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 女性の名前は中本理恵なかもと りえと言った。

「高校まで地元の群馬で、専門学校に行くのに東京に出てきたの」

 もともとアクセサリー作りが趣味だったので、家族の反対を押し切って宝飾美術の専門学校を選んだのだと言った。

「どうせならもっと堅い仕事か、どこにいっても使える資格にしろってさんざん言われたわよ。学校に行ってからも、いちいちうるさかったから、卒業するまでろくに帰らなかったわ」

 才能一つで身を立てると言えば聞こえは良いが、立てられなかったらそれまでだ。流行廃りも大きく影響する、浮き沈みの激しいバクチのような人生はよせと、理恵の両親は口を揃えて繰り返したそうだ。

「才能が無くても食べていける仕事なら後でやってもいいじゃないって、その度に言い返してたけど」

 よくある親子の対立だったと、理恵は肩をすくめる。その光景が目に浮かぶようで、琴美は苦笑するしか無い。

「今は仲直りしたんですか?」

「ぜーんぜん。んでも、デザイナーって名目で小さな会社に就職できたから、職に就いたって事で親は納得したって感じかしら?」

「デザイナーさんだったんですね」

「仕事は雑用の方が多いけどね」

 自嘲する理恵に、琴美は首を振った。

「デザイナーの仕事もあるんですよね? 多少ずれてても、希望職に就けるってことはすごいことだと思います」

「……なんだかものすごく現実感のある台詞なんだけど、琴美ちゃんてもしかして就職活動中なのかしら?」

「ようやく先月就職が決まりました」

 やや誇らしげに告げると、理恵は手を叩いて喜んでくれた。

「よかったわねえ、ほっとしたでしょ」

「それはもう。おかげで今日はバーゲンにもこられましたし」

「え、今日? 何のバーゲン? どこでやってるの?」

 バーゲンと聞いて理恵の目の色が変わる。残念ながらと、琴美は階下を指した。

「ケスタの招待者バーゲンです。ここの下の階でやってるんですよ」

「ケスタかー、それは覗いてみたかったな」

 未練がましく理恵は階段を振り返る。会場は大盛況だが、その喧噪はここまでは届かないようだ。

「ケスタのアクセって、毛色が変わったのがたまに混じってるのよね」

「たまに異色なのがありますね、そういえば」

「……ちょっと降りて紛れ込んでみようかしら……」

「そこまで行くとさすがに内緒にしてあげられないんですけど」

「やあね、冗談に決まってるじゃない」

 理恵は明るく笑うが、すでに三日間忍び込んでいる実績の持ち主だ。簡単に信用するのもどうかと琴美は気を引き締めた。

「えーと、どこまで話したっけ。そうそう、就職できた話よね」

 うんうんと、理恵は一人で頷く。極力、琴美の視線を避けている。

「私の時は、今みたいに、みんながみんな、仕事にあぶれちゃうような事はなかったわね。でも、デザイナーって職の募集は少なくてね。デザイナー兼販売兼営業兼事務とか、そういう感じね。だから進路指導の先生も希望の幅は広げておけって言ってたわ」

「いつでも言われることって同じなんですね……」

 入学式から琴美も言われ続けてきた言葉だ。理恵は、微苦笑を浮かべた。

「誰もが思い通りの道を進めるわけじゃないのよね。選んだ道が間違ってるって気づくこともあるし。私も学校でいろいろ勉強すればするほど、意欲が消えていくって言うのかなあ。一時期、もう辞めようかなって思い始めたこともあってね」

 アクセサリーを作るのは楽しかったが、飛び抜けた才能があるわけではないと、すぐに思い知ることになった。隣で一つ、よくできた作品ができるのを見るたびに、いい知れない焦りが生まれる。新しいものを探しているうちに、今まで持っていたものをどこかに落としてしまう――毎日一枚ずつ、薄い紗のカーテンが目の前に降りてくるような日々だった。いつしか卒業後は別の道を選ぼうと考えていた。

「そんなときに、今回みたいな展示会の話があってね」

 専門学校全体で参加することになるから、一人一品ずつ作成した。理恵もブローチを作って出展した。それまで好んで作っていた可憐なものではなく、見た目にはごついが、繊細な色を施した作品を作り上げた。もう辞めるつもりだからと、大胆な方向転換をしてみたのだ。

