第四話 暴君散歩
少し間が空いてしまった…。
ハノイ君とレオン君のお散歩回です。
ハノイとフクロウがやって来た日から二日後の朝、少年は午前八時頃に目を覚ました。目覚まし機能はこの部屋の時計にはついていないので、ここに来てからは体内時計で自然と八時前後に目が覚めるようになっている。大きなあくびをしながら上体を起こし、タンスから適当な服を引っ張り出す。のそのそと服を着替えながらあくびをしていると、「キンゴーン」とあの中途半端に響く音が聞こえた。少年はそれに「はぁい」と返事をし、Tシャツの裾を正してから扉を開ける。と、爛々と光る翡翠の目と目が合った。少年と目が合うと彼は明るく笑い、元気よく片手を上げる。
「やっほー、おはよーっ!朝だよー!お散歩いこーっ!」
「……うん、おはよ、ハノイ君」
朝からテンションの高いハノイに少年は苦笑しつつ挨拶に応じた。外に待たせるのも悪かろうと扉を大きく開けると、ハノイは「わーい!」と言いながら入ってくる。少年はそれに少し笑いながら扉を閉め、台所へ行くとヤカンに水を入れてコンロにかけた。ベッドに腰掛けて足を揺らしていたハノイは首を傾げる。
「何か飲むのー?」
「ん、今お湯沸かしてティーバッグ入れとけば、帰ってきたころにはお茶出来てるかなって」
「あー、なるほど!あったまいーい!」
ハノイは手を合わせて笑った。少年もそれに少し照れたように笑い、ベッドの上のぐしゃぐしゃになった布団を簡単に折って脇に置く。それから洗面所に行って顔を洗い戻ってくると、既にお湯は沸いているようだった。その火を消して棚から取り出したティーバッグを中に入れ、少年はハノイを振り返る。
「ハノイ君、朝ご飯食べてきた?」
「うん!フクロウがオムレツ作ってくれたー」
美味しかった、と言うように両頬を押さえて頬を緩めるハノイに少年は微笑ましそうに彼を見た。暴君だと言われてはいるが、普段はこんなにも可愛らしい子供なのだと思うとこの場所もさほど地獄のように酷いわけではないと感じる。財布をポケットに入れてヤカンの蓋を閉めると、ハノイはぴょんとベッドから立ち上がり、首を傾げた。
「レオンちゃんは朝ご飯いいのー?」
「あぁ、うん。あんま朝は食べないし」
「じゃあ、いこーっ!」
ハノイはとても楽しそうに片手をあげて扉を開けた。少年もそれに続いて部屋を出て、鍵を閉める。ハノイはすぐそこで待っていた。フクロウが「待っていてくれる」と言っていたことを思い出し、少年は少し笑って彼に話しかける。
「おまたせ、じゃあ行こうかー」
「行くー!」
ハノイは可愛らしく笑い、少年と二人で階段を降りた。下の広場は少しずつ人が増えてにぎわい始めており、何人かはハノイを見て少し驚いた表情を浮かべるが、遠のきに見るのみで何かを口に出すことはなかった。少年は楽しそうに歩くハノイに尋ねる。
「そういえば、どこに向かってるの?」
「んー? 廃墟地区!」
ハノイは楽しそうに答えた。その足取りは軽く、とても楽しそうなその笑顔に少年も少しほっこりとする。しかしその内容を認識すると、少しだけ少年の笑みが凍った。廃墟地区。それは東にあり二つのギャングのテリトリーの間で喧嘩も日常茶飯事だとアニーが話していた。笑みを凍らせて口をつぐむ少年にハノイは不思議そうに彼を振り返った。そして首を傾げる。
「どうしたのー?」
「う、ううん、何でもない。ハノイ君はよく行くの?」
少年が気を取り直して尋ねると、ハノイは笑みを浮かべて大きく頷いた。少し飛び跳ねるように歩を進め、ニコニコと笑う。
「うんっ!ハイルもアルベルトも仲良しだよー」
「そうなんだ…」
「アルベルトは手先が器用だしー、ハイルはのんびりしてて面白いしー、あそこ結構楽しいよ!ぼくは好きー」
そう語るハノイの表情は楽しそうで、本当に仲がいいのだと少年にも分かった。噂は所詮噂だ。本当に判断するのは自分だと考え、笑みを浮かべてハノイの隣へと少し歩を進める。ハノイはとても楽しそうに近くの店を指さし、「あそこは鶏肉が美味しい!」や「あそこの店員さんは優しいよー!」と説明していく。その一つ一つに相槌を打ちながら、少年はその散歩を楽しんだ。
やがて人通りも店も少なくなり、ある地点でハノイは足を止めた。少年も足を止める。ハノイは少年を見上げ、そしてにこりと微笑んだ。
「ここからが廃墟地区。ギャングのたまり場で、もう誰も住んでない悲しいところ」
「悲しいところ…」
ハノイの言葉は、不思議な響きを持っていた。少年が繰り返すと、そうだよ、と彼は明るい声で言う。しかしその顔に浮かんだ表情は少し悲しそうな笑みで、くるりと踵を軸に回りながら少年を見る。
