明藤響広との出会い
灰色にくすんだ空を反射した淀んだ海。
東雲ニズはただその海を眺めていた。
空は一向に晴れる気配もなく、傷心中のニズを反映しているかのように雲を流している。
本来ならばニズがいるこのバルコニーも晴れていれば人がたくさん来ていたのだろうが、実際はニズしかいない。
だからこそ、ニズは一人で外に出たかったのだ。
この春休み、ニズは理事長である祖父との相談をした結果、休学をすることにした。
理由は様々だが、極端に言えば人間関係である。
人間関係のいざこざに疲れてしまったニズは祖父に連れられて、これから知りもしない人工島へ傷心旅行をする。休学をする、となればインドアなニズは前向きな気持ちになれないまま部屋で引きこもり続けてしまうだろうという祖父の気遣いで誘われた傷心旅行だったが前述の通り、ニズはインドア。
どこかへ行ってしまうことが苦手なニズにとっては気が重いだけではなく、見たこともなければ聞いたこともない場所に行くということが何よりのストレスだった。
ため息もつきたくなる状況だが、憂鬱という気持ちの方が勝ってしまう。そんな憂鬱な気分をせめて抑えるためには俯いているしかニズは方法を知らない。
「ニズ」
そう呼びかけたのは小洒落たスーツを身にまとい、穏やかな笑みを浮かべた老父ー紛れもなく、ニズの祖父である。背は低いが穏やかな笑みを浮かべてはいるものの、その奥には隠された真意というものをどうしても感じられてしまってニズはたまにだが苦手だと思ってしまう。
「見えてきたよ、そろそろ船を降りるから中に入りなさい」
祖父の言葉にニズは反射で今まで見てこなかった前をやっと見る。祖父の言う通り、たしかに肉眼で目を凝らさなくてもいいほど薄暗くその島は佇んでいる。
(着いちゃった…)
ニズは言葉にせず、祖父の言う通りに中に入る。
祖父の説明によれば、これから向かう人工島は祖父が出資をして作り上げた島らしい。ニズの家は財閥とまではいかないが、一般家庭よりは明らかに裕福だ。祖父がニズの通っている学校の理事長をしているほどだ。だからこそ、そんな名の知れた祖父が人工島の出資をしていたという事実を本人の口からもネットニュースからも聞いたことがなかったのでニズはかなり驚いた。ニズが旅行に気乗りしないのも、もしかしたら人工島で捨てられるんじゃないかという心配からもあった。祖父は愛して結婚したはずの祖母ですら祖父の都合が悪くなればさっさと離婚して捨てるような人だ。血縁だろうと情など気にしない人だということをニズは幼い頃から重々承知していた。
ニズは激しい揺れと同時に、両手で操作していたゲーム機を反動で落としてしまった。その直後に島に着いたというアナウンスが知らされるがニズはアナウンスをほとんど聞かずにゲーム機にヒビが入っていないか確認する。ヒビは入っていなかったが、落とした衝撃でゲームが落ちてしまい液晶には暗闇が広がる。その暗闇の中には自分自身の姿が浮かび上がるが、自分で見ても本当に酷い顔だと思うし特別に可愛いというわけでもない顔だと改めて思う。ニズはそのままゲーム機を再起動せずにお気に入りのカバンの中に入れ、祖父に着いていく。
外は相変わらずの曇り空のようだが観光客たちは外に出るなり、感嘆の声を上げる。立ち止まってしまったのか、乗組員の「立ち止まらないでくださーい!」という元気に溢れた声が聞こえる。
ニズは特に期待せずに列の進みに従っていると、もう少しで外だというときに祖父は言った。
「今日は曇りだけど、あの島は曇りでも華やかなんだよ」
微笑みながら祖父の言ったことの意味が分からず、ニズは失礼ながらそれほど自分の作り上げた島に自信を持っているのか、歳も歳なのでボケてしまったのかと疑った。
どういうこと、と聞く前にニズの疑いは霧のように晴れた。
ニズは肉眼で遠目からこの島を認識したとき、薄暗いと思った。影で暗い、ではなく色彩で暗さが薄くなっていたのだと気付いたのは祖父の言ったことの意味を理解できたのと同時だった。
桜、桃、チューリップ、菜の花、ヒヤシンス、フリージア。
