無学だなお前は「嘘も方言」って言うだろうが
ムサシ運輸の営業所を昼休みに従業員の和久井が出ると同僚の鷲津零士が続いた。
「和久井、一緒に行こう」
「珍しいな、今日は弁当なしか?」
「美也子のやつ寝坊しやがったんだ」
二人は連れだって近所の大衆食堂に向かった。
「それは残念だったな、自慢の愛妻弁当が食えなくて」
「だからこっぴどく叱ったんだ。そしたら泣き出しやがった」
「弁当くらいでかわいそうじゃないか」
「女房教育は最初の1年が肝心だから何事もきつく当たっているんだ。しかし宅配便に用心して居留守をつかったと聞いたときは呆れたよ」
「旦那のお前も同業なのにか?」
「ああ。『アマゾンからのお届け物です』ってインターホンで言われてブラジルに知り合いはいないから怪しいと思ったんだそうだ。『駄目だなお前は。じゃクロネコですって言われたら猫がしゃべるはずはないって無視するのか』って怒ってやった」
「ハハハ、そんなに天然だってことは奥さん、いいとこのお嬢さんなのか?」
「実家のことは知らん。美也子の親は俺たちの結婚に猛反対だったんだ。それでも家出して俺と一緒になったんだから美也子は天然と言うより変わり者だよ。髭そりが好きだとか言うし」
「髭そりが?」
「結婚当初は俺が髭をそりだすといつも側に寄って来たもんだ。電動シェーバーの音は男の人と一緒に暮らしている実感が湧くって言ってな」
「ふん、結局はのろけか」
食堂に着くと二人とも棚からおかずを数点取ってご飯と汁物のコーナーにトレイを置いた。カウンターごしに零士が女主人に声をかけた。
「おばちゃん久しぶり、相変わらずきれかね。女優さんかて思うたばい」
「あらっ! 冗談でも嬉しいよ、あんた若いのに上手だね」
女主人は豚汁をすくうお玉に肉を多めに入れた。テーブルに就くと和久井が言った。
「前から気になってたんだが鷲津は時々九州の言葉が出るな」
「心にもないことを言うときは方言がいいんだ」
「なんで?」
「『嘘も方言』ということわざがあるだろうが」
「そうなのか、どんな意味だ?」
「無学だなお前は。見ろよ、この豚汁の肉のサービス。方言はくだけた感じだから嘘も方言で言えば相手は気楽に受け入れてしまう、たぶんそんなような意味だ。嘘をつくこっちも見えすいた演技なんだから心が痛まないしな」
「分かるような分からんような理屈だな」
「そんなことより俺たち派遣の倉庫担当は来週から隔日勤務で給料も3割カットだ」
「らしいな」
「配送中に居眠りで事故ったから内勤に回されたのは仕方ないが週3日しか働けないってのはひどいと思わないか?」
「会社は取扱量の減少やオートメ化を口実にしているが荷分け中心に自主退職ねらいだな。お前はまたハンドルを握れるまでの3か月の一時的配置転換だろ? 奥さんも働いてるからいいじゃないか」
「女房の稼ぎに頼っちゃ男がすたるよ。勤務のない曜日は副業OKってことだから1日おきに入れるバイトをもう見つけてある。弁当屋の『もっとほっと亭』だから昼飯つきだ」
零士たちが食べ終わるころ、隣のテーブルに同じ会社の女性事務員が二人来て座った。零士は声を少し落として話を続けた。
「あと10日で籍を入れて丸1年なんだ。式を挙げなかったから女房に何かプレゼントしようと思うんだが何がいいと思う?」
「さあ。1周年目は紙婚式と言うみたいだが俺は女房に贈り物なんかしたことないからな」
「紙婚式か。ならスケッチブックとか高級なティッシュペーパーとか……」
隣席の二人のうち若いほうが噴きだして零士を見た。
「すみません。聞こえてしまいました」
零士は渡りに船と相談を持ちかけた。
「それならちょうどいい。君、どう思う?」
「普通にアクセサリーとかジュエリーでいいと思いますけど」
「その二つはどう違うの?」
「ジュエリーは指環なんかの宝石でアクセサリーはネックレスとか」
いいことを聞いたとばかりに零士は立ち上がった。返却口にトレーを置くとまた女主人に声をかけた。
「おばちゃん、ごっそうさん。さすがプロやね、家ではこげん味は出しえん」
店を出ると和久井が零士の肘をつついた。
「今のも『嘘も方言』か?」
「ああ、女房の手料理のほうがよっぽど旨い」
職場に戻ると営業用の箱型トラックが数台並んで停まっていた。
ボディには「シロイヌムサシ」というロゴとキャラクターの絵が描かれている。
「和久井、うちのキャラクターは何で白い犬なんだ?」
「そりゃクロネコを意識したんだろう。うちの宅配エリアは県内中心だから張り合える規模じゃないのにな」
零士が帰宅すると美也子が食事の用意をして待っていた。
「零士さん、話があるんだけど」
「そうか。あ、美也子、来週から火木土は弁当いらない」
「どうして?」
「駄目だなお前は、そげんこと言わすんな。時々は会社の近くの食堂で旨かもんば食べたかと」
「ごめんね、お弁当美味しく作れずに。今朝はさぼっちゃったし」
