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(あとは……どうしよう)

 一度頭の中を整理しようと、一階に下りた。玄関ホールの隅にソファがあったので、腰を下ろす。どっと疲れが出た。

 この先、誰かに伝言を頼むのはおそらく無理だ。そもそも谷口が来ないのであれば、伝言は意味をなさない。せめて谷口の出店場所がわかれば、谷口の知り合いに頼めるかもしれないが、面識のない相手からの伝言をどう思うだろうか。

(講演するくらいだし、この業界だと有名人なのかもしれない)

 一ファンを装って偽のファンレターでも託そうか――琴美は講演会のチラシを取り出した。裏に松野と谷口の簡単なプロフィールが載っている。理恵の言ったとおり、二人とも同じ専門学校の卒業生だった。しかし連絡電話やメールアドレスはもちろんのこと、所属会社やブログアドレスといった、連絡をつけられそうなものが一切載っていない。これは意図してのことなのだろうか。

(うわぁ……本格的に困ってきた)

 角を曲がるたびに通行止めの表示が出てくるような気分だ。考えれば考えるほど、追い詰められていく。

(これはもう、しょうがないよね……あたし、できるとこまでがんばったよね?)

 理恵には申し訳ないが、これ以上はどうしようもない。そして今さらだが、谷口に会えなかったと理恵に伝える方法もないことが、琴美の気分をますます暗くした。

 今日はもう帰ろう――パンフレットを仕舞って立ち上がったとき。

「こんなところで何をしてるんだ?」

 知った声が頭上から振ってきた。

 琴美は腰を上げる直前の、奇妙な格好のまま顔を上げた。予想通り、白崎がそこに立っていた。本日は最初に大学で出会ったときと同じ、ダークグレーのスーツ姿だ。

「こんにちは。白崎さんはお仕事ですか?」

 ぽかんとしていたのは一瞬のこと。急いで立ち上がって一礼した。

「ああ。先週のカメラの件で、な」

 白崎は琴美をじっと見てから、座れと手振りで示す。琴美が座り直すと、自分は断りもせずに横に腰を下ろした。

「あのカメラ、まだ調子が悪いんですか?」

「いや……あれから故障はなくなったみたいだ」

「そうですか。原因はわかりました?」

「まだ究明中だな」

 淡々としたやりとりの後、白崎は探るような口調で言った。

「それで、そっちは何をしてるんだ?」

「ええと……これに来ました」

 琴美はしまい込んでいたパンフレットを引っ張り出した。

「『何でも手作りフェスティバル』?」

 思わず声に出して読んでみて、白崎は思い出したように、正面の催事案内の掲示板を見やる。

「四階のあれは、このイベントだったのか。それにしても意外な趣味があったんだな。何か作れるのか?」

 初心者でも簡単、とロゴの入っているチラシを見て、白崎は素直に感心している。こんな状況でなければ、琴美だって少しは興味を持っていたかもしれない。

「いえ、実は、趣味でも何でもなくて……」

「知り合いでも来てるのか?」

「はあ……いえ、知り合いと言うほどの面識もなくて……しかもその人がいなかったんです……」

 パンフレットをめくる白崎の手が、止まった。

「……何しに来たんだ……?」

「ほんとに、何しに来たんでしょう……」

 琴美自身が一番聞きたいことだった。どうしてこんなことになったのか、誰か教えて欲しい。

 白崎はパンフレットを閉じると、うつむく琴美を見つめた。

「まさかと思うが、また初対面の人間に何か頼まれたんじゃないだろうな」

「え」

 顔を上げると、覗き込んでくる白崎とばっちり目が合った。否定しようにも、言葉が出ない。

「……どうしてわかったんですか?」

「さあな」

 白崎は素っ気なく首を振って、促した。

「話してみろ」

 琴美は躊躇った。

「あの……ここだけの話にしておいてくれます? ご迷惑は掛けないと思いますから……多分」

「わかったから言ってみろ」

 さらに何度か同じようなやりとりを繰り返して、琴美は重い口を開いた――先週、一人残った四階で、何があったのかを。

「――監視カメラの周りを見て回ってたんです。今日のイベントのチラシとかいっぱい積んであって、それを見てたら女の人が来たんです」

 女性が中本理恵と名乗ったこと、『何でも手作りフェスティバル』の参加者でもあるデザイナーの谷口と連絡を取りたがっていたこと、そのために数日間、ビルに忍び込んでいたこと。

 白崎は、何も言わない。

「カメラの不調は、もしかしたら理恵さんと関係あるのかもって考えなかったわけじゃないんです。理恵さんだって悪いことだって解ってるけど、どうしても谷口さんと連絡が取りたいんだって。他に方法があればと思って一緒に考えてたんですけど、そのうち理恵さんが良いことを思いついたって」

「お前に伝言を頼む、って?」

 琴美はこくりと頷いた。

 思った通りの答えだったが、白崎は敢えて顰め面を作る。

「初対面だったんだろ? しかもそんな一方的な話、しらばくれて放っておいてもいいんじゃないのか」

「そう、なんですよね……そう思ったんですけど……」

 琴美はうつむいて、意味もなく手を握ったり開いたりしている。

「何の得にもならないだろ。お人好しってのはいいように使われて損するだけだぞ」

 握られた手は、開かなかった。

「でも……できたら伝えてあげたかったんです」

 おそらく理恵は谷口のことを――。

「相手にしてみたら、聞かなくても良いことかもしれないし、むしろ聞かない方が良かったと思うことだっていくらでもある」

 白崎のその意見は、無数にある選択肢の一つだ。

 握られた手が、ゆっくりと開く。

「……何も聞かなかったことにしてた方がいいんでしょうか」

「決めるのはお前だろ。究極の自己満足を目指すのか、自分勝手な頼みを無視して気楽に過ごすのか。俺はどっちでも構わない」

 つい、突き放した口調になって、白崎は琴美の様子を窺い見る。

「……前にもこんなこと、ありましたよね」

 琴美は、遠くを見つめて微笑んでいた。

「ああ、ストーブの時な」

「あの時も、考えてみたら一方的な話でしたよね」

「今頃気づいたのか?」

 あきれたような突っ込みは聞こえなかったことにして、琴美は続けた。

「あの時は結局、白崎さんにお願いしましたけど、どうして引き受けてくれたんですか?」

 予想外の方向からの質問に、白崎は答えに窮した。

「どうして、って、それは……あれだ。会社で雇ったバイトだと思われたわけだから、一応責任者としてだな」

「そういえば、そうでしたよね。あのときは立原技研の人間だと思ったから西山さん、頼んできたんですよね……」

 よし、と小さく呟いて、琴美は立ち上がった。

「今日はこれで帰ります」

「どうするつもりなんだ」

「自分でできる範囲で谷口さんに連絡できる方法がないか、探してみます。結構有名な方のようですから、ネットで何か辿れないか、やってみます」

「そうか」

 白崎はパンフレットを琴美に返した。それから、迷った末に付け足した。

「どうしても見つからなかったら、言え」

 琴美は最敬礼のお辞儀をした。

「ありがとうございます。その時は迷わずお願いします!」

おかしいな……いつのまにか6月ですよ……。

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