全て春の花だった。こんなにたくさんの花があるというのに、視界が眩しくない。むしろ、こんなに綺麗な花がこの世にあるのかと驚くほどだった。全てが華やいで、かつ自分が一番綺麗だと言わんばかりに輝きを放っている。まるで、何を糧にして生きていけばいいのか分からないニズよりもよっぽど人間のようだ。
人間のように咲き誇る花に思わず放心してしまっているニズに祖父がおもむろに語る。
「この島は、島独自の生き方や文化があってね。
その一つが死んだ人を埋めると同時に、種も埋めるんだ。その種はどういう原理なのかは僕も分かっていないけど、その人の命日になると花が咲くんだ。この島の人は花が咲くと、その人にまた会えたと考えているらしい」
「え、じゃあこれって…」
ニズは再び花々を見る。再び見る花々は相変わらず見蕩れてしまうほど美しい花弁を散らしているが今のを聞いてしまったら人の魂を具現化させているように見えてしまい、なんだかゾッとした。
「その文化に倣って、この島の名前はこう呼ばれている。人を葬ることでその場に花が咲く。桃源郷のような美しさで島を彩る名前を、“花葬島”」
「かそう、しま…」
火葬と掛けているだなんて、なんて上品なんだろう。本当に人間のようで羨ましいじゃないか。
ニズはそう、感じてしまった。
「あぁ、いたいた」
ふと、ぶっきらぼうで祖父よりも低い声がニズたちを呼びかけるように聞こえた。その声の主であろう、見覚えのない男がニズたちの元へと駆け寄るところニズの知らない知り合いらしい。
こんな鮮やかな島では浮いてしまいそうな少し長めでぼさついた黒い髪、黒いコート、黒いインナー、黒いパンツ、黒い靴。唯一違う色をあげるとしたらアクセサリーのしかないだろう。ニズはどんなに記憶を巡らせてみても、こんな男との接点はなかったように思える。しかし、祖父の反応を見るところ、やはりニズの知らない知り合いという予測は正しかったようだ。祖父とこの男は歳の差がかなりあるようだが随分と親しげに会話をしている。こんな祖父を見るのはなんだか初めてのような気もするし久しぶりのような気もする。
2人の会話が落ち着いたのか、ニズの存在をやっと思い出したのか、ニズはやっと紹介を受ける。
「こいつは久瀬。昔の同僚でね」
「久瀬だ、この島にはできたときから住み込んでる。それから…もう一人、紹介するガキがいたんだけどな。どっか行っちまった。すまねぇな、東雲」
「いや、構わないよ。それより、子供がいたのかい?そんな報せは初めてだな」
「冗談よしてくれよ。10年前に死んだ姉貴のガキだ。仕事はこなすが、それ以外はガキだ。ニズちゃんと同い年ってもんで島案内させようとしてたんだが…」
ニズと、同い年。
それを聞いただけで胃の中にある物を全て吐き出しそうになってしまってニズは咄嗟に口を抑える。
幸いにも吐き気は直ぐに収まったが、深呼吸を続けなければ今度こそ吐き出してしまいそうだ。
「火事だ!!」
鋭く刺さったかのような、大きな大きな声。
その一言だけで今まで祭りのようにガヤガヤとしていた周囲はピタリと無音へと変わった。中には動揺している者もいたが、大半は島の人なのだろう。久瀬のように静かに声のした方を何があったのかを見えているかのように眺めているようだ。ただ、久瀬だけは「あの馬鹿…」と呟いていた。
その直後、映画でしか聞いたことがない、何かが弾け飛ぶような音が声のように轟く。轟いた音の余韻だと言わんばかりに数秒後には、何かが焦げたような臭いがした。
「おや、銃声かい?治安が行き届いていないのかい?」
「こればかりは金をかけてもどうにもなんねぇのさ」
祖父の呑気な質問に久瀬はぼさついている頭皮をガシガシと乱暴にかく。島の人も普通に話し始めたし、もう大丈夫なのだろうとニズは判断した。
判断できる、ということは思っていたより自分は冷静だったのかもしれない。ニズの耳と鼻には未だに音と臭いが残っている。記憶だけではなく、感覚にも焼き付いてしまった。その焼き付いてしまった正体に、ニズは驚きながら自分の心臓を確かめる。
もう、吐き気がない。
