4
「この辺までかな」
問題のカメラが設置されているのは、階段ホール前の一角だった。琴美はカメラに写ると思われる場所を見て回ったが、どこに向かってもすぐに間仕切りにぶつかってしまうので、いちいち迂回しなければならないのが面倒くさい。部屋の端にあるカメラだったので、見失うことがないのが唯一の救いだ。
「変な電波が出るようなものもない、よねえ……」
次のイベントが開催間近のようで、付近には様々な道具や荷物が積まれていた。イベント中、階段ホールはスタッフの専用口になるらしい。すぐそばの間仕切りには、予定表や時間割がいくつも貼ってある。長テーブルの上にも下にも段ボールが積まれていて、その半分以上が綴じられた大量の紙だ。
「……展示即売会、ってやつかな」
横のテーブルに積まれていたのは広告チラシのようだ。見本用に、一枚だけ段ボールの外に貼られている。
『何でも手作りフェスティバル――貴金属ウィーク――』
ポップ体で描かれたタイトルの周囲には、アクセサリーのイラストがちりばめられていた。リングやペンダントの他、貴金属を使用するハンドメイド作品なら何でも来いという、太っ腹なイベントだ。開催中は材料の販売や初心者向け、子供向けの体験コーナーも設置され、幅広い客層を狙っているようだった。
(こういうのって、子供でもできるんだ)
それなら自分にもできそうだと、少しだけ興味がわいた。
隣の箱は開封済みだった。別のチラシが入っていたので、一枚取り出してみる。イベント初日には有名なデザイナーがきて講演会をするようだ。メインゲストが顔写真付きで載っていたが、琴美には見覚えがなかった。
ついでにと、さらに隣の箱のチラシも見てみた。こっちは参加者募集用のチラシだ。オリジナルの作品を展示販売すること、という以外は特に資格は必要ないらしい。アマチュア大歓迎と書いてある。裏に返すと、開催期間一覧が書いてあった。今回の貴金属ウィークに続いて、毛糸ウィーク、布・キルトウィーク等、いろいろと続くらしい。
(なんかこれって……)
手作りできる物を片端から集めたと言うよりは、「これも手作りできるんだから仲間に入れて!」という意見の集大成なのではと、そんな気がしてならない。
(ビーズとかフェルトとかならわかるけど……紙ウィークってなに……折り紙とか?)
会場いっぱいの人が折り鶴を折っているところを想像して、これは違うと思考を追い払った。これでは『展示』はともかく『即売』が成り立たない。
(折り鶴を買い取る人なんていないよね……紙か、紙……新聞紙、のわけないし……千代紙……手漉き和紙なんていうのもあるし、紙そのものを作るなんていうのはどうだろう)
これは以外といいセンいってるのではないか――そんな自己満足に浸っていると。
「――あれ、搬入は今日でした?」
不意に声を掛けられた。
「――ひっ?!」
驚いて振り返ると、同じように目を丸くている女性と目が合った。
「ごめんなさい、会場設置の係の方じゃなかったですか?」
そういった女性は、琴美よりいくつか年上に見えた。緩くパーマを掛けたショートヘアにカラフルなヘアバンドをつけているが、それ以外は黒いタートルネックのセーターに黒のストレートパンツという出で立ちだ。しかし、黒ずくめの服にはラインストーンやラメの光沢が入っているし、大振りのペンダントやリングもつけていて、地味な印象はない。
「すみません、こちらの会場のことはわからないです。私は――」
ばくばく言っている心臓をなだめつつ、琴美は真上の監視カメラを指した。
「どちらかというとビルのシステム関係の係なので」
思い切り省いて説明したが、女性は納得してくれたようだ。
「そうだったんですね、ごめんなさい。勘違いしちゃって」
女性は恥ずかしそうに頭を下げて、ふと不安そうになる。
「でもシステム関係って……ここの場所、何か問題がありました?」
「え? いえ、えっと、このカメラの調子が悪いらしいですけど、他は多分大丈夫だと思います?」
実は琴美が保証できることは何一つ無いので語尾が疑問系だ。女性はじっと監視カメラを見上げる。
「そう……そうね、監視カメラくらいなら別に問題ないわよね。よかった。今頃になって会場が使えないなんて、みんなパニックになっちゃうから」
「今さら聞くのも何ですけど、この手作りフェスティバルの関係の方ですか?」
持ったままのチラシを見せると、女性はいたずらを見つかった子供のように首をすくめて頷いた。
「実は私、関係はあるけど関係者ではないのよ」
「というと?」
謎かけのような答えに琴美が問いを重ねると、女性は手招きしつつ、階段の方に移動する。琴美は訝しく思いながらも、女性と並んで踊り場の方に入った。
