のスクリーンをすり抜け、映画館をすり抜け、やがて着いた場所はどこかの建物の屋上だった。


『……ここは学校か?』


 見覚えのあるフェンスに、目下に広がるグラウンド。さらに制服姿の大人びた女生徒がいることから、ここは高校の屋上だろうとあたりをつけた。


「……なに、あんた。いつからそこにいたの? 不審者?」


 すると、そこにいた女生徒から話しかけられた。


『あん? ……透明化が解除されてやがる。ちっ、引っ張られたことといい、強制的に人助けさせられてるってことか。まじめんどくせぇ』

「ねえ……無視しないでよ。話聞いてる!?」

『うるせぇな。どうせ話聞かなくちゃいけねぇ展開なんだから少し待ってろよ』


 青年は屋上の縁に座り込み、足を宙に投げ出す。女生徒に話かけた。


『まあ、座れよ』

「……」


 無言で隣に座る。足は宙をぶらついており、体勢を崩せば身体は屋上から地面へと真っ逆さまに落ちていき、真っ赤な花を咲かせるだろう。

 比喩表現を使わずに言えば、要するに“死”だ。

 青年は足をぶらつかせながら腕を組んでしばらく考えたあと、すっきりとした笑顔で言った。


『よし、短くまとめられたぞ。今死ぬな、あとで死ね』

「待って。色々とおかしい。まずあんたは何? 人間? 死神?」

『さぁな。オレ自身よくわからねーが、ジャンル的には幽霊だと思うぜ』

「……まあいいや。で、何? 幽霊様があたしに何の用? 命を粗末にするなっていうお説教?」

『いや、死ねよてめえ。オレがそんなことするわけねぇだろ』

「……じゃあほんとあんたは何しに来たの?」

『人助け』

「…………」


 今度は女生徒が足をぶらつかせながら腕を組んでしばらく考えたあと、屋上の縁に手をかけ、おもむろに身投げした。

 青年は即座に飛び出すと落下する女生徒の腰に腕を回し、壁を駆け上り、再び同じ位置に座らせた。


「……」

『……』


 女生徒は困惑した表情で言った。


「私、そっち方面には疎いからよくわからないんだけど……もしかしてあなたツンデレってやつ? 助けたいのに素直に言えないの?」

『はぁああ!? ふざけんな!! 助けたくて助けたわけじゃねえよ! 死ね!!』

「助けた相手に死ねって……。じゃあどうして私を助けたの?」

『ぐっ……それは……』


 人助けをしなければならない理由を話してしまえば、刑期が10年伸びる。それは避けたかった。


「教えてくれなきゃ、今度はあなたの目の届かない所で死ぬから」

『いや、それじゃ駄目だな。さっき俺は映画館の中にいたんだが、強制的にここへ飛ばされた』

「(飛ばされた?)へえ、強制されてるんだ。誰に? 女の人?」

『ライオンみてえな髭面ひげづらしたクソジジイだ。閻魔だかなんだか知らねえが、人助け強制しやがって……!』

「ほうほう」

『28歳まで生きたせいで28年間も人助けしなくちゃいけねえ。ったくほんと嫌になる……ぜ……』

「どうしたの?」

『ウワァアアアアアア話しちまったぁあああああああああああああ』


 青年は生前経験したことがないほどの絶望を感じていた。


「28年が……38年に……ちくしょう……」


 体育座りで丸まってぐずる青年のあまりの情けなさに、女生徒は同情して背中をさすってあげた。


