王宮を焼け出されたもふもふ魔獣たちが、私を追って隣国の大使館に大集合しちゃいました!?〜大使様が私と魔獣たちのために領地ごと買い取ってくれた上、進化した神獣様のおかげで溺愛ルートに入りました〜
前編あります!
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「——よし、黒曜。今日のブラッシングはこれでおしまい。見事な艶ね」
ヴァイスブルク帝国大使館の広い中庭で、リゼットは満足げに真鍮のブラシを下ろした。
足元では、かつては手がつけられないほど凶暴だった三つ首の魔狼・ケルベロスの「黒曜」が、三つの頭で器用にリゼットの膝を取り合いながら、うっとりと喉を鳴らしている。太陽の光を弾く漆黒の毛並みは、触れる者の指が吸い込まれるほどの極上のもふもふだ。
理不尽な理由で王宮の『犬の散歩係』を解任され、婚約破棄されてから二週間。
リゼットは隣国の大使レオンハルトにスカウトされ、『筆頭魔獣散歩卿』として、この穏やかでもふもふに満ちた幸せな日々を送っていた。
「見事な毛並みだ。我が国の誇る黒曜狼が、まるで子犬のようになっている」
テラスから歩み寄ってきたのは、銀色の髪と氷青色の瞳を持つ冷酷なる『氷の公爵』こと、レオンハルト大使だった。
しかし、リゼットに向けるその視線は、異名とは裏腹にひどく甘く、優しい。
「レオンハルト様。黒曜は元々とても賢く、愛情深い子ですから。適切な運動とブラッシングさえ欠かさなければ、これほど愛らしい魔獣はいませんわ」
「……ああ。君の言う通りだ。君が来てくれてから、この大使館は本当に明るくなった。私としても、君にはこのまま永遠に——」
レオンハルトが少し頬を染め、何か決定的な言葉を告げようとリゼットの手を取った、その瞬間だった。
「ワオォォォォン!!」
「キュルルルルッ!」
大使館の強固な鉄門の外から、凄まじい地響きと獣たちの遠吠えが聞こえてきたのだ。
驚いて正門へと駆けつけたリゼットとレオンハルト、そして警備兵たちが目にしたのは、信じられない光景だった。
「レ、レイス!? それにルビーも、双尾狐たちも!」
そこにいたのは、すすけ、怒りに満ち、しかしかつてリゼットが手塩にかけて育てた王宮の護衛魔獣たちの姿だった。
彼らは、香水とリボンのストレスから魔力を暴走させて王宮を半壊させた後、一直線に「一番安心できる匂い(=リゼット)」を辿って、この隣国の大使館まで逃げてきたのだ。
白銀狼のレイスは鼻息を荒らげながら、リゼットを見るなり「クゥゥン」と悲しげに鳴いてすり寄ってきた。その美しい毛並みは香水のせいで荒れ果て、ところどころ自傷による傷ができている。炎舞猫のルビーも、煤だらけの顔でリゼットの足元に丸まった。
「なんてこと……。あれほど誇り高かった子たちが、こんなにボロボロになって」
リゼットは涙ぐみながら、香水の臭いが染み付いた彼らの体をぎゅっと抱きしめた。
しかし、問題があった。王宮の護衛魔獣は総勢で三十頭を超える。いくら大使館の庭が広いとはいえ、これだけの数の巨大な魔獣を受け入れ、かつ彼らが必要とする「一日十キロ以上の運動」をまかなうスペースなど存在しないのだ。
「レオンハルト様、どうしましょう。この子たちは我が国の王家の所有物。それに、ここに置くにはあまりに狭すぎて——」
リゼットが青ざめて振り返ると、レオンハルトは氷青色の瞳を鋭く細め、即座に懐から小切手帳を取り出していた。
「おい、副官。今すぐ隣の侯爵邸と、その裏の私有林をすべて買い上げろ」
「はっ!? か、閣下、隣の敷地は途方もない金額になりますが!?」
「構わん。私の個人資産をすべて叩きつけろ。一時間以内に退去させ、柵を取り払って我が大使館の庭と直結させるのだ」
「レオンハルト様!?」
「王家の所有物だと言うのなら、王家が弁償を求めてきた際に『買い取る』だけのこと。あんな無能な香水まみれの連中に、君の愛した魔獣たちを還すつもりはない。……君の大切なものを、私がすべて守ってみせる」
レオンハルトのあまりに男らしい決断力と圧倒的な財力により、大使館はたった一日で「森付きの超特大もふもふパラダイス」へと増築されたのだった。
「よしよし、いい子ね。痛いところは全部解してあげるからね」
数日後。新設された広大な『魔獣専用グルーミングルーム』で、リゼットは魔獣たちのケアに追われていた。
レイスたちの傷は癒え、地獄の香水臭も専用のハーブシャンプーですっかり落ちた。彼らは広大な森を自由に駆け回り、リゼットのブラッシングを受けて、見違えるように極上のもふもふを取り戻していた。
そんな中、リゼットの足元で「きゅぅ」と小さく丸まっている、ひときわ薄汚れた小さな毛玉があった。
