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第一章

飼い猫のミミとの会話が成立してから、約一か月。

 俺はいつものように、バイト先である動物園に足を運んでいた。引っ越してきてから今まで暮らしているこの鳥谷市は、野生の動物が多い事で有名だ。それなりに発達している町で、駅前には普通にビルやマンションが立ち並ぶのだが、道を歩いていれば鹿がいたり猿がいたりと、非常に特殊な環境でもあった。

 その中でも、普段目に掛かれない外国産の動物たちや、国内でも珍しい動物などが数多くいる鳥谷記念動物園は、この町の観光スポットの一つでもあった。俺は、三か月前くらいから、そこでバイトをしているのだが、高校生ということもあり、出勤は大体土日祝日の休日のみだ。

 という事で、今日は十一月の半ばの日曜日。季節感的には秋が終わって冬が顔を覗かせてきた頃。冬眠前の動物たちが、餌を求めてさまよう時期だ。

 俺は、少し厚着をして、白くなったりならなかったりの吐息を観察しながら、舗装された道を歩いていた。

「今日は冷えるな」

 俺は独り言のつもりで言ったのだが、

『そうですね』

 と返事が返ってきた。

 道行く人は決して少なくないのだが、その中の誰一人、俺に目を向けるものはいない。そこで俺は、道の端に目を移した。人間にしては小さすぎるそいつは、俺としっかり目があった。名前は知らないが、俺の独り言に返事をしてきたのは、山に行けばどこにでも居そうなリスだった。

 俺は「なぁ」とだけ言って、歩みを止めることなく見慣れた街並みを進んでいった。

 少し町の中心街から外れ、コンクリートジャングルが本物の木々に変わってきた頃に、それは存在した。大きな看板に『鳥谷記念動物園』と書かれ、色々な動物の絵がアニメ風に描かれている。もちろん、子供ウケを考えた結果だ。ちなみに、そこそこ繁盛しているようで、休日は勿論、平日でさえ来園者は多い。だが、今はまだ開園前なので、人影は少なく静かだった。

 関係者入り口をくぐり、

「おはようございます!」

 と、元気な挨拶をしながら、音を立てて控室の扉を開けた。

「ギリギリセーフだよ鮫島君」

「あ、園長。すいません遅れて」

「遅れてないから大丈夫だよ」

「そうですね」

 控室では、熊井園長が煙草を吸っていた。

 俺が何故、動物園で働く事になったのかというのは、ある人の紹介があったからだ。元々動物が好きだと言う事もあり、俺は二つ返事で了承した。最初は慣れない事だらけだったが、二か月が経ち、ようやく仕事にも慣れてきた頃、一つの問題が浮上してきた。

 もう気づいているかもしれないが、アレだ。

「あのね鮫島君。着替えたらすぐに、ライナにご飯をあげてきてくれるか?」

 名前のごとく、がっちりとした身体をしている園長が、ごつごつとした手で煙草を灰皿に押し付けながら言った。

「分かりました。ライナだけでいいですか?」

「後は、蟹沢君があげてるから大丈夫だよ」

 ライナは、俺が唯一担当を任されている雌のライオンの名前だ。餌やりは、他の動物もやらせてもらっているが、ここで働いてまだ三か月の俺には、他の作業はまだ任されていない。

 俺は、すぐに更衣室に入って着替え始めた。早く行かないと、ライナに何を言われるか分からない。着替え終わってから、ライナの食事である生肉を持って、俺はライオンの檻を目指した。

