06.俺は男だぞ!? ※ゼル視点
「――そういえば、ゼルはちゃんとお風呂に入ってるの?」
俺が目覚めて、数週間が経っていた。
聖女アーデルとオリヴァはすっかり仲良くなったようで、最近では料理や家事を楽しそうに一緒にこなしている。
それだけならどうでもいい話だが、アーデルが俺のブラッシングをするのも日課になりつつある。
今夜も、俺は仕方なく触れることを許してやっていたのだが――突然、彼女がそんなことを言い出した。
『おまえには関係ないだろう』
もちろん、俺だってたまには風呂にも入る。しかし、この女のように毎日入っているわけではない。
この身体では、一人で風呂に入るのも一苦労なのだ。
「……ちょっと獣臭がするわよ」
『何!?』
「もう、面倒くさがっちゃ駄目よ? そうだ、私が洗ってあげる!」
『…………は?』
なぜだか嬉しそうに笑う聖女アーデル。彼女が何を言っているのか理解できないまま、連れていかれたのは浴室だった。
『俺を洗う? ほ、本気で言っているのか!?』
「大丈夫。昔、泥に嵌まった子犬を洗ったことがあるから」
笑いながらそう言って、彼女は自らの服を脱ぎ始めた。
俺は子犬ではないし、そもそも犬ではない……!
『ば、馬鹿な……!! 俺は男だぞ!?』
「知ってるよ、ゼルがオスだってことは」
『オスではない! 男だ!!』
「ふふ、ゼルはかっこいいもんね」
『おまえ……!』
あまりにも呑気に服を脱いでいく聖女に、思わず鼓動が速まっていく。
この女……何を考えている!?
いくら種族が違うとはいえ、俺は男で、こいつは女だということを理解していないのか……!?
俺の見た目に騙されすぎだ、油断しすぎだ!!
『あああ……、なぜ全部脱ぐ必要があるんだ……!』
「だって濡れちゃうし。それに、ゼルだって服を着てないじゃない」
『俺には毛皮があるだろう……!』
反射的に見てしまった彼女の姿に、ハッとして目を閉じ、俯く。
いやいやいや、何を動揺しているんだ、俺は!!
俺は魔王だ、人間ごときの裸にいちいち惑わされるなどあり得ない……はずなのに。
「さぁ早く入って。寒いじゃない」
『……っ』
この聖女は……!!!
彼女のまったく恥じない様子に、苛立ちともどかしさが込み上げる。
だが、いつまでも脱衣所にいるわけにもいかず、仕方なく浴室に足を踏み入れた。
「ふふ、ゼルは紳士なのね」
『…………っ!!』
ぎゅっと目を閉じている俺に、聖女がやわらかく笑いながらお湯をかけてくる。
「かゆいところはないですか~?」
『……ない』
とても優しい手つきで泡を立てながら、全身を撫でられる。
悔しいが、気持ちがいい。
「ゼルはあたたかいね……」
『……お、おい!?』
すると突然、彼女がそう言って、少しだけ身を寄せてきた。
その瞬間、俺の鼓動が急激に跳ね上がるのがわかった。
こんなに近くで、二人きりの密室で、しかも衣服を身に着けていないというのに――彼女はまったく気にしていない様子だ。
まさか、本当にこの見た目に騙されて、俺が男だということをわかっていないのか?
そうだ、そうに違いない。
――だが、俺の身体は全然言うことを聞かない。心臓がドキドキと高鳴ってしょうがない。
この状況で、冷静でいられるはずがないのだ。
もし彼女がわかっていてやっているのだとしたら、俺はどうすればいい?
俺を殺した聖女に対して、どんな反応をすればいいのかまったくわからない。
こんなに近くにいる彼女の息遣いが、すぐ耳元で聞こえる。
彼女の温もりが、肌に伝わってくる。
憎い聖女の、はずなのに――。
このまま放置していたら、どうなるかなんて考えたくもない。
しかし今、聖女を突き放すことができるだろうか?