ニズが安心すると、久瀬が舌打ちをしながらどこかへ歩いて行く。慌てながら着いていこうとするも、祖父は立ち止まっている。その立ち止まり方がなんだか、いつもは見ない祖父の一面のような気がして一体どうしたのだろう、と考えた瞬間だった。
「おめぇはどこほっつき歩いてんだぁ!!着いてこい言っただろがよぉ!!あぁ!?」
祖父と楽しそうに談笑していた人物とは思えないほどのキレっぷりにニズは思わず身震いした。もしかしたら久瀬は元ヤンなのだろうか、それとも単純に気性が荒いのか。でなければ、誰かの首根っこを掴んだりなんてできないだろう。
「花論…」
「え?」
祖父の言葉にニズは驚きながら祖父を見たのだが、その祖父を見るとニズは更に目を丸めた。
祖父の目が細くなっているのだ。
ニズの祖父は普段は穏やかな笑みを常に浮かべているような人なので、その表情から動くということがそもそも珍しいのだ。
一体どんな人物なのだろうか。
そんな好奇心でニズは視線を再び久瀬の元へと戻した。
「火薬の臭いがしたんだってぇ!!私言ったじゃん!!聞いてなかったのそっちじゃん!!」
その声を聞いてニズは全てを悟った。
あ、今首根っこを掴まれているのは同い年の女の子なのだ、と。そして久瀬が首根っこを掴んでいるのはただはぐれたからだけではない。銃声に一人で立ち向かうという勇敢かつ無謀な行動を独断で起こしたからなのだろう。
久瀬がこちらへ戻って来る。そこでやっと、少女の姿を拝見したニズの目も祖父と似ている節があった。
久瀬の手を緩ませようとしているのか、元気よく暴れている少女の外見は黒と銀のツーカラーで成り上がっている久瀬と比べると奇抜そのものだった。
濃いピンク色の広がったロングヘア。髪の先には紫色が差し掛かっている。
「綺麗…」
そんな奇抜な髪がニズにとっては綺麗だと感嘆するほどの美しさに圧倒されてるほどだった。
ニズの目には、再び光がさしていた。
そんなニズの目を少女は理解することができなくて動揺する。その目もやはり奇抜で、紫色なのか水色なのかピンク色なのか判断することができないほど混ざりきった瞳。
ああ、綺麗だ。
少女が急に大人しくなったことに特に気にしもしない久瀬は少女の首根っこを掴んだままニズの目の前へ、ずいっと押し出す。そして、相変わらずぶっきらぼうに少女の紹介をする。
「すまんな、この馬鹿が。こいつが、明藤響広。
ニズちゃんと同じ今年で17になるガキで、街案内をさせようとしてたガキだ」
「ガキガキうっせぇなぁ…」
「お前はいつでもガキだろうが。…お前にも、一応紹介しておくぞ。東雲龍蔵、俺の昔ながらのダチ。東雲ニズ、お孫さんだ。お前の仕事は街案内と護衛だからな。これは今朝出る前に言ったから二度は説明しねぇ」
「はいはい」
…今、護衛と言ったか?
ニズは自分の耳がおかしくなったのだろうかと疑うが、たしかに一人で街をぶらついていると先程のようなことに巻き込まれると冷静になれるだけで対処できる術はない。ならば一人で銃に立ち向かえる護衛がいれば心強いだろう。
「それじゃあ、後は頼めるかい?若い狂犬さん」
祖父が響広に穏やかな笑みを浮かべてそう語りかける。響広は訝しげな表情を浮かべながら祖父とニズを交互に見る。響広の瞳が久瀬を捉えると、久瀬は響広の首根っこをやっと放す。響広は両足で難なく着地する。そして、ゆっくりと立ち上がるとニズの瞳をじっと見つめる。まるで心を見透かされているようでニズはこれまでとは違った圧を感じて身震いをする。
「終わったらどうするの?」
響広が振り向き、久瀬を見る。久瀬は頭を乱雑にかきながら、あー…と言葉を濁らせながら祖父を見る。
「観光客用のホテルに頼むよ。道順はそこの狂犬さんに教えてもらうといい」
観光客用のホテル、と聞いて響広は「あー…あそこねぇ」と呟く。そのまま何かを考え込むように俯いていたが、十秒も経たないうちにパッと顔を上げ再びニズを見る。
「おっけ、なら行こうか。オジョウサマ」
ニズは肩唾を飲み込んでから、意を決したかのように力強く頷く。この人の目は、何かが違う。
そんな気がして仕方がない。
夜明けはまだ訪れない。