若き宰相の俺に絡みくる、麗人姫の挙動がおかしい。※R-15
エルマー=チェルハ。
チェルハ公爵家嫡男として生を享けた俺の名であり、齢27にして、獣人族と人族がつつがなく生きるこのグランツ王国の若き宰相を務める男でもあった。
城近くの邸宅から今日も朝一番で登城し、執務室でうず高くそびえていた処理済の書類の束をひっつかむ。よろよろ、としつつも、静謐な王宮内を進んだ。
(くっ、デスクワークのみでなく、剣の鍛錬も追加するか……?)
こういうときだけ、貧弱な人族に生まれた己を少しだけ悔いる。ちなみに産んでくれた両親には感謝しかない。いつもどうもありがとう。
睡眠時間を削れば体力は作れると算段しながら、王族執務室の近くまで来て――。
ぴちゅぴちゅぴちゅ、と、どこからともなく小鳥の囀りが、困惑するほど辺りを満たした。
燦々と……いっそ煌々と。その人物の周りだけ、朝の陽射しが降りそそぐ。
「エルマー、おはよう……息災かな?」
182cmの俺よりは小柄なものの、あまりにすらりと脚が長い彼女――特注の軍服風デザインの衣装をまとった麗人が、艶然とした笑みと共に佇んでいた。
出くわして、しまうとは。俺は山のような書類と寝癖の残る深海色の髪を震わせながら、間の抜けた声を高貴なかたへ捧げる。
「うん……ご機嫌麗しゅう、ヒルデガルト王女」
肩で切りそろえられた麗しい黒髪を、しゃらっと王女が払ったことで、暴力を超えた美に耐えられなかったらしい俺の眼鏡がパリンと割れた。毎回作りなおしても三日も保たなく、もうどうしたらいい……?
「ふふ、経費から落としていいよ♡」
「どうも……ありがとうございます……」
ぱらぱらと出勤を始めていた城のメイドたちが、王女を視界に認めた刹那、甘い雄叫びとしか表現できない奇声を帯び、ぱったぱったと倒れてゆく。
彼女たちも慣れたもので、ちゃんと倒れる際の受け身まで染みついており何よりだ……毎回倒れること自体に抗えないのはなぜなのだろう。
「ああ……小うさぎちゃんたちの昏倒、古語で表すところの胸焦がるだよ……! とっさの保身の美しさは、小動物ちゃんな身を助くことだろう……」
メイドたちはそれぞれ人族の他、獣人種では狼と狐、熊と色々いたが、兎みたいな小動物系はひとりもいなかった。修正を入れたら野暮なやつか? そうか。
「……王女殿下、酔っていらっしゃいます……?」
「申しわけないね、アルコールは嗜まないたちで。ああ、でも――」
ヒルデガルト王女がひょいっと書類を抱える俺を、いたずらっ子のような眼差しで覗きこんだ。
「君のかわいさには、酔ってみたいな?」
パリ゛ン゛!! と眼鏡はつるごと弾けた。つるは……滅多に壊れないでいてくれてうれしかったのにな……。
二ヶ月ぶりの全とっかえになる。
視力もこの際、改善トレーニングしよう。俺ならまあ、ゆけるはずだ。
***
対外的に、日々はつつがなく過ぎる。戦事もなく淡々と、粛々と歴史が紡がれる様は愛おしく、同時にとても、ありがたい。
『ありがたい』は『有り難い』と書く。良くできた表記に拍手しかない。国の中枢部である俺たちは、ふらふらぐらぐら疲弊状態でもあり、今日も退勤時間となった俺は、半ば千鳥足。
荘厳な作りの石敷きの床を気合いで進み踏んでいた。
なんのこれしき。
ちゃんとやっている。日々の執務に加え、諸々トレーニングも増やし、筋力も向上。視力も……視力は、緩やかに伸びるタイプなのだ。優しく母鳥が子を見守るくらいの気持ちで俺も励めばいい。
睡眠? ちょっと覚えのない単語ですね。
不意に、視界が揺らぐ。
「……あ?」
ぐらり、と後ろへ俺が傾いで、普段は拝むことはない、豪奢な意匠が彫られた天井が見えた。
「エルマー!?」
涼やかな音色の女声が焦ったように上擦る音と、背中にとん、と支えるように触れた体温を感じたが、俺の意識は深い闇に沈んでしまった。
この音が、余裕をなくしたことなどない。
らしくないだろ、やめてくれ。
……なのに。
その事実がどうしようもないほど仄暗く、俺を満たすのだ。
***
「……」
意識がゆっくりと引かれ、重い瞼を上げた俺は、自身の仮眠室に寝かされていることに気づく。
すぐ傍に熱源を感じて胡乱げに視線を右下へ落とす。
――ヒルデガルト王女が、寝台にもたれるように眠っていた。
御身が床についているではないか! 俺は慌てて身を起こす。
それでも、すうすう、と王女は寝息を立てていた。
目元が、赤かった。
泣いて、いたのか……?