「ごめんなさい、こんな薄暗いところで。私ね、参加者の一人であって主催者側の人間じゃないから、本当はまだここに入っちゃダメなのよ。会場を荒らしたりはしないから、私がここにいたことは内緒にしてくれる?」
「はあ……すみません、どちらかと言えばビル管理側の立場なので、何をするのか教えてもらえますか? いちおう、本当の責任者もここに来てるので」
琴美が見ない振りをして白崎に迷惑がかかってしまうのも問題だ。この先の働き口を無くすことにつながりかねない。
琴美の切実な口調に、女性はくすりと笑った。
「悪いことはしないわ。大丈夫。今回の参加者の一人に連絡を取りたかったのだけど、連絡先がわからないのよ。だから、ここの配置図でもあれば、と思って」
「配置図?」
「ええ。誰がどこの場所に出店するかっていうのがわかれば、メモでも残しておけるじゃない?」
言いながら、女性は荷物が積まれたあたりを覗き込む。琴美は引き返して荷物の山の中を見て回ったが、配置図らしきものは見当たらなかった。フロア内を一周してこようかとも提案したが、止められた。
「スタッフの荷物がこれだけしか届いてないって事は、やっぱりまだ決まってないんだと思うわ。前の時も、ぎりぎりまで連絡は来なかったし」
「ぎりぎりって……開催は来週ですよね? まだぎりぎりじゃないんですか?」
参加者の数は、机の数だけ数えても十や二十ではあるまい。今時は資料を送る手間を省くためにメールや専用ウェブページを駆使するという方法もあるが、遅すぎるのでは無いだろうか。
「だいたいいつも三日前よ。連絡が来るのは」
「……よくそれで参加者から苦情が来ませんね……」
「参加する方も前日まで作ってるくらいだから、それどころじゃないのよね。でも今回ばかりは、早く配置がわからないのは辛いわね」
女性は会場内を見やって、ため息を吐いた。
「今のうちに主催の方に連絡して、伝言を頼むって言うのはどうでしょうか」
参加者全員を把握しているなら、それが一番早いように思える。しかし、女性はとんでもないというように首を激しく振った。
「私も一度だけ主催の手伝いをしたことがあるんだけど、修羅場ってああいうことよ。とてもじゃないけど、個人的なことで頼めるような状態じゃないわ」
「そ、そうですか」
剣幕に押されて、琴美は何度も頷いた。知らない世界は、まだまだいくらでもあるようだ。知りたくない世界も、おそらく同じくらい。
「他に参加者の方で知り合いの方はいないんですか?」
「今回に限って、みんな欠席なのよね。それにあんまり人に頼みたくないことだから」
はあ、と女性は盛大にため息を吐く。
「……やっぱり、配置が決まるまで毎日忍び込むしかないかしら……」
物騒な呟きが聞こえてくる。まさか、という思いが琴美の中に持ち上がった。
「あの、もしかして最近ずっとここに出入りしたりしました?」
「ずっとなんて来てないわよ」
言って、女性は指折り数える。
「……まだ三日目くらいかしら?」
琴美は思わずフロアを振り返った。監視カメラの不調というのは、もしかしてこの女性の姿を写していただけのことではないだろうか。
(写るだけなら『ノイズ』にはならないから……カメラに写らないように何か細工したとか……うーん、いくら何でもあの位置じゃ届かないか……何かスイッチ一つでカメラがおかしくなるような機械を持っている……わけないか)
スパイ映画じゃあるまいしと、浮かんだ考えを打ち消す。奇抜な空想はともかくとして、もう少し忍び込んだ方法等を詳しく聞くべきかもしれない。
(あ、そうすると黙ってるわけにはいかなくなっちゃう……どうしよう)
琴美が迷っていると、女性が小さく声を上げた。
「うっそ、松野さんもくることになったの?」
講演会のチラシを見て、目を丸くしている。琴美には見覚えのない顔でも、女性には大興奮を巻き起こす顔だったようだ。
「何それ、いつの間に決まったの。うわー、いいなあ、残念すぎるー!」
「有名な方なんですか?」
試しに訊いてみると、女性は大きく頷いた。
「当然よ。この世界にいたら必ず一度は耳にする名前ね。最近は雑誌にも出たんだけど、見たこと無いかしら?」
「ごめんなさい、たぶん無いと思います」
正直に謝ると、女性は笑って首を横に振った。
「謝る事じゃないわ。私だって他の有名人さんをたくさん知らないんだし。ただねえ、この人は特別なのよ」
「憧れの人ですか?」
「そうとも言えるかも。この人はね、初めて私の作品を褒めてくれた人なの」
少し照れたような表情が、とても初々しかった。だから、琴美は思わず言ってしまったのだ。
「それって、いつのことですか?」