「どうどう、落ち着いて。ほら、聞いてあげるから。せっかくだから全部話しちゃいなよ。楽になれるよ」

『ああ……そうするよ……』


 一から洗いざらい話をした。人助けをする理由も、話すことで刑期が伸びることも。


「そっか……そんなことがあるんだ」


 初めは疑心暗鬼だった女生徒も、透明化したり金網をすり抜けたりする姿を見せられては信じるしかなかった。


『ああ。一応忠告しといてやるが、自殺は地獄行きだぜ。生命を冒涜したとかでな。ま、俺ほどの罰は受けねえだろうがな』

「罰を受けるくらいなら、別に死んでもいい」

『じゃあ早く死ねよ。目障りだ。俺の手が届かない所でさっさと死ね。刑期10年伸ばしやがって疫病神が。人様に迷惑かけずに死ねよ』

「なっ……」


 慰めの言葉が欲しいわけではなかった。ただ、その返答はあまりにも予想からかけ離れていた。辛辣に罵倒してくるなんて夢にも思わなかった。


「そこまで言う必要はないでしょ!? それでもあなた人間なの!?」

『残念。俺はもう死んでるから人間じゃねえよばーか。ま、生きてても同じこと言うけどな。同情して欲しいならヒーローの所に行きやがれ。この世界にヒーローなんていねえけどな。つまりてめえは一生救われねえってわけだ! こいつは傑作だぜ! ギャハハハハハハ!』

「……っ!」


 涙を浮かべて睨む。しかし青年はどこ吹く風だ。そんな視線は慣れたものだと言わんばかりに。


「このクズ! ゴミ! 犯罪者っ!!」

『おうそうだよ。だからこんなやりたくもねえ人助けをやらされてんだ』


 反論できずくやしい。何か、やり返せないものかと思案する。

 やがて女生徒ははっと気づく。この罪人が嫌がるようなこと、それは。


「言いふらしてやる」

『……は?』

「あんたのその人助けの理由! 他人に話して刑期延ばしてやるんだからっ!」

「はぁああああ!? てめえふざけんじゃねえぞ!! ぶっ殺してやる!!!!」


 完全に頭にきた青年は女生徒の襟首をつかむと振りかぶった拳を顔面に叩きつけようとした。

 が、できない。ぷるぷると、身体が固まり身動きができなくなっていた。


「やっぱり! 人助けにきたんだから人を殴れるはずないわよね! ざまあみろ! 刑期が延びて泣き叫ぶ顔が目に浮かぶわ!」

『くそったれぇえええええええええええええええ!!!!!!』


【いくら大罪人とはいえ、人をあまり弄んではいかんよ、女生徒よ。そんなにわしと地獄で会いたいか?】


 突然、どこからともなく老人の声がした。女生徒の襟首から手を放すと、憎々しげに宙空を見上げる。


『元はといえばてめえのせいじゃねえかくそじじい……!』

【お前にふさわしい罰を下したまでだ】


 女生徒からは、青年が宙に向かって叫んでいるように見える。そこには何もいないが、確かに声が聞こえた。


「……何? 誰かいるの?」

『閻魔だよ。さっき話したろ』


 もう一度、目を凝らして見てみるとぼんやりとそこに何かが浮かんでいるように感じた。


【お前のことだから行動制限の穴をついて何か悪さをしているんじゃないかと見に来てみれば……まさかわしのことまでばらしていたとはな。なぜ刑期を延ばすような真似をした】