「それが松野さんの目に留まってね。松野さんも、まだその時は駆け出しの新人だったんだけど」

 専門学校の卒業生だったという。後輩の作品を見に来て、理恵のブローチをじっくりと見て、褒めてくれたという。

「とても味のある作品だって。『ぱっと見て、素敵だとも綺麗だとも思わないのに、心に引っかかる。そうやって何度も見ているうちに、じわじわと心に響いてくる不思議な味の作品だ』って。もう、あの時ほど嬉しかったことはなかったわね。そんな風に褒められたのは初めてだった」

 当時を思い出したのか、理恵は虚空を見上げてうっとりとしている。アブない雰囲気ではなく、むしろ何年経っても薄れない思い出を持っていることに、琴美はうらやましいと思ったくらいだ。

「じゃあ、伝言したい人って、その松野さんって人ですか?」

 理恵は我に返って、急いで首を横に振った。

「ううん、違うわよ。今回松野さんが来るなんて今初めて知ったくらいだし。私が連絡を取りたいのは、専門学校の別の先輩」

 松野に褒められて再び意欲を取り戻した理恵は、卒業する頃には学外のコンテストでも賞を取れるほどに腕を上げた。もっと他で専門的に学んではどうかという話も出るほどだった。

「入賞したって言っても、学生対象のコンテストだったんだけどね。でも芸術学部の大学生も参加するし、それなりのレベルなのよ。でもねえ、親にもっと勉強したいから学費をくれなんてもう言えないから、一回就職してお金貯めようかなって。そうやってる先輩も何人かいるって聞いてたからね。谷口たにぐちさんも、そういう先輩の一人だったの」

 ペンダントヘッドをひねくり回しながら、理恵は少しだけ遠い目をした。

「谷口さんは同じコースの卒業生でね。私が入学した年に入れ違いに卒業した人なんだけど、ちょくちょく学校に顔出しにきて、いろんな話をしてくれた人だったの。で、賞を取ったときには、お祝いにごちそうしてくれたのよ。アフタヌーンティーセットって、知ってるかしら? お皿が三段重ねでケーキが出てくるんだけど」

「あー、一回だけ見たことがあります。高いんですよね」

 有名なカフェの写真で見たことがある。見た目以上に高価なので、学生の琴美にはなかなか手が出せない、贅沢品だ。

「そうなのよ。私もそれまで雑誌とかでしか見たこと無くて、目の前に出てきたときには感激したわ。しかも紅茶はポットで出てくるし、お皿にはお菓子と、サンドイッチが交互に乗ってて、しかもそのサンドイッチがまたおいしくって」

 またもや理恵は虚空を見上げてうっとりする。今回はよだれでも垂らしていそうな雰囲気だ。が、今回は琴美が声を掛ける前に、現実に返ってきてくれた。

「後から聞いたんだけど、ああいうときに出てくるのってキュウリのサンドイッチが定番なのね」

「英国風って確かそうですよね」

 何かの雑誌で読んだような記憶が残っていた。よく知ってるわねと、理恵は目を丸くする。

「けれどね、あのお店はスプラウトを挟んで出してくれてたの」

「スプラウト……ってなんでしたっけ。野菜?」

 聞いたことがあるような気もするが、思い出せない。質問されて嬉しかったのか、理恵は満面の笑みで説明してくれた。

「スプラウトっていうのは、野菜の名前じゃなくて野菜の種類の名前ね。カイワレとか、種から発芽したところで収穫して食べちゃうものなら何でもそう呼ぶらしいわ。私が食べたのはカイワレよりずっとちっちゃいスプラウトだったから、ブロッコリーとか、アルファルファとか、そういうものだったのかも」

「小さいカイワレですか」

 琴美が呟くと、理恵はくすくすと笑った。

「あの時はほんとに何も知らなくて、カイワレの赤ちゃんだと思って食べてたわ。でもカイワレって、カイワレの時点ですでに何かの赤ちゃんだから、カイワレの赤ちゃんって言うのは、よく考えるとおかしいわよね」

 発芽したばかりの状態を赤ちゃんと呼ぶのであれば、意味としては確かにおかしい。が、理恵が何を食べたのかはとても想像しやすい。琴美は何気なく理恵の胸元に視線をやって、閃いた。

