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序章 1

 大地の民が築き上げた、世界最大の王国たる『アレスティア』。ここは、そんな王国に無数に存在する町の一つ。名はアールネ。その昔は、動石の産地として名を馳せたが、何の考えもない採掘は山を殺し、時代が移った今となっては、当時乱立させた立派な建物が虚しく過去の栄光を誇るのみで、何の変哲があるわけでも一介の廃れた町と成り果てていた。

「――英雄は、その後、旅に出たそうです。いつか、愛するその人に出会えること。それを願って」

 そんな町の一角にある学舎。建物ばかりはなんとも立派ではあるも、そこに通う子供は二十に届かない。見ようによっては滑稽とも映りかねない光景だが、しかしこれこそがこの町の現状なのである。

動石に頼り切った町作りをしていたものだから、それが無くなってしまえば職が残ることはなかった。職がなければ生きてはいけない。ならばどうするか。簡単だ。職を求めて他の町へ。町人の流出は、この町の現在の課題の一つであった。

「英雄さんは、恋人に出会えたの?」

 当然、もはや教鞭を執れる者などいない。それだけの学があるならば、他で幾らでも生きていけるからだ。

「それは、分からないわ。けど、きっと会えてる。私は、そう思う」

 齢五つか六つほどの幼子に、遠い昔の物語を読み聞かせるのは、自身もまだ16という幼い年齢の少女である。髪の色は太陽の光に煌く白銀で、肌は透き通るような艶やかさを見せ、その翡翠色の双眸には濁りが欠片も見受けられない。どこか儚げで、浮世離れしたような容姿の彼女の名は、エリナ・フィールド。この町の顔役の一人の娘であり、形骸化していた学舎の復活に協力をしていた。

「そうだよね!」

 幼子は、にっこりと笑う。エリナは、その頭を撫でてやった。

「うん。きっと、ね」



 学舎は昼頃には終わる。学問を修めることは確かに必要だ。だが、教えるのがまだ年端も行かぬ少女では、その質もたかが知れている。町人は、この学舎に好意的ではなかった。そんな中途半端に教養を身につけるよりも、この町に残された数少ない職、それを遂行する能力を身に付ける方が、大事に見られているのである。

 町人のほとんど全ては諦めているのである。可能性を捨てている。今を続けることにばかり躍起になり、前へと進もうと、足を踏み出すことをしないのだ。

「あぁ? 今、なんつった?」

 エリナが、学舎の講師を終えて、帰路に着いていた時のこと。怒気を含んだ声が、町に響いた。エリナは、呆れるように溜息を吐き、そして、眉間を抑えながら声の方へと向かった。

 確かに、将来に希望を持つ者は、今では随分と少なくなってしまった。残るは、もちろんのことエリナに、その父親、それに加えて、あと一人。

「もっぺん言ってみろ!」

 身の丈は170と少し。同年代と比べれば、少し高め。鍛えているということもあるのだろうが、元々が筋肉質で肉付きは程々でいながら、引き締まってその割にスマートに見える。洒落っ気を自称して、いつもお気に入りの深い緑の上着を羽織っているのに、その黒髪はぼさぼさで手入れの様子が見られない。適当な性格なのだろうとは、その見てくれだけで判断できるだろう。

 その男の名はラクト・クルーグ。悪戯小僧、変人、イカれ馬鹿などなど、多様で画一的な呼び名を町の皆から付けられた、異端児である。

「あぁ、言ってやるよ。現実を見やがれバカ野郎。てめぇを見てると、イラつくんだよ! 叶うわきゃねぇ夢ばかりほざきやがって!」

 ラクトは頭一つ分ほど大きな男と言い争っていた。ようやっと辿り付き、エリナはその様子を遠巻きに眺める。ラクトと言い争いをしていたのは、クルゥニーというの名の、宿屋を営む青年だった。