美也子は今朝体調が悪くて起きられなかった負い目も重なって落ちこんだ。
「話ってのは?」
「ううん、いいの。冷めないうちに食べて。仕事帰りに寄る所があったんで帰りが遅くなって簡単なものでごめんなさい」
「お前の分がないじゃないか、食べないのか?」
「ちょっと食欲がないの。後でお茶漬けでも食べるわ」
ダブルワークを始めて1週間がたった日曜日、零士は一人でショッピングモールに出かけた。貴金属を扱う店は1階の奥にあった。陳列ケースを覗きこんでいると女性の店員が寄ってきた。
「贈り物をお探しでしょうか?」
「お、これがいい。ネックレスにハート型の宝石まで付いてる」
店員は零士が指さしたものをケースから取り出した。
「こちらのペンダントでございますね」
「これくらい大きいならダイヤじゃなくてガラスだよね? それでも1万円以上か。縁日の夜店ならこれより大きくても何百円かだけど」
店員はむっとした顔をした。
「ただのガラスではございません。当店はスワロフスキー専門店でございます」
「スワロフスキー? 初めて聞いた。よく見れば確かに輝きが違うね」
店員の顔が元に戻った。
「お分かりいただけますか。スワロフスキーにはネームもお入れできます」
同じ日曜日、零士がペンダントを見ていたころ美也子に父親から電話が入った。
「零士くんに変わったことはないか?」
「どうして?」
「貨物の仕分けをオートメ化したんで担当部署の派遣社員を先週から隔日勤務にしたんだ。零士くんの場合はドライバーに復帰するまでの3か月間の辛抱だが給料が3割減になるから気になってな。さしあたり生活が苦しくなるだろうから百万ばかり振りこもうか?」
「節約すればお金は何とかなる。それより私の知り合いの人が妙なこと言ってたの。お昼に職場近くのお弁当屋さんに行ったら零士さんに似た人が厨房にいたって。お父さんの今の話で分かった、火木土にそこでアルバイトしてるんだわ」
「ふむ。配置転換にくさらずにそこまで頑張っているなら本採用にしてお前たちの結婚も認めていいか。お父さんが本社の社長だということをお前も隠さなくてすむし」
「でも零士さんと私は合わないかもしれない。何をしてもけなされてばかりで」
「それなら話は別だ。別れて戻って来い、もともとお父さんたちは反対だったんだから」
「そうも思うんだけど、もう少しだけ様子を見てみる」
翌日の月曜日、夕食のテーブルに就いた零士が言った。
「美也子、今日は結婚記念日だろう」
「覚えていてくれたの?」
夫の言葉に美也子は顔を輝かせた。しかし零士はにこりともせずに卓上を指さした。
「駄目だなお前は、記念日なのにありきたりのハヤシライスとは」
「ごめんなさい、節約しなきゃいけないから。でも記念日だからせめて初めての料理に挑戦しようと思ってレシピを見ながら頑張ったのよ。これハヤシライスじゃなくてビーフストロガノフっていうの」
「変なロシア人の名前みたいな料理だな。それに料理の上に甘ったるい練乳をかけ回してどうするんだ、駄目だなお前は」
「それはサワークリーム……」
零士は一口食べて驚いた。ほころびかけた頬を慌てて引き締め、後は一心不乱にスプーンで口に運んだ。食べ終えると皿を美也子に突き出した。
「こげんもんば二日続けて食いとうなかけん残っとるなら全部食うぞ」
美也子は食事の手を止めてうつむいた。
「どうした?」
「私と別れたいの?」
「いきなり何を言い出すんだ?」
「だって料理もお弁当も美味しく作れないし何をしても『駄目だなお前は』って言われてばっかりだし。こんな私とどうして一緒にいるの?」
零士は内心おどおどしながらもあえて語調を強めた。
「駄目だなお前は、そんなことも分からないのか。何もかも駄目なのに一緒にいるわけはそれでも一緒にいたいからに決まってるじゃないか」
そう言い放つと零士自身は首をひねったがうつむいていた美也子が勢いよく顔を上げた。
「え? それってどういう意味?」
「いや、別に……」
「はっきり言って。子供ができたんだから」
「え?!」
ひるみかけていた零士は驚きをバネにして強気に出た。
「そんな大事なこと、何で早く言わないんだ!」
「じゃ産んでもいいのね?」
「駄目だなお前は、一緒にいたい女に子供を産むなって言う理由があるなら言ってみろ!」
美也子の目に涙がにじんだ。
零士は立ち上がって自分の部屋に行き、細長く平べったい箱を持って来た。
「ほらこれ! ガラスじゃないぞ、チャイコフスキーだ」
箱のリボンを解いた美也子の顔がはなやいだ。
「きれい! スワロフスキーね、これを私に?」
見つめられた零士は目をそらして腕を組んだ。
「愛人用に買うたとばってんが結婚記念日やけんお前にやる」
強がってみたものの今回ばかりはしっかりと「噓も方便」になってしまった。
「愛人? 愛する人がいるのね。名前が彫ってあるわ、Miyakoって」