「もしかしてそのペンダント、スプラウトですか?」

「わ、気づいてくれたんだ」

 理恵はペンダントをつまんで持ち上げた。ごつごつした台に薄いグリーンのガラスがはめ込まれていて、その中にハートが二つ並んで線で結ばれている。ただの模様かと思ったが、今の話を聞いてようやくわかった。種から出てきたばかりの、小さな双葉だ。

「実はそれ以来、スプラウトにはまっちゃって。味だけじゃなくて双葉って形も良いから、モチーフに取り入れてみたの」

「かわいいですね。でもそれだと双葉、っていうより、ハートに見えますね」

 大振りな指輪にも、双葉の模様が描かれている。こちらは金属に絵を刻んで、緑色を入れている。

「琴美ちゃんさっきから嬉しいことばっかり言ってくれるのね。そうなの、ハートの芽が出た、ってイメージで作ってみたの」

 理恵はくすぐったそうな表情で、ペンダントヘッドを持ち上げる。

「前に限定でいくつか作らせて貰ったときもけっこう評判良かったのよ。谷口さんにも、自分が独立したら作ってくれって言われたし」

 ああ、もしかして――琴美の中に伝わってきた感情が形になる前に、理恵は、はっとした顔色を変えた。

「そうよ、だからこんなことしてる場合じゃなかった!」

「そういえばその谷口さんに連絡をしたいんでしたよね……」

 話があちこち横道にそれてしまっていたが、理恵の目的はその一点だ。

「もうここまで話したから全部言っちゃうけど、去年のフェスで、谷口さんがついに来年独立することになったって教えてもらったの。その時には、お祝いに一品作って贈りますね、なあんて簡単に約束しちゃったんだけど」

「……参加できなくなった、と?」

 理恵は頷いて、そのままがっくり項垂れた。

 琴美はチラシをもう一度眺めた。何度見ても、開催日時は来週だ。

「今まで通りの予定なら、来週の頭には配置が決まるんでしょうか」

「そういうことになるわね」

 うつむいたまま、理恵は指折り数えた。

「その頃には、参加できなくてもここに来ることもできないんですよね?」

「そうね……百パーセント無理だわ」

 理恵は憂鬱そうにため息を吐いた。

「もう、他に方法はないんですか? あ、忍び込む以外の方法で」

 繰り返して念を押すと、理恵は憮然とした様子でそっぽを向いた。

「私だってそうそう忍び込んでいられないわよ。電話もメールも無理だし、会いに行こうにも本人はまだ日本にもいないし。あと思いつくとしたら――」

 理恵は虚空を睨んだ。

「……ひとつだけかな」

「何か思いついたんですか?」

 ぐっと両手をの義理しめた琴美を、理恵は満面の笑みで指した。

「いい伝言役を見つけちゃったかも」

「……は?」

 思わず一歩下がる琴美に、理恵は一歩近寄る。

「琴美ちゃん、確かこのビルのシステム関係の人だって言ってたわよね?」

「いえ、本当は関係者の知り合いというくらいなんですけど……」

「知り合い?」

 詰め寄ってくる理恵の表情があまりに怖かったので、今日は友達と単にバーゲンに来ていたこと、この階に入ったのは、たまたま出会った就職予定先の社長に頼まれたからだと言うことを一息に話した。

「そうだったの。でも大丈夫、問題ないわ」

 琴美の話を聞いても、理恵はきっぱりと言った。チラシを指して、にっこりと微笑む。

「このフェスって、素人参加もあるけどプロも参加するのよ。当日は破格の値段で新作を売る人もいるくらいよ。五百円払ってでも来る価値はあると思うわ」

 理恵の指先の文字を読む。

『何でも手作りフェスティバル 当日入場料五百円』

 何を言いたいのかは、明白だ。

「谷口さんは当日、松野さんと一緒に講演もするみたいだから、聞けばどの人かすぐわかると思うわ」

「いえ、そうじゃなくてその前に――」

 慌てふためく琴美を、理恵は真摯に見つめた。

「こんなこと急に頼まれて困るのはすごく解るわ。でも、一言だけで良いの。お祝い贈れなくて、ごめんなさいって。それだけでいいから」

 お願いね――それだけ言うと理恵は琴美の返事も待たずに、階段を降りて行ってしまった。

 はらりと、理恵が手放したチラシが足下に落ちる。

 残された琴美は、呆然として薄暗い階段を見つめていた。

(……ええー、なにそれ一方的な!)