「あなたは……王宮の手帳には乗っていなかった子ね。逃げ出すみんなの背中にしがみついてきたの?」
それは、煤と泥にまみれた犬ともキツネともつかない小さな幼獣だった。震えているその子を、リゼットはお湯で優しく洗い、丁寧に、どこまでも丁寧にブラッシングしてあげた。
すると——。
『……あたたかい』
「えっ?」
リゼットの頭の中に、直接、鈴を転がすような澄んだ男の子の声が響いた。
見れば、泥を落とされた小さな幼獣の体が、神々しい白金色の光を放ち始めている。光が晴れると、そこには九つの尾を持ち、星空のようなオーラをまとった息を呑むほど美しい魔獣——伝説の中にしか登場しない『星脈の神狐』が姿を現したのだ。
『我が愛しき『筆頭散歩卿』よ。私は何百年も王宮の地下で眠っていたが、あの下劣な香水の匂いでたたき起こされたのだ。そして、そなたの愛した魔獣たちを導いてここまで逃げてきた』
「あなたが、みんなを助けてくれたのね……!」
『うむ。そなたのブラッシングは、我が星脈の魔力を完全に活性化させた。極上の手技だ。……ふふ、そなたには、この恩と極上のもふもふの対価を払わねばなるまいな』
神狐は、黄金の瞳でリゼットを見つめ、意味深に笑った。
その声は、なぜかリゼットと、そして周囲の魔獣たちにしか聞こえていないようだった。
「対価って……?」
『うむ。そなたが、あの銀髪の不器用な男と両想いであることは、もふもふネットワークを通じてとっくに我らの知るところとなっておるのだ』
「も、もふもふネットワーク!?」
『あの男、そなたのために森まで買い占めておいて、いまだに手出し一つしてこぬとはヘタレにも程がある。我らが背中を押してやろうではないか! 総員、かかれーっ!』
「リゼット。今日の運動のスケジュールについて相談が——うわっ!?」
グルーミングルームの扉を開けて入ってきたレオンハルトの背中を、黒曜の巨大な鼻先がドォン!と強めに押し出した。
つんのめったレオンハルトは、そのまま止まることができず——あわや転倒しかけたリゼットを、力強く抱きとめる形になった。
「れ、レオンハルト様!?」
「す、すまない! なぜか急に黒曜が……っ!?」
慌てて離れようとした二人だったが、周囲を完全にもふもふの壁に包囲されていた。
白銀狼のレイス、黒曜、双尾狐たち、果ては巨大に姿を変えた星脈の神狐までが、三十頭がかりでギューギューに二人を中心へと押し詰め、逃げ道を完璧に塞いでいたのだ。
『(さあ不器用な大使よ! このもふもふの密室空間は、愛の告白をするまで絶対に開かぬぞ!)』
「わんっ!」
「ワォォーン!!」
魔獣たちは結託し、尻尾を床に打ち付けて「告白コール」を始めた。レオンハルトに神狐の念話は聞こえていないはずだというのに、魔獣たちの『空気』を察したのか、彼の耳は真っ赤に染まっていた。
「……彼らは、どうやら私たちが離れるのを許してくれないらしい」
「も、申し訳ありません、みんな急にどうしたのかしら……」
「いや……彼らに感謝すべきだな。私はずっと、踏ん切りがつかずにいたのだから」
レオンハルトは、もふもふの壁に囲まれた密室の中で、リゼットを抱き寄せる腕の力を強めた。
その氷青色の瞳は少し潤み、たまらなく熱い熱情を帯びていた。
「あの森を買い占めたのは、ただ彼らのためだけではない。君が愛する環境をすべて私が手に入れて、君を永遠に私のそばに閉じ込めておきたかったからだ」
「レオンハルト様……」
「もう、犬の散歩係などとは誰にも言わせない。君は我が帝国の宝だ。……どうか、私の個人的な所有物……いや、妻になってくれないだろうか。この命にかえても、君を極上に幸せにすると誓おう」
その真摯で甘い告白に、リゼットの胸は限界まで高鳴った。
今まで泥にまみれ、誰にも認められなかった日々が嘘のようだった。自分を真に評価し、大切にしてくれる人が目の前にいる。そして周囲には、愛してやまないすべてのもふもふたちが、祝福の眼差しを向けてくれているのだ。
「……はい。喜んで、レオンハルト様の妻になりますわ」
リゼットが微笑んで頷いた瞬間。
レオンハルトの男らしい唇が、リゼットのそれに熱く重なった。
と同時に——。
「「「ワォーーーン!!」」」
「「「キュァァァァッ!!」」」
三十数頭の魔獣と神獣による、大地を揺るがすような盛大な祝福の遠吠えが、ヴァイスブルク帝国大使館の森に心地よく響き渡ったのだった。
——こうして。
無能な元婚約者と令嬢が、焼け落ちた王宮跡で莫大な損害賠償を背負って泥水をすすりながら泣いている頃。
『筆頭魔獣散歩卿』兼『ヴァイスブルク帝国公爵夫人』となったリゼットは、最愛の夫と極上のもふもふたちに囲まれて、とびきり幸せで温かい毎日を送るのであった。
(了)




