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07.その頃婚約者と妹は ※イリス視点

 神殿の広間には、不穏な空気が漂っていた。

 壁を飾る豪奢なステンドグラスから差し込む光さえ、どこか曇っているように感じる。


 神殿長であるエドガー様は、椅子に深く腰掛け、焦りを隠せない表情を浮かべている。切れ長の目元は疲労が滲み、口元の硬直がすべてを物語っていた。

 その姿はいつもの威厳に満ちた指導者というより、追い詰められて余裕のない男そのものだった。


「イリス、君だけの力では足りない……。これでは聖女として国を守るどころか、神殿の信仰さえ揺らいでしまう……!」


 エドガー様の苛立った声が辺りに響き渡る。その語尾には怒り以上に焦燥が混じっていた。


「そんな、私だって精一杯やっているのに……!」


 私を責めるようなその言葉に、思わず声を荒らげてしまう。自分なりに努力してきたという自負が、胸を締めつける。


 聖女は一人いれば十分だと、私も彼も信じていた。


 しかし、あの日恐ろしい魔力を有した魔獣に姉のアーデルを捧げて以来、神殿は崩れ始めている。

 民たちの信仰心は弱まり、神殿への供物は減少し、周囲の村々では災厄が相次いでいるらしく、「聖女の力が衰えたのではないか」という噂が広まりつつあった。


「魔獣に聖女を生贄として捧げれば、この国は平和になると言ってたじゃないですか……! 話が違うわ!」


 私がこれまで、どれだけ努力をしてきたと思っているの?

 幼い頃に聖女として神殿に連れていかれ、魔王を倒した伝説の聖女と言われ、それからもずっと民のために祈りを捧げてきた。病める者の苦しみを癒し、傷ついた者の痛みを取り除いてきた。


 内心では、聖女としての実力は姉のほうが優れているのはわかっていた。

 普段はどこかぼやぼやした女のくせに、〝浄化の力〟を使うときのあの、冷徹なまでに美しく、強大な力を秘めた姉のことが、私は時々恐ろしいほどだった。十年前に魔王を倒したのだって、アーデルの力だった。当時の私は圧倒的な存在である魔王にただ怯え、姉の影に隠れていただけだ。


 それでもアーデルと一緒に〝伝説の聖女様〟と言われ、私は姉に引けを取らないよう、精一杯うまくやってきた。


 当時の神殿長の息子である、エドガー様と婚約したのも姉だったけど、私は女としての魅力も一生懸命磨いてきた。

 魔物の血に染まった恐ろしい聖女アーデルには、負けていない……!


 だからエドガー様も私を選んでくれたのよ。

 姉を魔獣の生贄として捧げ、私と結婚すると約束してくれた。

 平和になったこの国で、二人で幸せに暮らすはずだったのに。


 けれど、姉がいなくなった後の現実は、私が想像していたものと違う。

 神官たちが噂して聞こえてくる言葉は、『アーデル様が真の聖女』『イリス様は失敗』『もう終わり』など、悲観的なものばかりだった。



「……アーデルがまだ生きている可能性がある。彼女の力を探知した」


 エドガー様が静かに告げたその言葉に、血の気が引いた。頭の中が真っ白になる。


「え……? それじゃあ」

「魔獣が彼女をお気に召さなかったのかもしれない。とにかく、彼女が本当に生きているのか、確かめにいかなければ」

「そんな……!」


 私は知らずに息を呑んだ。

 姉には酷いことを言った。いや、それだけではない。私たちは彼女を見捨てた。見殺しにしようとした。

 国のために生贄になってもらう――そう自分に言い聞かせていたけれど、私は姉のことが嫌いだった。邪魔だと思っていた。


 だから、最後に彼女に本性を見せてしまった。

 それなのに姉が生きていたら……非常にまずいことになる。


 みんなには、〝アーデルは魔獣に勇敢に立ち向かい、そして犠牲になった〟と伝えている。

 彼女は国を救うために己を捧げた〝伝説の聖女〟として英雄視され始めている。

 華々しい最期――そう語られた物語が、もしもすべて虚構だったと知られたら?


「ですが、今更お姉様のところに行ってどうするおつもりですか!? 私たちのしたことがすべて暴かれてしまうかもしれません……」


 声が震え、息苦しさが胸を締めつける。

 言葉を吐き出すたびに、自分の恐怖心が明らかになっていくようで耐えられない。


「それどころか、お姉様が私たちに復讐を考えていたら……!」

「……口止めをするためにも、行くしかないだろう」


 エドガー様の声が低く、重く響く。

 彼の言葉の意味は理解できた。

 私たちの失敗が明るみに出ないために。彼女の存在が、これ以上私たちの立場を脅かさないために。


 そう自分に言い聞かせながらも、胸に広がる恐怖はどうしても消えなかった。



 再び魔の森に向かう決断をしたその日。

 夕暮れの薄暗い光の中、私の頭には、闇落ちして魔獣に取り込まれた姉の姿が浮かんでいた。

 彼女の口元には冷たく歪んだ微笑みが張り付き、血に染まった真っ赤な目が私を捕らえる。

 姉の全身から滲み出る力が、私たちを焼き尽くそうとするのだ。


「…………っ」


 私は、恐怖のあまり自分の身体をきつく抱きしめた。


 聖女アーデルの恐ろしいほどの力は、一番近くで見てきた私自身がよく知っている。

 彼女を怒らせ、敵に回すということを考えると、私は身体の震えが止まらなくなった。



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