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きまぐれエッセイ集

何故エッセイは小説に比べて評価、感想がもらえやすいのか

 ペンギンの下僕と申します。はじめましてでない方がおられれば幸甚です。来てくださってありがとうございます。


 これは宣伝ではなく、このエッセイのテーマに関わってきますでの少し自己紹介――というより、自分のなろうでの活動遍歴を説明させていただきます。


 自分がなろうに登録して、現代異能ものの小説を投稿し始めたのが去年の11月くらいですね。最初のうちは毎日12時投稿+土日祝は12時&17時投稿という生活をしていました。

 今年の六月になって歴史もののオリジナル軍記の投稿をはじめまして、これは最初の半月は隔日、7月以降は今日に至るまで毎日12時投稿を欠かさずにやっております。


 といっても文字数そのものは、現代異能のほうが1500~2000、歴史もののほうがだいたい2000文字くらいです。回によって振れ幅はありますが平均するとだいたいこれくらいでやっておりました。

 ソースは忘れたのですが、「なろうは毎日更新したら読んでもらいやすい!!」というのを何かで見て、その通りにやってきました。


 そして、自分は基本、感想をもらうのが大好きな人間です。前にもエッセイで書いたのですが、赤文字通知が執筆の糧でございます。そんな自分の約1年に渡る執筆における総感想数は――3件です。ちなみに3つとも歴史もののほうであり、現代異能ものは未だに0件です。


 もちろん、いただけただけで御の字です。感想は数じゃありません。まして自分のように趣味で物を書いて、マイペースに投稿している人間のためにタイピング、フリック操作で文字を打ち込んでいただけたことが幸せなのです。


 さて、ここで自分の活動遍歴の話に戻ります。ここ10日ほどですね。息抜きをかねて、思ったことを気のままに書いていたのですが、その10日の間で書いたエッセイにいただいた感想の総数は――8件でした。

 1年間の小説投稿活動をわずか10日で越えてしまったのです。

 さらに申しますと、ありがたいことにエッセイのほうには評価も多々いただきました。ブックマークと合わせた総合評価は、130pt、86pt、100ptとなっております。

 ちなみに……現代異能ものは56pt、歴史ものは102ptです。スケールは格段に小さいですが、ちょっとだけ霧間誠一気分を味わいましたね。

 大前提として、小説であろうとエッセイであろうと、自分が書いたものを読んでもらえて反応や数字が帰ってくる、というのは嬉しいのです。ですが連載となるとそれだけ長く向き合ってきたというだけに、思い入れも強く、もっと小説のほうを読んでくれ!! という気分になるのです。


 さて、長い前置きとなりましたがここからが本題でございます。

 上記の通り、どうやらなろうでは連載小説よりもエッセイのほうが、得られる反応が多いという、あくまで10日くらいでエッセイを3つ投げただけではありますが、一応の傾向があります。

 ではそれは何故なのか、自分なりに考えてみました。


 まず一つ。文章の巧拙は、おそらくないかと思います。

 なにせ同じ人間が書いているものなので。もちろん小説とエッセイについては別物なので、小説を書くのは下手だけどエッセイを書くのは得意、という可能性もありますが……自分としては、別にそういうことではないだろうと思っています。


 短編だから、というのは要素としてあると思います。

 小説、それも長編と違い一話で完結するので、気軽に読みやすいというのはあると思いますね。ですが、とっつきやすい、読まれやすいのと、評価、感想がもらえることはまた別です。

 ではここからいよいよ、どうしてエッセイのほうが評価、感想をもらえやすいのかという私見となります。


 それは、エッセイとは有体に言ってしまうと自分の感情を切り売りしているような文章なので共感しやすいのかなと。そしてこの、共感というのが人間の一番求めている感情なのではないかなと思うわけです。

 この求めているというのは、自分の感情にも共感してほしいし、他人の感情にわかる、とも言いたいということです。だからエッセイに対して、そのテーマが共感できるものであればそのことを感想で伝えたいと思いますし、感想を書いたとなると、面白いと思った→いい文章だった→評価をつけよう、という思考の流れになるのではないかというのが自分の考えでございます。


 あとはもう一つ、エッセイというのは誰が書いても誤字脱字さえなければそれなりに面白くなるのではないか、とも思います。

 上でも書いた通り、エッセイというのは自分の感情を切り売りするものですからね。人間というのは、他人が何を考えて生きているのか知りたいという欲求があるのだと思います。

 これは学生時代にうけた「日記学」という講義で教授がふと言った「他人の日記ほど読んでいて面白いものはありません」という言葉が今も私の頭の中に残っております。エッセイは日記と違い、他人に読ませることが前提の書き物ですが。誰かの頭の中にある生の感情を覗き見たいという気持ちからエッセイが読まれやすいというのはあるのでしょう。




 まあ長々と書きましたが、単純に自分の小説が全部、タイトルからだと中身が分かりにくいだけという話かもしれません。過去に書いたエッセイのほうはすべて、タイトルにテーマを書いているので小説のほうに比べて分かりやすくはありますね。

これまで書いたエッセイをシリーズでまとめました。こちらもよろしくお願いします。

https://ncode.syosetu.com/s5441j/

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 ペンギンの下僕様、こんばんは。  個人的に読者として感想を書くときに考えることなのですが、短編や完結したものだと「そこまで」だと分かるので感想が書きやすいのです。まだ先が続くと思うと私の場合は書き…
追記) >なろうはまだまだファンタジーが強くて歴史は弱いのではないかと個人的には思っております 意味合いとしては、歴史好きの読者は、まだ年齢層が高いので感想を残しやすいのではという推測です。若くな…
エッセイで感想が付きやすいのは、読み手も「書き手」であることが多いというのも、あるかもしれません。 創作あるあるなどに対する、書き手の共感。 書き手なので、感想を付けることにも、あまり躊躇がなかった…
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