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「ヘアセットはできたよ。さあ、ここまではどうかな。」



突然声をかけられて、私はハッと我にかえった。

目の前の鏡にうつる私は、膨らみのあるミディアムボブになっていた。しかし甘さは抑えられてシャギーカットが入り、ウルフっぽくなっている。

全く試したことのないヘアスタイルだけど今まで挑戦したどんな髪型より自分に似合っているように思えた。髪の長さやシルエット的には高校生の時の髪型に似ている。


「凄い・・・・」

「悪くないだろう。首元をすっきりしてみた。前髪が少し重めだが、分けてみてもいい。」



REIさんの説明を聞き流しながら、高校生の時の幸せに満ち溢れた私が鏡の向こうにいるような気がした。

微笑んでみると鏡の向こうの私も微笑み返す。


とっても綺麗でしょう?私は幸せだもの。

ねえ、貴女今幸せ?


私は過去の私に応えられなかった。











大学に通い始めると彼は変わりだした。

大学の友達とばかりつるむようになり、私と会う回数はどんどん少なくなっていった。

あんなに頑張って入学した大学なのだから魅力があるのは当たり前なのだと私は考えた。彼の邪魔にならないよう私はひっそりと彼に寄り添い続けた。

そのうち、彼は私に金を借りるようになる。バイトもせず遊び歩いているので両親からの仕送りが底をつくのは当たり前のことだ。でも頭を下げて私を頼りにしてくる彼を拒むことはできない。

その時だけは私だけしか見ていない彼が愛おしく、なんでも力になりたい気持ちがあった。


そんなある日、私は息が止まるような光景を見てしまった。大学近くのスタバで楽しそうに笑う慶ちゃんと彼の腕に白い腕をからめ、微笑む女の子の姿。

その光景が一枚の絵画のように目に焼きついて、心をじりじりと炙っていった。

私の視線に気づいたのかまず、彼女が私を見て、次に彼が頭を上げた。そして信じられないことに彼は笑顔で手を振ったのだった。視界の全てが歪み、足が地につかない心地を味わった。

彼にとって浮気は当然の許されるべき行為であって、いちいち彼女の許可を求めるものではないのだそうだ。

身体さえ繋げなければ浮気にはならない。

彼の自論はどこまでも真っ直ぐで、当たり前のことだと主張していた。


それでも、お前を誰よりも愛してるよ。お前だけ。お前だけを愛してる。と囁かれながら彼に抱かれると幸福に満たされる。



「その言葉信じてるからね、慶ちゃん。私なんでもするから、お願いだから私だけを見て。」


言葉にすることなく、胸の中で囁く。彼は重たい女が嫌いだから。こんなこと死んでも言えないと思っていた。彼が求める分だけ私も求めればいい。私はそれで充分だ。


そう思っていたけれど、痛みは一つ一つ蓄積されていって、私の内面は棘だらけ。彼が触れるたびに血を流している。







コーヒーの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。樋口さんが受け皿にコーヒーカップを乗せ、鏡台の上に置いた。小さなバスケットの中には角砂糖と壺の中のミルクがあった。



「どうぞ。長時間椅子に座っているのは疲れるでしょうから。」

「こいつはコーヒー淹れ専門機だからコーヒーだけは美味いんだ。ちょっと休憩するといい。」

「コーヒー淹れ専門機って何ですか。人をコーヒーメーカーみたいに言わないでください。」

「お前に他にどんな価値があるというんだ。ん?そういえば漬け物を漬けるのも上手かったな。よし、今日からお前は漬け物生産機に昇格だ。」

「ちょ、むしろ価値下がってますよねそれ⁉」



「ふふっ、」


2人のやりとりに笑ったついでに涙が一筋ポロリと零れた。樋口さんが驚く。私は慌てて下を向いた。



「すみません。つい、可笑しくて涙まで出ちゃったかな。あはは・・・。」

「平山さん・・・・。」



無理すぎる私の言い訳に、樋口さんまで辛そうな顔をして、おしぼりを持ってきてくれた。温かいそれで顔をふく。少しすっきりした。

コーヒーを少しいただくと本当に美味しかった。慶ちゃんもコーヒーを淹れるのが上手な人だったから、おかげで私の肥えた舌も満足していた。



「君はもう少し感情を吐き出すといい。最も今から下地とファンデーションに入るから泣くのは勘弁してもらいたいが。」



REIさんは淡々と言って再び仕事に入り始めた。私の意識ももう一度深く潜っていく。









心の崩壊は突然やって来た。


それはいつもの浮気現場の目撃に過ぎなかったけれど、私の積み上げてきた痛みを突き崩すのに充分な光景だった。


「さとこ・・・。」


それは私の告白を押して、励ましてくれた親友と彼氏の浮気現場だった。二人はホテルから出てきたところでキスしながら車に乗り込むところだった。



脳裏が真っ白になってどこをどう歩いたかは覚えていない。気づいたら慶ちゃんの住むマンションの前だった。私はぼんやりと慶ちゃんの部屋の前に立つ。今日は家で勉強するって言ってたのにね。どうせ留守だ。ドアノブは開かなかった。

