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第三章 1

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 エルネスタは、ヘンリエッテの部屋で本棚を物色していた。あらかじめ寮の部屋には本棚が設置されているのだが、それでは足りず増設したエルネスタに対し、ヘンリエッテのものは本ではなく自作の化粧品や美容グッズで埋め尽くされていた。しかも、自分で持ち込んだソファを本棚のそばに置いているため、下段は塞がれてしまっている。

 申し訳程度に取って置かれたスペースにある雑多な本の中から、エルネスタは基礎課程の教科書を見つけ出しパラパラとめくった。


「エル、どう? 使えそう?」

「んー……いくら基礎課程でもやっぱり初心者向けではないわね」

「やっぱりそうよね」


 ヘンリエッテは爪をスクリーンに見立てそこに絵を浮き上がらせる魔術の実験をしながら、朝早くから部屋を訪ねてきたエルネスタを見やった。

 基礎課程の教科書を真剣に読むエルネスタには、つい最近まであった焦りや苛立ちというものが漂っていない。研究材料が確保できたという安心感もあるだろうが、それ以外のことがエルネスタの心を明るくしているのをヘンリエッテは察知していた。


「それにしても、異世界の男の子を研究材料にしようなんて、やっぱりエルは変わってるわね。もちろん、良い意味で」


 悠人に基礎課程の教科書を使って魔術を教えるために、エルネスタはヘンリエッテの部屋を訪ねてきた。エルネスタも捨てずにとってはいるのだが、なにぶん蔵書が多いため探すのに骨が折れる。だが、あまり本のないヘンリエッテの部屋なら割と簡単に見つかるだろうとの考えで、エルネスタは彼女の部屋を訪れたのだった。ニコルの部屋も本は少ないが、植物園と化しているため物探しには不向きだ。


「言い出したのはユートのほうなのよ。ユニコーンみたいに優雅な生き物じゃないけど、確かに魔術がない世界の人間っていうのは面白い研究材料よね」


 昨夜、エルネスタから事情を聞いた悠人は、「俺って、研究材料にならないか?」と言い出したのだ。

 確かに、生成量に違いはあれど、魔力がない人間というのはいない。だが、これまで同じ世界の人間のことしか知らなかったエルネスタにとって、ユニコーンのように人間も研究材料になるなんて思いつきもしなかったのだ。


「生活の中に全く魔術がない世界の人にもわかる魔術っていうものを開発できたら、今よりもっとたくさんの人に魔術を身近にできるはずよね。その実験台にユートはうってつけだなって思ったの」

「そうねぇ」


 楽しげに話すエルネスタを見て、ヘンリエッテは色々察したが、子供ではないので冷やかしたりはしない。ただ、素直ではないこの子からどうやれば恋バナを聞き出せるだろうかと考えてしまう。


「研究材料が人間だと、色々足並みを揃えなきゃいけないから大変ね」

「そういうヘンリエッテとニコルだって、共同研究じゃない」

「まぁ、私たちの場合は私が実験台も兼ねてるんだけど」


 ヘンリエッテは美容グッズ、ニコルは健康茶の研究を進め、いずれは二人で女性のための店を持ちたいと考えている。薬学としてではなく美容と健康の観点から魔術にじっくり向き合うというのは、昔からないわけではなかったが学院で学んでまでやる者はいなかった。そんなものは民間に伝わる簡単な呪文や魔術薬学を、魔術使いではない者がもっともらしい顔をして使っていると思われているのだ。

 そんな軽んじられがちな分野に興味がある二人を、エルネスタは決して馬鹿にしなかった。

 ヘンリエッテとエルネスタが親しくなったきっかけも、彼女が図書館で瞳の色を変えるための魔術のヒントを探していたことだった。

 ヘンリエッテは、小さな頃からお人形のような綺麗な目の色に憧れていた。そして洋服を着替えるようにその日の気分で目の色を変えられたらと思い、魔術の勉強を始めたのだ。

 そんな理由で学院に入学した彼女を、周りの子たちは綺麗だけれど頭の弱い女の子だと判断した。教師ですら、「瞳の色をピンクにしたい」というヘンリエッテの夢を本気にしなかった。

 だが、エルネスタは違った。むしろ感心したくらいだ。そんな面白いことを思いつく子がいるのかと、エルネスタはヘンリエッテに興味を持ったのだ。

 笑わずに自分の話を聞いてくれたエルネスタを、ヘンリエッテはたちまち好きになった。そしてそのとき、身なりに構うより魔術が楽しいという様子だったエルネスタの女の子としての可能性を見出し、あれこれと世話を焼きはじめたのだった。

 ニコルと知り合ったのも、二人で学院の敷地に生える薬草を片っ端から採取して美容効果について考察しているときだった。人とあまり関わりたがらず草ばかり相手にしていたニコルだったが、毒があるものにまで手を出す二人を放っておけなかったのだ。