「その次だバカ野郎!」

「あぁ!? ……あぁ~、夢見て死んだクソみてぇな親父と同じだってのか?」

「正解だくそったれめ!」

 鈍い音が響いた。ラクトが、握り固めた拳でクルゥニーの顔を殴り飛ばしたのである。

「ってぇな! くそっ!」

 クルゥニーはかなり血気盛んな若者だ。町の外へと出ることにこそ消極的だが、この町の中で気に入らないことがあれば、相手が誰であれ怯むことなく表に出してしまう。加えて、クルゥニーはラクトを嫌っていた。殴られて、我慢するなどありえるはずがなかった。

 が。

「っとぉ」

 ひょうきんな声が、そんなクルゥニーの出鼻をくじく。ラクトは、繰り出された拳を迎え撃つのではなく、後ろに飛び退いて躱したのだ。そして、勢いそのままに、駆け出した。それも、クルゥニーとは逆方向に。

「テメェ……!」

 クルゥニーの額に血管が浮き上がる。当然の反応だ。だが、ラクトはそれを、たいそう不思議そうに眺めながら、鼻を鳴らした。

「っは、誰が正面からやりあうよ。アンタがべらぼうに喧嘩が強いってのは、俺だって嫌ってほど知ってんだ」

 それだけ言って、また駆け出す。と、ふと思い出したように、立ち止まってまた振り向いた。

「叶わない夢を見んのはバカのすること、なんだろ? っかかか」

 今度こそ、去りゆくその背中は加速の一途を辿り、もう立ち止まることはないのだと告げていた。完全なるやり逃げだ。

 ここまでされては、もうクルゥニーの理性は、完全に崩壊していた。

「テンメェ……」

 煮えぎった憤りはどろどろと、心を満たし、思考を染める。肉体は、ただラクトを打ちのめすただそれのみに操られ、突き動く。

 クルゥニーは、身体的に優れていた。身長は180を超えている。筋肉も、ラクトと比べてずっしりとした印象を受けるほどに付いている。

 その上で、筋肉の性能もまた、ラクトのそれと比べて遥か上を行っていた。怒りでリミットが外されていたことも、拍車を掛けた。

 迫る迫る迫る迫る迫る。

 ラクトが駆け出してから、クルゥニーが動き出すまで。その間、およそ17秒。ラクトは才能に恵まれなかったのか、鍛えている割には足が遅い。平均よりも、もう少しばかり早い程度と言ったところだ。しかし、そうであろうとも、これほどの時間があれば、逃げるに十分な距離は稼げる……そのはずだった。

 クルゥニーは迫った。安全だと思われた距離を、一足ごとに縮めていく。先行して逃げに徹するラクトの顔にも、流石に焦りの色が混じる。

「――って」

 突然で、怒涛の展開だ。見守っていたエリナは、反応するのに一息以上も遅れてしまう。止めるタイミングを伺っていたのだが、それがアダとなった。

 助けを求めようか。だが、誰に?

 とりあえずあの二人を引きとめようか。だが、なんと言って?

 頭の中は真っ白だ。

「ちょっと待って!」

 理解できていたのは、このまま帰ることはできないということ。選択肢は限られて、本能が反射的に選び取った。エリナもまた、どこか余裕を持ったような表情で走るラクトと、それを鬼気迫る形相で追うクルゥニーの二人を目指し、駆け出した。



「オラァ!」

 怒号と共に、ラクトの身体が宙に舞う。逃走劇は、思いのほか早くに決着が付いた。クルゥニーが逃げるその背中、首筋を引っつかみ、力一杯にラクトを投げ飛ばしたのである。

いかに優れた体格を有していたとて、考えられぬほどの膂力だ。こればかりは予想していなかったのか、クルゥニーのことをよく知っているラクトも、驚嘆に目を見開き、反射で衝撃に備えることしかできなかった。

「っ!」

 ラクトは全力で逃げていた。鼓動は煩わしいまでに高鳴って、汗はひっきりなしに吹き出している。受身など取る余裕はなく、鈍い音とともに地面を跳ねた。そしてごろりごろりと転がって、その身体は路地の中へと流れ込む。追撃が来るだろうと、本能が警鐘を打ち鳴らした。意識を蝕む激痛を気迫で押しのけて、壁に背中をあずけながらもラクトはなんとか立ち上がった。