 内心では言いたいことが山ほど合ったのだが、言うべき相手はすでにいない。

 そのうちにカツカツと靴音が降りてきて、瑛穂が戻ってきた。

「どうしたの、琴美。そんなとこでぼーっとしちゃって」

「瑛穂……」

 理恵のことを話そうとして、思いとどまる。一応、内緒にすると約束したのだった。

「なに?」

 呼びかけておいて黙り込んだら怪しまれる。琴美は急いでチラシを取った。

「えーと、あのさ、来週ヒマだったら、一緒にこれ見に来ない?」

「来週はゼミのみんなと旅行だからムリ」

「あ、そう……」

 項垂れる琴美の手から、瑛穂はチラシを取り上げた。

「なあに、『何でも手作りフェスティバル』?」

 じっくりとチラシを読んでいた瑛穂は、眉をひそめて振り返った。

「……なんなの、この『手作りは全部集めてやったぜ』みたいなイベントは」

「さすが瑛穂」

 長年の腐れ縁は思考回路もよく似ていた。

 何を褒められたのか解らず、瑛穂はチラシを読み返した。

「こんなの好きだった? 手作りアクセ体験は面白そうだけど」

「好きっていうか……こなきゃいけなくなったというか……」

「――ここにいたのか」

 白崎も戻ってきた。エレベータではなくわざわざ階段で戻ってきたのは、バーゲン客を避けてのことに違いない。

「何か変わったことはなかったか?」

 瑛穂が先に首を横に振った。

「五階は特に何もありませんでした。一回りしてみたんですけど、ここと違ってテーブルの一つもなかったので、遠隔操作でもしない限り何もできないと思います」

「そうか。――ここは?」

 白崎に訊かれて、琴美も首を横に振った。

「何もありませんでした」

 白崎の視線が妙に突き刺さる気がするが、琴美は必死で平静を装った。

 軽いため息と共に、視線が外された。

「二人とも時間を取らせて悪かったな。助かった。コーヒーとケーキでよかったよな?」

「何もお役に立ってなかったみたいですけど、いいんでしょうか?」

 瑛穂が一応遠慮を見せる。白崎は頷いた。

「成功報酬って約束じゃなかったしな。見てわかるものじゃないってことが判明しただけでも上出来だと思う。そうだな、一つ注文つけるとしたら、このあたりの店で選んでくれないか? 遠出はできないのと、あまり女の人が入りそうな店を知らないんだ」

「そういうことなら任せてください!」

 胸を叩く瑛穂は、すかさずスマホを取り出す。

「琴美はどんなのがいい? いまの時期って、チョコばっかりになっちゃうんだけど」

「チョコでもいいけど、この時期に男の人に奢ってもらうのはどうかなあ……」

 バレンタインといえばチョコを売るというだけの風習になりつつあるので、気にしすぎかもしれない。琴美と瑛穂が白崎の顔を窺うと、当の本人は真顔で問いかけてきた。

「なんでチョコだと都合が悪いんだ?」

「……いえ、悪くなくなりました」

「暖かい店を選んでおきますね」

 気にして損した。

 二人の顔にはありありとそう書いてあったが、白崎には理解できなかった。

「そうか? ああ、悪いけど下で選んでくれるか? ここを締めて管理室に寄ってからいくから、玄関で待っててくれ」

 真剣に店を選び始めた後輩を追い立てるようにしてエレベータに乗せると、白崎は再びフロア内をつっきって、監視カメラを見上げた。先ほどまでノイズだらけで何も写らなかったが、原因不明のままに再び復帰して、今は正常に作動しているはずだ。

 白崎は周囲を見回した。次のイベントに使うらしい、段ボール箱と書類が積まれている。中身はイベントの案内と参加者向けのチラシばかりだ。

「何もない、か」

 白崎にもそうとしか見えない。それ故、琴美の答えの真偽を確かめる術もない。

「……何もないならいいんだけどな」

 白崎はフロアの電灯のスイッチを切ると、闇を背に階段を降りていった。

バレンタイン前後で終わらせるつもりだったんですが……もう少し続きます……(-_-;)

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