『おはようでさ、鮫島さん。これからライナのとこですかい?』

 ニホンザルの檻を通りかかった時、聞きなれた声がかかった。俺は、檻の中にいる一匹の猿に顔を向けた。

「そうだよ。ウキ丸はもう飯食ったのか?」

『はい。さっき蟹沢のアニキにもらいやした』

「そうか。じゃぁまた後で」

『ライナに怒られないように気を付けてくだせい』

「余計なお世話だ!」

 俺は、ニホンザルのウキ丸と適当に話した後、ライナの檻に向かった。

 俺の問題。それは、動物と会話ができるようになったことだった。

 ちょうど一か月前、うちで飼っているミミと会話が成立した時、俺は心臓が止まるかと思った。いや、もし俺が老人だったら、逝っちまってたかもしれない。

『早く起きないと、遅刻するわよ』

 これが、初めて聞いた猫の言葉。もちろん最初は疑ったさ。とうとう俺は猫としゃべれるようになってしまったのだと。だが、事態はそれだけではなかった。

『鮫島さん、いつもお疲れでさ』

 これが、初めて聞いたウキ丸――つまり、猿の言葉だった。

『いつまで待たせるのよ。私の飼育係なら、もっとしっかりやりなさいよ』

 これが、初めて聞いたライオンの言葉。

『アニキ! 自分、どこまでもついていくっす!』

 そしてこれが、初めて聞いた雀の言葉だ。

 そう。俺は、猫どころか動物と話ができるようになっていた。さっきもそうだったが、道を歩いてれば、野良猫や野鳥の話し声が聞こえるし、動物園に来れば、今のウキ丸のように、動物たちが声をかけてくる。何が原因で、何故いきなり動物たちと喋れるようになったかについての心あたりはなかった。

『おっ! 鮫島さん、ちわーす』

『おはようございます鮫島さん』

『鮫っち! おはよ』

 多種多様な動物たちに挨拶をされながら、俺はライナのもとへと急いだ。

『湊! なにやってたの。お腹ペコペコなんだけど!』

 俺の名前。鮫島湊の下の名を呼び捨てする、この綺麗な毛並みをした、雌ライオンがライナだ。まるで、今どきの女子高生のような喋り方をするのだが、一体それをどこで覚えたのかは、俺の知る由はない。

「悪い! 寝坊した!」

 俺は、ゆっくりと檻の中に入った後、生肉を置く。会話ができるので、相手がライオンだろうと、まったく怖くはない。

『は? 寝坊ってあんた、私のことなんだと思ってんの?』

 ライナの飼育係りになったのは、俺が動物と喋れるようになってからだ。最初の頃は口もきいてくれなかったのに、今は会話が成り立っているなんて……。いやぁ、俺も進歩したよ。

「ライナはライオンだろ?」

『そういう事を聞いてるんじゃないの! 自分がどういう種類の動物かくらい分かってるわよ!』

 それでも、あたりが強いのは彼女の性格なのだろう。それに関しては、俺がどうこうできる問題じゃない。

「じゃぁ、なんだってんだよ?」

『私の事好きかって聞いてるの!』

「馬鹿な事言ってんじゃねぇ。ライナはライオンで、俺は人間だ。いろいろと違いすぎるだろうが」

 そして、俺はどうもライナに好かれているらしい。

『でも、私だって女よ!』

「俺だって男だ!」

 いったい何が言いたいのか、皆目見当がつかない。 

『もう知らない!』

 どうやら機嫌を損ねてしまったようだが、そんなの知ったこったちゃない。

「じゃぁ、また後でな」

 俺は、そそくさと檻を出ようとした。

『待って!』

 が、後ろから呼び止められ、足を止めた。

「なんだよ?」

『……いつも、ありがと』

 これが俗に言うツンデレというものか。

「あぁ、また後でな」

『……うん』

 俺は、檻を後にした。俺の開園前の仕事は、とりあえず終わりだ。これから一休みするため、控室に向かってゆっくりと歩いていると、図太い声が俺の耳に入ってきた。

『鮫島、お前も大変じゃのぉ』

「虎さん……」

 虎の虎さん。この動物園では結構年長で、他の動物たちの相談役のような事をしている、みんなの兄貴分のような虎だ。そして、俺の異常現象の原因を探してくれている一人でもある。

