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外に出ると、春の暖かな風が肌をかすめていった。
思っていたよりも空は透き通るように青く、温暖で心地のよい昼下がりだった。
川沿いの歩道には早咲きの桜が満開で、その花びらがゆったりと目の前に舞い落ちてきた時、これから一日全てが上手くいきそうな気がした。
今日は特別な日なのだから、私自身も特別な姿でありたい。
鏡を見ながらそう思ったので、なかなか予約がとれないと噂のトータルビューティーサロンに予約を入れてきた。
なかなか予約がとれないと評判があるなら、今からじゃダメだろうなあ、と半分諦めがあった。一かバチか試す気持ちで電話を入れたらあっさりとこの日の予約でOKが出て驚いた。ただし入店時間はあちらの指定に合わせることになった。きっと予約でギチギチでこの時間帯しか空いてないのだろうから仕方がない。
それにしても、と私は歩道橋を歩きながら微笑んだ。『13じのシンデレラ』という名のお店に13時に行くなんて、面白い偶然である。彼ならとても面白がって「運がいいな、俺たち。やっぱり美咲がいるならだよな。」なんて言ってくれるに違いない。少しだけ胸がキュッと締め付けらて、センチメンタルに襲われるがどっぷり浸かる前にはお店の前に到着していた。
白で統一された作りものの花壇に、あちこちに陶器のキツネやリス、ディズニーの白雪姫に出てきそうな小人の置き物がバランスを考えて置かれている。入り口のドアは薔薇の花を彫りこまれ、蔓がドアのノブをぐるりと一周して訪れるものを誘っているみたいだった。
ガラス張りのドアではないから、中が全く分からないので美容室に行くのに久しぶりに緊張を強いられた。ドアを開けるとからん、とベルが鳴って、花系のアロマの香りがした。
「こんにちは。いらっしゃいませ。」
バーのような広々としたカウンターの奥から背の高い青年が姿を見せた。
「13時から予約をしていた平山です。」
「平山美咲さんですね。ようこそ、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。」
青年に案内されて、玄関から吹き抜けの廊下を抜け小部屋に案内された。廊下も部屋も白い壁、白い床で統一されていて外装よりもシンプルだった。
部屋は黒いクラシックなソファーとガラスの小テーブルが置かれているだけで鏡も雑誌もない。普通、美容室は入ったら、すぐいくつも椅子と鏡があってハサミやスタイリング剤が装備された車輪つきの台でごちゃごちゃしているものだ。私は若干の戸惑いを隠せずに青年の顔を見た。
「初めてのお客様ですから、まずは簡単な手続きをしていただきます。そうお時間はとらせませんから、どうぞソファーにお座り下さい。」
私の心を読んだかのように、青年は柔らかく説明した。
戸惑うお客様に何度となく説明してきたのだろう。慣れた様子だった。
私はペンとバインダーを用意する青年をまじまじと見つめた。美容師といえば普通お洒落で今どきの若者ファッションでキメているものだが、彼は白のシャツに黒の小さな蝶ネクタイ、金のカフス付きグレーのベスト、黒のスラックスとまるでバーテンダーかホテルマンのような衣装を身につけている。胸元にはネームプレートがついていて、「樋口要」と読めた。
私の視線に気づいたのか、樋口さんは照れたような年相応の人懐こい笑みを浮かべ、「この服装、うちでの制服なんですよ。変わってるでしょう。」と言った。
「いえ、お似合いですよ。」
ありがとうございます。お客様の洋服も凄く可愛らしいですよと私の淡い春ワンピを褒めてくれた。会話をしつつ、バインダーの簡単な年齢や、住所などの質問を書き込む。
「終わりました。」
「ご記入ありがとうございます。では次にお客様の私生活に関する簡単な質問をさせていただきます。」
「え、」
思わず声が出た。これからやっとセットに入ると思ったのに、まだ何かあるらしい。
「まず、貴女様のお仕事からお伺いいたします。書面によると接客業とのことですが、具体的には何を?」
「・・・・大手のデパートでブランド品の販売をしています。」
「では、そのお仕事の収入の方は、どのくらいでしょうか?」
「えっ、・・・・月20万・・くらいですけど。」
「それでは収入は充実されていると。それと失礼ですが、異性関係はどうですか?ご結婚はされてますか?」
「ちょっと待ってください!!なんですかその質問!」
我慢しきれず、私は遮るように叫んだ。
「なんでセットしてもらうためだけにこんな尋問みたいな質問受けないといけないんですか。プライベートの侵害ですよ、これは。」
樋口さんは、表面的には困ったような表情を見せる。だが、口調は余裕があり落ち着いていた。
「申し訳ありません。お客様には不愉快な質問をしてしまいました。しかしこれはうちの美容師のやり方でして、相手のことをよく知ってから相手に1番必要で相手の本当の姿を見せるスタイリングを行うためにしているのです。どうかご了承下さい。情報は例え拷問を受けても漏らしませんから。」
キリリと表情を引き締めて、ジッと目の奥を覗きこむように言うので、なんだか怒りよりも気恥ずかしくなってしまった。彼が女性の母性本能を擽るタイプの正統派イケメンなのがいけない。これでお客のクレームを幾度となく封じてきたのだろう。ズルい手だ。
慶ちゃんとどっちがイケメンかな。なんて考えてしまって完全に戦闘心を失う。
「分かりました。」
私はぽすっと再びソファーに沈み込んだ。ただし異性関係は結婚はしてなくて彼氏はいる、で誤魔化しておいた。
質問が終わり、ようやく私はセットして貰えることになった。再び部屋を移動する。
今度案内された部屋は先ほどとは比べられないほど広かった。白い壁と床は一緒だが、オブジェのように衣装を身につけたマネキンが並べられ、中央には、思わず「鏡よ、鏡、鏡さん。」と唱えてしまいそうなアンティークの鏡台が置かれている。その正面には革張りの椅子が付けられた台がある。周りには車輪台やアロマポットの置いてある台、ドライヤー、頭を洗うための椅子つき洗面台、あとはなには何もなかった。
鏡台や椅子さえ一つしかなかった。個室で行うタイプなのかと思ったが、こんな広い部屋がいくつもあるとは思えない。
早くも私は怖気ついていた。
樋口さんは、私の気持ちに気づいたのか「無理もないよ。」といった感じの苦笑を浮かべていた。
彼は私の荷物を受け取り、入り口付近のロッカーに仕舞うと、私に椅子に座るように促した。椅子はとても座り心地が良かった。
「しばらくお待ち下さい。」
彼はそう言い、奥の部屋に繋がるカーテンの向こうへ消えていった。
お待ち下さいと言いながらすぐに彼は出てきた。ほとんど待ってはいなかったが接客上、「お待たせしました。」と言われ、続けて「びっくりすると思うけど腕は確かだから。」と今日始めての砕けた口調をみせた。
困惑を深める私の耳にコツ、コツとハイヒールの床を叩く音が届いた。
「今日担当させていただくREIです。」
姿を見せたのは色鮮やかな花々の塊だった。