「もう楽しくもねぇ鬼ごっこはしまいだァ。覚悟はできてんだろうなァオイ!」

 ズン。

「昔から、昔から、――っとぉうにムカついてたんだよ、てめぇにゃよォ」

 ズシリ。

「まァ、それはいィ。こうして、テメェを殴ることができるだから、水に流してやらァ」

 ズズン。

 もはやクルゥニーの顔に理性の色は見られない。完全に憤りに支配されていた。その姿はさながら鬼。人間と言うには、あまりに禍々しすぎる。

「……っは、随分とまぁ、醜い顔になったじゃぁねぇの」

 殴り合いとなれば敗北は必死。もはや逃げる体力はなく、試みたところで捕まるのは明白だ。頭への血の昇りようと考えれば、一発程度で済むと思うのは希望的観測。

 だが、だがしかし。

 そんな絶望的な状況でいながらも、ラクトは余裕な笑みを崩さない。言葉にも、緊張感はあれど絶望感は無し。

それがブラフなのか本心なのか、クルゥニーには分からないし、そもそも分かろうなどと思える理性はとうの昔に消え去っている。無警戒に歩みを進め、二人の距離は確実になくなっていく。

「ぶっ殺す」

 間合いは一足踏み込めばなくなるまでになった。次の一時に、ラクトは殴り飛ばされているだろう。クルゥニーは、拳を強く握り締める。そして、己が出せる最大の力を込めて、撃ち放った。気迫の篭った拳が、ラクトへ迫る。

 刹那。


「いいのか? 足元が、お留守になってるぜ」


 ラクトは宣言する。堂々と、悠々と。まるで勝ち誇るかのように、指先をクルゥニーに向けて。

 クルゥニーの拳は止まらない。今更そんな宣言をされたとて、例えそれが真実で目の前に針の山が現れたって、止まれる段階はとうに過ぎ去っている。ならば、何故そんなことを。不可解なラクトの言動は、クルゥニーに一筋の理性を蘇らせた。

 理性は、刹那に考えを巡らせる。


 ハッタリか? なら、止まらぬが正解だ。

 だが、真実なにか仕込んでいるのだとしたら?

 ありえない。ここへときたのは偶然だし、そもそも先程からそんな仕込みをしている素振りは見受けられなかった。

 なら、迷う必要はないはずだ。だが、何故だかなにかが引っかかる。


 いったい、なにが。


 迷いは幾ばくかの恐怖心を生み出す。そして些細な恐怖心は、他のどれよりも勝り肉体を動かした。鍛え抜かれた兵士ならば、それを押さえる術も心得ているだろう。だが、クルゥニーは一介の凡人だ。そんなこと、できようはずもない。

 視線が、ちらりと下に向けられた。それはわずかな挙動。この瞬間を狙いすましラクトが動いたとて、結果が変わることはないだろう。


 だが、そんなわずかばかりの違いが、クルゥニーの命運を分けたのだった。


「っぐあだぁあ!」

 ガゴン、という破裂音。後頭部に衝撃が走り、意識を刈り取る。痛みを感じるよりも先に、クルゥニーの視界が暗く染まった。

 なにが起こったのか分からぬまま、クルゥニーの身体からは力が抜け、そのまま地面に横たわる。

 ラクトは、そんなクルゥニーにゆっくりと歩み寄った。そして、クルゥニーの周辺に散らばる木片を蹴飛ばした。

「間違えた。上だったわ」

 エリナが息せき切らせて追いついたのは、ちょうどそんな時。収束しきった事態を前に、エリナはただただ、深く深く溜息を吐くことしかできなかった。

「ま、これでも俺は『万物の声を聞く才』の持ち主だぜ? 甘くみてんなよ」

 そう吐き捨てて、ラクトはエリナの元へと歩み寄るのだった。

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