彼女なのに合鍵も持たない私。

滑稽だ。今の私はセフレよりも価値がないのだから。

そのままドアにすがりつくようにしてズルズルと座り込み暫く泣いた。




何時間経ったのか。慶ちゃんが帰ってきた。

玄関先で座り込んでいる私を見てあからさまに顔を歪め、舌打ちをする。


「勝手に家には来んなって言ったろ。」



いつもなら、ごめんねと必死に謝るところだけど私は黙っていた。もう一度舌打ちして慶ちゃんがドアを開けた。とりあえず中にはいれよ、と顎でしゃくる。

久しぶりに入る慶ちゃんの部屋は私が知らないうちに模様替えされて別人の部屋みたいだった。机の上には誰かの女物のタバコが置いてあった。私はそれを取って慶ちゃんに投げつけた。


「おい!なにすんだ、お前!!」


怒鳴られても、もう何も心に響かない。私は尋ねた。


「ねえ、慶ちゃんなんで?なんで私だけじゃダメなの?なんでさとこなの?なんで私だけを好きになってくれないの?ねえ、なんで?」


答えてよ。


私は慶ちゃんにしがみつく。慶ちゃんは酷く醒めた目で私を見ている。私の指を引き離しながら彼は言った。


「お前重いんだよ。」














「ヘアメイク、完成だ。」


私は閉じた目を開く。鏡には媚びるような甘さは一切ない強い目をした女がいた。

ブルーのアイシャドウをした目尻の切れ上がった目は凛と自分を見つめている。引き結ばれた唇も色の強いグロスで、艶やか。鼻筋もスッとして別人みたいだ。



「うわっ、ほんとに平山さん?凄い綺麗!」


後ろに控えていた樋口さんが目を丸くしていた。いつもならお世辞にとらえる言葉も今は純粋に嬉しかった。



「さて、仕上げだ。」


REIさんがパチリと指を鳴らした。「あいさ!」と敬礼ポーズをとった樋口さんが頭上にあったカーテンを閉める。さらにガラガラと服が大量にかかったハンガーラックを押してきた。


「ちょっ、待ってください!一体これは・・・?」

「そのヘアメイクで今着てる服装は合わないだろう?特別にコーディネートしてやろうというのだ。」

「初回サービスで無料にしときますから。ね。あっ、着てた服はこちらのカバンに入れてお持ち帰り下さい。」

「で、でも私もう・・・。」

「遠慮することないですよ。とことん人を磨きあげるのがあの人の楽しみなんですから。趣味に付き合うと思って。」

「おい、樋口くん。君いつまでここにいるつもりなのかな?君に堂々と淑女の着替えを覗く趣味があったとは「失礼します!」



慌てて樋口青年はカーテンを飛び出していった。以外と初心なところがあるらしい。

「では始めるか。」REIさんはハンガーラックから一着目を手にした。







「本当にありがとうございました。服までサービスしてもらって。」



数分後、私は劇的な変化を遂げていた。私なら絶対に着ないような肩の開いたニットワンピに白リボンのつけ襟、ストライプの柄タイツ、エナメルの金ブーツ。

これやら知り合いでも私だと気づかないかもしれない。


「これで私、振られた彼氏ともう一度ちゃんと向き合えそうです。」


「そうですか。良い方向にいくといいですね。」


樋口さんも嬉しそうに微笑んでくれた。この青年は本当に人がよい。もっと早くに出会えれば良かったなあとちょっぴり後悔。


「では。失礼します。」


私はブランドもののバックを胸に抱いて、外へ出た。相変わらず穏やかな春の陽気が私を迎え入れた。








「いやあ・・・また来てくれますかねぇ、あのお客さん。」


樋口は店仕舞いをしながらニコニコとそう言った。凄く可愛い人だったなあと樋口は口が緩みっぱなしだ。

大事な手が荒れないように念入りにクリームを塗りながらREIは目もくれずに答えた。



「もう二度と来ないよ、あのお客。」

「あ、そうか。レイさん同じお客さんはとらないですもんね。」

「そうじゃないよ、樋口くん」


彼女は長い睫毛に縁取られた目を伏せた。












さとこと慶ちゃんは人通りの多い広場の時計台の下で抱き合っていた。

二人して何か囁きながらクスクス笑う。この光景を前回目にした時は頭がぐちゃぐちゃになって何も考えられなかったけれど、今は心穏やかだ。

私はブーツをコツコツ言わせながら二人に近づいた。数メートル先まで近づいても二人は全く気がつかない。まあ、そうよね。これだけ変身したんだもん。私は可笑しくなって笑い出すのを堪えながらまた数歩近づいた。

ふとさとこが慶ちゃんの肩ごしにこちらを見た。目が合う。だけどさとこは誰だか分かってないみたいだった。見覚えはあるけど誰だっけって感じだ。

さとこの視線に気づいてようやく慶ちゃんが振り向いた。私を瞬きしながらじろじろ見て、小さく「美咲・・・?」と呟いた。

気づいてくれただけで私は充分だった。

あとはもう言葉は必要なかった。私が育ててきた痛み、慶ちゃんが重いと言った想いを彼に全て捧げるだけだ。


私は笑顔で、バックからナイフを取り出すと刃を向けて慶ちゃんの胸に飛び込んでいった。抱き締められることを祈って。
























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