「ねぇ、瞳の色をそろそろまた変えようかなって思うんだけど、何色がいいと思う?」


 教科書を読むのに夢中になってしまっているエルネスタに、ヘンリエッテはそう声をかけた。


「唐突にどうしたの? そのピンク、ひと月前にやっと思い通りの色になったばかりじゃない」

「唐突じゃないわよ。来月のダンスパーティーに向けて、ブラッシュアップしておきたいの」

「あ……」


 ヘンリエッテの口から出た『ダンスパーティー』という言葉に、エルネスタは嫌なことを思い出した。

 聖人誕のパーティーは、学年が下のときはただご馳走を食べたり、着飾って友達と煌びやかなホールを歩き回ったりするだけで楽しかった。だが、学年が上がるにつれて、パートナーがいる子も増え、男女連れ立ってパーティーに参加するようになる。だから、年頃の女の子としてはエスコートしてくれる男性がいないというのは気になるものなのだ。


「ヘンリエッテは、その……もう誰と行くか決めたの?」


 恐る恐ると言った感じで、エルネスタは尋ねた。それに対してヘンリエッテは気怠げだ。


「んー、迷い中。まぁ、もう決めかかってはいるんだけど」

「どっち?」

「ダイキくん」

「何で?」

「消去法よ。ショータくん、私のこと手紙で『ヘンリー』って呼ぶの。……私が名前を短くして呼ばれるのが嫌いだって知らないとはいえ、やっぱり嫌なのよ」

「消去法って……」


 色気のある話かと思いきや、夢も希望もない話だった。ヘンリエッテはそう呼ばれると一気に自分の名前を古臭く感じるからという理由で、『ヘンリー』という愛称を極度に嫌っているのだが、それさえなければ未だにどちらも選びかねているということだろう。

 ヘンリエッテ自身が選り好みが激しいというわけではない。ヘンリエッテがいいなと思うことがあっても、相手が『追っかけ』以上の気持ちにならないことがほとんどなのだ。


「エルはどうなの?」

「どうなのって……」

「ユートくんと行けばいいじゃない。好きなんでしょ?」

「……うん」


 こんなふうにストレートに聞かれてしまうと、隠しようがないとエルネスタは思った。元々隠すような間柄ではないし、自分の中の気持ちの整理もついていた。

 だが、いくら自分の中の悠人への好意を認めたところで、あまりにも脈なしな反応をされると、それを表に出すのはやはり憚られる。


 昨夜、自分を魔術の研究に使ってはどうかと提案した悠人は、「『良縁を引き寄せる魔術』の結果としては失敗だったかもしれねぇけど、研究に利用できればちょっとは取り返せるだろ?」などと無邪気な様子で言ってきたのだ。

 そんなことを言われてしまったら、良い雰囲気になりようもないとエルネスタは思ってしまった。悠人が今現在もしエルネスタに関心があるのなら、そういうことは言わないだろうということは、恋愛に疎い女の子でも十分理解できる。


「もぉ、そんなこと言ってないで自分から『あなたが好きなの』って伝えたらいいじゃない! 伝えることで変わることだってあるんだから」


 自分に色気のある話がないヘンリエッテは、つい熱くなってエルネスタを焚きつけようとする。だが、それを聞いてエルネスタはますますしょんぼりとする。


「そうよ……伝えることで変わってしまうことがあるのよ。気持ちを伝えて気まずくなって、研究に協力してもらえなくなることのほうが余程大変よ。だから、このままでいいの」

「エルったらぁ……」


 残念がりながらもエルネスタの言い分がわかるため、ヘンリエッテはそれ以上何も言わなかった。

 今は誰かを好きという気持ちよりも優先すべきものがある。

 綺麗なドレスを着て素敵な人と踊れたらいいなと思うけれど、ダンスパーティーは一夜のことで、エルネスタの人生はもっと長く続いていく。それならば、長く続いていく人生のために行動しなければならないのだ。

 魔術従士になるために、そのために後ろ盾を得るために、聖人誕までに目覚しい成果を上げておく必要がある。


「でも、好きな人と一緒に何かできるって、それだけでいいわねぇ」


 光る爪をうっとりと眺めながら、ヘンリエッテは言う。だが、エルネスタは頭を抱えていた。


「……楽しい共同作業じゃないわよ、たぶん。最初は超初心者に対しての授業が必要でしょうからね」

「まぁ、魔術については初心者なんだから仕方ないでしょ」

「必要なのは魔術の授業だけじゃないのよ」


 教科書を読みながら、エルネスタは気づいたことがあった。

 それは、エルネスタの世界と悠人の世界の言語の違いだった。今は魔術を媒介にしてお互いの意思疎通をしているが、それは同じ言語を話せるようになったというわけではない。


「あたし、ユートにまず文字を叩き込まなきゃいけないのかも……」

「あらぁ……それは大変ね」


 とりあえずやってみるしかないのかもしれないが、エルネスタはやらねばならない物事の多さに軽く目眩がした。

 文字を教えて、魔術の基礎を叩き込んで、悠人に小さな子供が使えるレベルくらいの魔術は使えるようになってもらわなくてはならない。

 そのことを考えると、先程まで未練がましく頭の隅でちらついていた綺麗なドレスが霧散していった。


「普通に、パーティーどころじゃないわ……」




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