『ライナの奴も、どうしようもないのぉ。もともと人とライオンじゃぁ、結ばれんのを知ってるはずじゃけぇ』

「俺が、何か間違った事をしたんですかね?」

『いや。ライオンとはいえ、奴は女じゃ。いろいろあるんじゃろぅ』

「そんなもんなんすかね」

『女心なんて、男には分からんもんじゃ』

 確かに、俺には女心なんてまったくと言っていいほど分からない。

『だが、男にはどんな状況だろうと、気張らないけん時があるけぇの。その時が来たら、絶対に逃げるな。背中を見せるな。その行為は、男の恥だと思え』

 さすが虎さん。言う事が一味違う。一体、どういう人生を過ごしてきたら、こんな事が言えるようになるのだろう。

「肝に銘じておきます」

『おう。それより鮫島。例の事なんじゃが』

「はい」

 虎さんは、今からが本題と言うように、話を変えてきた。

『いろんな奴に聞いてみたんじゃが、お前みとぉにわしらと喋れる奴なんて、見た事ないらしいで』

「そうですか……」

 やっぱり、そう簡単に見つかる訳はないか。

『そう落ち込むな。いずれ分かるけぇの』

「はい。では」

『おう』

 俺は、虎さんと別れを告げ、控室に向かった。

 その後は、いつも通り開園した動物園の掃除やらで終始忙しかった。動物たちの声は、俺には普通の会話にしか聞こえない。その分いろいろな事に気づくので、俺は園長に結構気に入られていた。いつもは、動物と喋れるなんてろくな事がないが、この時ばかりは感謝する。

 なんやかんやで閉店作業も終了し、俺は、最後の見回りを蟹沢さんとしていた。

「鮫島君も、だいぶ板についてきたね」 

 俺よりも長くここで働いている蟹沢康太さんは、俺より二つ年上の大学生だ。仕事はできるし色々と物知りで、この動物園では欠かせない存在の一人だ。そして、俺にこのバイトを紹介してくれた張本人でもある。元々知り合いでもなんでもなかったのだが、実は俺の友達の従兄で、そいつを通じて知り合ったという訳だ。

「そうですかね? 俺もまだまだですよ」

『いやいや。鮫島さんは、もう一人前でさぁ』

 ウキ丸の声がするが、俺はそれを無視する。もちろん、蟹沢さんには声など聞こえてない。そんな時に俺が反応したら、大変な事になりかねん。

「そう謙遜しなくていいよ。実際にライナもあんなに元気になったじゃないか」

「あれは、ライナが自分で元気を取り戻しただけですから。俺は何もしてないですよ」

 ライナが元気になったのは俺に好意を抱いたからだと、少し前に虎さんに教えてもらったのだが、そんなこと口が裂けても蟹沢さんには言えない。いや、口が裂けたら言葉など発せないだろうけど。

「喜んでいいところなんだけどね。それに、噂をすれば何とやら」

 気づくと、いつの間にかにライナのところまで来ていた。目を凝らすと、暗闇の奥の方で動く大型の動物を見つけた。手に持っていた懐中電灯を、その動物に向ける。

『湊! 私に会いに来てくれたの?』

 嬉しそうに声をあげているところ悪いのだが、今俺は反応できん。

「ほら。ライナだって、嬉しそうに鳴いているじゃない」

『湊! なんで無視すんのよ!』

 蟹沢さんには分からないだろうが、ライナはどんどん怒りのボルテージを上げている。長居は無用だ。早く帰りましょう。

「いやぁ、鮫島君は本当に良くやってくれてるね」

「はは……ありがとうございます」

『なんなのよもう! 声ぐらいかけてくれてもいいじゃないの!』

 もう苦笑いしか出ない。

『おい! うるせぇぞ、そこのライオン! 何時だと思ってんだ!』

 俺が顔をひきつらせていると、苦情を言うおっさんのような怒号が聞こえてきた。いきなりの横槍に、反射的に声の主を探す。辺りの檻に光を当てて見回しても、それらしき動物は見当たらない。ならばと上空を見上げた。ビンゴ! 混沌の空にそれはいた。

『なんですって! カラスの分際で、私に喧嘩を売る気?』

 そう。ライナを怒鳴りつけていたのは、どこにでもいるカラスだった。

『うるせぇからうるせぇって言ってるだけじゃねぇか! 文句があんならかかってこい! 百獣の王だかなんだか知らねぇけどな、檻ん中じゃなんもできねぇだろうが!』

『言ってくれるじゃない。湊! 檻を開けて!』

 冷静になれ。そんな事ができる訳ないだろ?