「皆この場所が嫌いなの。古くて暮らしにくいって。ハイラインもアルベルトも、昔は住んでたけど政府に怒られて他のところに住めってされた。偉い人たちは皆お馬鹿さん」
「政府は、けが人が出るのが怖かったんじゃないかな。廃墟でもし崩れたら危ないし…」
「うん、だって皆は見えないもん。ぼく知ってるよ、こんなに綺麗なのに、皆は見えないんだ」
ハノイはそう言って空に手をかざした。そこに何があるのか、少年には分からない。しかしハノイの目は確かに何かを映していた。それが彼の持つアクセサリによるものなのか、それとも生まれつきの物なのか少年には分からないが、何も言えずに息を呑む。じっと何かを悲しそうに見つめるハノイは、しかしすぐに手を下ろすと少年に笑みを向けた。
「案内の途中だったー!レオンちゃん、いこー!」
「あ、うん…」
少年が歩きだすと、ハノイはにこにこと笑いながら楽しそうに歩き出した。小さな声で歌うハノイに少し笑みを浮かべ、少年は少し周囲を見渡す。確かに廃墟らしく、周囲の建物の扉は壊れたり板を打ち付けられたりしていた。生気もなく、ただ寂しい空気が漂っている。しかし少し歩くと向こうの方から人の声が聞こえ、ハノイは歌うのを止めた。そして少年を見上げ、口角を上げる。
「喧嘩してるみたいだねー」
「いつもこんな感じなの?」
「うんー、賑やかで楽しいよー!」
楽しいとは。少年は頭の中の辞書を引きたくなったが、ここではその辞書は誤植だらけなのだろうとそれを閉じた。ハノイは躊躇いなく歩いていき、少年も恐る恐る周囲を見ながらそれについていく。少し行った先のビルとビルの間の広場に大勢の青年がおり、互いに罵声を飛ばしては殴り合っていた。しかしハノイはそんな集団には目もくれず、その少し離れた場所ある大きな木に向かって歩いていく。少し近づくと、そこに二人の青年がいるのが少年にも見えた。片方は興味なさげに手元の何かをいじっており、もう片方もクッションを抱きしめて寝転がっている。ハノイは何かをいじっている青年に歩み寄り、その肩に手を置いた。
「アルベルトやっほー!」
「ん? おー、ハノイか」
肩に手を置かれた青年は振り返らずに驚きもせずそう言った。ハノイは楽しそうに笑い、そして少年を手招きする。少年が歩み寄ると、青年は初めてそこで振り返った。赤い、少し短めに切りそろえられた髪の先で金色の目が少年を映し、意外そうに一度瞬きをする。
「珍しい、ハノイがフクロウ以外といるなんて」
「えへへー、レオンちゃんって言うんだよーっ!お散歩してるのー!」
「へー、いいじゃん」
青年は目を細め、そして少年に片手を上げた。その手に嵌められた武骨な腕輪がカチャンと音を立てる。その腕輪のくすんだ金色が街灯に反射して鈍く光った。
「アルベルトだ、初めまして」
「レオンです、初めまして」
レオンが軽く頭を下げると、アルベルトは目を細めて「よろしく」と言った。赤い髪はかなり派手で少し心配したのだが、どうやら良い人らしいと判断して少年は小さく息をつく。ハノイはその様子ににこにこと楽しそうで、しゃがむとアルベルトの手元を指さして首を傾げた。
「ねぇねぇアルベルトー、今は何してるのー?」
「いつも通り、ただの修理。良いのが手に入ったから超楽しい」
「へー!面白いのー? 面白い奴だったらぼく、欲しいなーっ!」
「えー、いくら出すかによるぞ」
ハノイの言葉にアルベルトは気楽に答える。彼が手元でいじっているのは携帯電話のようなもので、しかしモニターの代わりについているのは花の蕾のような何かだった。針金で出来た茎のような物もあり、ダイヤルのような物もついている。不思議そうにそれを覗きこんだ少年に、アルベルトはシニカルに笑ってそれを軽く揺らした。
「気になる?」
「え、あ、はい…俺アクセサリよく知らないんですけど、凄いなって」
「だろー? そういえばお前のアクセサリって何?」
「あ、えっとこういう奴…ギア-76っていうんですけど」
少年は少し長くなって耳を隠してしまっている髪をかきあげ、左耳の歯車のピアスを見せた。それを見た瞬間アルベルトの目が丸くなり、突然両肩を掴まれる。なんだと問う前に彼は目を輝かせて口を開いた。
「それ売ってくれ!」
「へ?」
「ギアシリーズはアクセサリ強化に良く使えるんだよ!頼む売ってくれ!」
「あははー、アルベルトはアクセサリマニアだからねー」
がくがくと肩を揺さぶられる少年と、目を輝かせながら肩を揺さぶる青年と、それをすぐ横で見ながら楽しそうに笑っている少年。廃墟の中、すぐそこで喧嘩の怒号も飛び交う中、とてもシュールな光景がそこで繰り広げられていた。
最近少し多忙ですので、更新が遅れてしまうかもしれません。
次回第五話、「廃墟地区」
私が動かすの好きな二人がやっと動かせます。やったー。