俺は、そっと彼女の目の端を拭うように確かめる。
「……貴女は……、女神でも偶像でもない」
生身の、『ひと』なのだ。
俺だけは、耐える。異質なほどに人智を超えた美しさも、崇拝などするものか。中に在る『女の子』を見てみせるから。
「眼鏡が吹きとぼうが、太陽が落ちようが――ヒルデガルトは、ヒルデガルトだ」
貴女のいる世界だから、俺は。
「……太陽はさすがに落としたことがないな?」
不意にぽつりとした声が、鼓膜を痺れさせるように響く。
きっかけは俺の声なのか、もっと前からか。黒衣の軍服風衣装に身を包んだ王女が、気まずげに目を開いた。
彼女は背筋だけ伸ばしなおし、自身の滑らかな白い頬をかきながら、切なげに言葉を重ねた。
「エルマー……ちゃんと眠って、食べているかい? あまりに楽々片手で持ちあがってしまうから、不安になったよ……?」
「おかしいな……人族と記憶していた王女はゴリラ族でしたか?」
すごいな。ここまで情緒たっぷりに、筋肉質なアピールを受けた経験がない。俺はサイドテーブルに置いてあった眼鏡をかけなおした。
「そんな……、少しだけ気合いが強いだけだよ……ふふっ♡」
喜ぶな。貴女のはにかみ顔に耐えられなかった部屋の時計が、ねじを外し、筐体からパーツを零しはじめただろう。
「でも……倒れるのわかるよエルマー! 私も平素より、サラシで胸を潰しているから呼吸がきつくてたまらない!!」
「うっおおぉおお!? お姫様が躊躇なく服を破ることあります!?」
いやいやいや谷間。谷間がね? 見えているから。
俺は真っ赤になり、顔をがばりと覆う。眼鏡はその前に粉と化し消失していた。
……この、野蛮な俺の本能め! ちらちら指の隙間から舐めるように視認を続けるなよ!!
ヒルデガルトもしたり顔で持論展開をするでない。
「ほら……男装に巨乳って私的に解釈違いなのだよね。こそげ落ちないかなって願いながら、眠りにつく日々さ」
普通に俺は癖になりそう最高か。
「形が崩れたらどうするのですか……」
ちょっと待って。あまりのことに意味不明な本音出た。
王女は目を瞠る。そして、あろうことか。
「……エルマーの、えっち……」
ヒルデガルトは真っ赤になり、潤ませたその目を逸らした。
刹那、俺の身につけた衣服のボタンまで限界を超え、じゅっ。溶けて失せてしまう。だらーんと身体を守っていた布は垂れ、腹部は容赦なくはだけた。
「もう俺、お婿行けません……」
呆然としたまま呟くと、王女は少し考えたのち、のたまう。
“戸籍はひとつしかないけれど、じゃあ私が貰おうか”。
……いや本当。
貴女の婿以外、俺は以降非承認だからな??
【終】