『ちっ……やりたくてやったわけねえだろうが。成り行きだよ』


 今までの経緯を説明すると、閻魔大王はなんとも言えないような顔で告げた。


【何もお前の刑期を延ばしたくて課した罰ではない。不意をついて出てしまう言葉もあろう。ゆえに、そこの女生徒が信じなければ不問としてもよかったのだが】


 女生徒の方を見やる。


『さっきまでの話は嘘だ。全部忘れろ』

「いや……私も今の聞いてたし……無理だよ」

『土下座すればいいんだな!? それとも靴を舐めればいいのか!?』

「だから無理だって!」


 ぎゃーぎゃー騒ぐ二人を閻魔大王は生暖かい目で見つめていた。


【そろそろ仕事に戻らねばな。大罪人よ、一年後にまた様子を見に来る。悔い改めよ】


 それから声は聞こえなくなり、青年がうなだれる様子から、女生徒は閻魔大王が地獄へ帰ったのだと知る。ぽつりとつぶやいた。


「この世界にヒーローなんていないって言ったよね」


 屋上の縁であぐらをかく青年は頬杖をつきながらけだるそうに答えた。


『ああ。会ったことがねえからな』

「じゃあ、あなたはバッドヒーローだ」

『バッドヒーロー? なんだそりゃ。ヒール(悪役)でいいだろ』

「ヒールが人助けするの?」

『ぐっ……わかったよ。好きなように呼べ』

「うん、決定」


 そう言って、女生徒は初めて笑みを浮かべる。


 この人はヒーローなんかじゃない。それでも、いつまでも助けてくれないヒーローよりも、助けてくれるバッドヒーローの方が私にとってなによりのヒーローだった。


 ◇◇◇


 ――1年後。

「くそ!! もっと兵器持ってこい!! なんでこいつ死なないんだ!?」

『死んだ奴を殺せるわけねえだろ、ばーか』


 ◇◇◇


 ――3年後。

『あの女殴れなくてむしゃくしゃしてたんだよ。丁度良かった。殴れるてめえらに感謝だぜ』

「ゆ、許して下さいぃ!」

『許すとか許さないじゃなくてよ。ストレス解消がしたいんだよ。悪人しか殴れねえからな。今のうちに殴っとかねえといつ殴れるかわからねえし』

「ゆ、許して」

『だーめ』


 ◇◇◇


 ――10年後。

「捨て猫拾ってきた」

『俺が課せられてるのは人助けなんだが……』


 ◇◇◇


 ――30年後。

『こんな目立つ所で死のうとしてんじゃねえ! 助けなきゃいけねえだろうが! 死ね!』

「えっ……え?」


◇◇◇


 ――60年後。

『信号の向こうまで背負ってやるから乗れ』

「孫が見ていたアニメにツンデレという子が出ていたんじゃが、もしかして君はそのツンデレなのかのう?」

『ツンデレじゃねえよ!』

「じゃあどうして助けてくれたのかのう」

『ぐっ……それは……』

「ほっほっほ、ツンデレツンデレ」

『ちくしょおおおおおおおお』


「じゃあのう、ツンデレのお兄さん。助かったよ」

『けっ!』


 ◇◇◇


 ――××年後。

 いくらか延びたものの、無事に刑期を終えた青年は地獄に戻って成仏することになった。昔と変わらない姿の青年と、もうすぐ寿命を迎える老婆が庭の見える縁側に座っている。


『この世界にヒーローなんていねえ。だから自分てめえの足で歩く必要がある』

「うん」

『てめえは立派に歩いてこれた。上出来だ。褒めてやるよ』

「でも、あなたがいてくれたから」

『はっ。俺がヒーローに見えんのか? ま、年でボケちまってんならしょうがねえか』

「いじわる」

『なんとでも言え。俺は悪人だぜ?』

「……」

『……』


 沈黙が二人を包む。やがて老婆は口を開いた。


「お迎えが来たみたい」

『ああ、俺もだ。天国と地獄だからな。ここでお別れだ。元気でやれよ』


 眠るように身体を横たえると、身体から彼女の霊体が出てくる。

 地面に地獄の門が開き、空に天国の門が開く。天国の門に近づくと、彼女は振り返った。


『じゃあね。バッドヒーロー』

『最後くらい名前で呼べっての』

『それはほら、また。来世で会えたら』

『は。どうだかな』


 男が地獄の門の中に飛び降りるのを見届けると、彼女は天国の門に入っていく。


 やがて辿り着いた先に待っていたのは、翼の生えた神官だった。


《よくぞ天国へ参った。褒美を与えよう。汝は何を欲する?》

『生まれ変わることはできるかしら』

《転生を望むか。何になりたい?》

『地獄へ成仏しに行ったあの人と、幼なじみになりたいわ』


 神官は書類を取り出してページをめくり、該当する人物の項目を読み取ると、顔をしかめた。


《奴は悪人だ。生まれ変わったとしても悪人のままだ。それでもよいのか》

『ええ。ヒーローなんていないもの。だったら』


 若い頃の姿が彼女に重なり、神官に告げた。


『私がヒーローになればいいだけじゃない』


 あの人が悪役で、私がヒーロー。

 そんな物語を、二人でつむいでいきたい。


Fin.

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