――いや、俺は……!
「ゼル、前足を出して。ちゃんと洗ってあげるから」
『……!』
理性が吹き飛びそうになったそのとき、彼女が俺の手に触れた。
しかし、その手に人間の指はない。
……前足。
そうだ、俺は彼女と同じ姿をしていない。
だというのに、何を馬鹿なことを考えているのだ。
彼女は俺を〝可愛い聖獣〟としか思っていない。
そのことに気づいてしまった自分に、思わず肩を落とす。
「どうしたの? ゼル。急に元気なくなっちゃって」
『……さっさと終わらせてくれ』
「うん、じゃあ泡を流すね」
『ああ……』
「随分素直ね」と呟きながら身体の泡を流していく彼女に、俺は目を閉じたまま心のもやもやの意味を考えた。
結局そのまま、聖女は固まっている俺の身体の泡を流して、とても楽しげに洗った。
それはまるで、ペットの犬でも洗うように。
その後は全身を拭かれて、あたたかくて心地いい風魔法で乾かされ、毛並みも丁寧に梳かされた。
至れり尽くせりとは、まさにこのこと。
「うん! 全身ぴっかぴか! すっごくハンサムになったよ!」
「ゼル様……なんてお美しい姿なのでしょう……」
満足げな聖女と、目尻に涙を浮かべて感激しているオリヴァ。
なんなんだ……、こいつらは。
「ほら、鏡を見て!」
『……』
聖女アーデルが俺の前に持ってきた全身鏡を覗き込むと、青黒く輝く毛並みの獣が映った。
その姿はまさに〝聖獣フェンリル〟の名に相応しいと、自分でも認めざるを得ない。
「ふふ、可愛いでしょう?」
『……噛みつくぞ!!』
「きゃー! こわーい!」
怯えたようなことを言いながら、その顔には笑顔が浮かんでいた。
隣を見ると、オリヴァもすっかり聖女にほだされ、一緒に笑っている。
聖女には復讐をする――。
……はずなのだが、いつの間にか俺も、この聖女に気を許し始めていた。
そして、その夜はなぜかアーデルが俺の部屋にやってきた。
「ゼルはあたたかくて気持ちいいから、一緒に寝たい」
そんな子供のようなことを言う彼女に、俺は呆れて言葉も出なかった。
というわけで、勝手に俺のベッドに潜り込んできた聖女アーデルが、俺にくっついて寝ている。
しかし、身体が密着しすぎだ……!!
そんなに薄着で身体を密着させるとは、なんという女だ、この聖女は……!!
俺は男だと、あれほど言ったというのに!!
「ゼルはあたたかいね……」
『……ふん』
今夜はそんなに冷えていただろうか?
ぎゅっと俺にしがみついてくるアーデルは、本当に子供のようだ。
だからまったくなんとも思わない。そもそもこの俺が、こんな人間の女にくっつかれたくらいで動揺するはずがないのだ!
こんな、子供のように無邪気で、よく笑い、優しい、女に――。
……思えば彼女は、子供の頃から聖女として神殿に仕え、国のために働いていたのだった。
俺を滅ぼしたのも、十歳のガキの頃。
……もしかすると、ろくに親に甘えたこともなかったのかもしれない。
「ゼル……このままずっと一緒にいたいな」
『……!』
寝言のように囁かれた言葉に、ドキリと心臓が揺れる。
このまま、ずっと一緒に……?
そっと聖女の顔に視線をやると、閉じられた瞼の下に、きらりと光るものが滲んでいるのが見えた。
泣いているのか……?
『……』
そんな彼女の姿に、俺はつい無意識にその雫をぺろりと舐め取っていた。
「ありがとう、ゼル。大好き」
『…………!!』
そう言っていつものように優しく笑うアーデルに、俺の心は不思議とあたたかくなっていた。
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