『なにやってんの! 早く!』

 早くじゃねぇよ! はいそうですか、って開けられる訳がなかろう。

「どうしたんだい、鮫島君」

 心配そうな顔で、俺を覗き込んでくる蟹沢さん。いやはや、俺はどんな顔をしていたのだろう。いや、間違いなく怪しい感じだったのは間違いないな。 

「いえ。とりあえず問題はなさそうですね。じゃぁ、俺たちも帰りましょうか」

「あ、あぁ。そうだね」

『あ、待って湊!』

 ごめんよ。俺は今、猛烈に帰りたいんだ。

『ばぁか。振られてやんの』

『このぉ! おい、カラス! こっちきなさいよ!』

『行くわけねぇだろ、この馬鹿!』

『なんですってぇ!』

 俺は、決着のつかない動物たちの喧嘩を、最初から見なかった事にしてその場を後にした。




「ただいまっと」

 仕事を終え、動物園を出ること十五分。冷え込んだ大気を肌に感じながら、俺は自宅を目指していた。今日は日曜。明日は朝から学校だ。と憂鬱になりながら、慣れ親しんだ道を時速五キロくらいで歩いた。

家に着いた時には、動物園を出てから二十分ほど経過していた。いつものペースなら十分で着くのだが、寒いとどうも歩くのが遅くなっていけない。自宅に着いた俺は、夕飯を片付けた後、風呂に入ってから、そそくさと自分の部屋に向かった。

『おかえり、湊』

 部屋で出迎えてくれたのは、黒き毛並みをした金色の瞳をする猫だった。

「ミミ、ただいま」

 ミミと名付けたのは、実は俺ではない。ミミとの会話が成立していなかった最初の何か月かの間、俺はこいつの事をクロと呼んでいた。これは俺が付けた名前だ。他意はない。ただ黒猫だったから。そんな理由だ。

 だが、こいつと会話ができるようになったあの日。まぁ、詳しい日付は覚えてないからXデーとでも呼んでおこう。その日、俺は駄目出しをくらった。というよりは、ただ自己紹介をされただけなんだけどな。野良だと思っていたミミに、ちゃんとした名前があった事には驚きだが、それ以来俺はクロと呼ぶことはなくなった。

「もう飯は食ったのか?」

『もう食べたわよ』

「そっか」

 ミミの飯は、親か誰かがあげてくれているらしく、基本的に俺があげる事はない。ミミは飼い猫と言っても、拾ってきた猫なのだが、一体誰が拾ってきたかは不明だ。前に一度聞いたことがあったが、自分が咎められるのが嫌なのか、家族は皆、知らないの一点張り。それどころか、俺の事を変な物を見るような目で見てきやがった。

それからと言うもの、俺はその事については触れないようにしていた。なんだかんだ飯はあげているようだし、俺の部屋で過ごすくらいは許してやってもいいだろう。もちろん、俺は動物が好きだ。猫を飼う事に関しては賛成だからな。

『どうだった?』

「ん? 何がだ?」

『動物園のバイトよ』

「あぁ、いつも通りだよ」

『そう』

 俺の布団の上に姿勢良く座るミミは、その黒い毛を右手でいじっていた。

「なぁミミ」

『何よ』

「俺ってさ、変なのかな?」

『どうして?』

 ミミがこの家に来てから半年。今となっては、大事な家族の一員だ。それは俺だけが思っている事ではないであろう。しかも、俺にとっては何でも打ち明けられる親友みたいなものだ。というよりは、まるで世話焼き女房のようだがな。

「いや、まずミミの言葉が分かるじゃん。ついでに他の動物たちとも喋れるしさ、これって普通じゃないっしょ」

 ミミを親友のように思っている事から分かるように、この事態に焦りを見せていない俺だったが、やはりどうにかしたいという気持ちはあった。だからこそ、知り合いの動物たちに原因を探ってもらったり、俺自信も図書館などに行って調べたりしている。

 だが、未だに解決の糸口が見つかっていない事実だけが、残酷にも残っていた。

『普通じゃないけど、そこまで異常でもないと思うわ』

「ほう。その根拠は?」

『女の勘よ』

 世界一あてにならない根拠だった。とはいえ女性に失礼だし、なにより意外と女の勘ってのは当たるから恐ろしい。

『冗談よ。だって、湊は何か迷惑した事があった?』

 そう言われると……。

『ほら、無いでしょ? なら大丈夫よ』

 そんなもんなのかね。などと考えるのも馬鹿らしくなり、俺は布団に入った。

「俺寝るわ。明日七時半に起こしてくれ」

『分かったわ。おやすみ」

「あぁ。おやすみ」

 布団に入った俺の意識は、ブラウン管テレビを消した時のように、徐々に落ちて行った。


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