05.私たち家族だね
魔の森に置いてけぼりにされた私は、聖獣ゼルと、その部下だというオリヴァとの三人での生活を始めることになった。
聖女として働いてきたこの十年は、本当に息の詰まるような毎日だった。
命を救う仕事が多いイリスと違い、私は命を奪う場面が多かった。
それはもちろん、人々を救うためではあるけれど、たとえ魔物であっても命を奪う仕事は精神的にもきつく、心をすり減らす日々だった。
それなのに、私は助けたはずの人々から〝血に濡れた聖女〟と言われ、恐れられていた。
人々を癒しているイリスは美しくて、キラキラと輝いて見えた。
私も誰かのためにと懸命に祈りを捧げ、騎士たちの怪我を治癒したけれど、結果的にエドガー様に誤解を与える結果となった。
私の努力は認められなかった。
けれど今、開き直って聖女をやめたら、とても気が楽になった。
こうして静かな朝を迎えられることが、どれほどありがたいことか。
朝の光が窓辺から差し込む中、ゼルがそのふわふわの毛並みを輝かせながら、のんびりとくつろいでいる。
その姿を見て、ふとあることを思いついた。
「おはよう、ゼル。ちょっとこっちに来てくれない?」
『なんだ?』
ゼルは渋々といった様子でこちらに歩いてくる。
「ふふ、寝癖ができているから、梳かしてあげる」
『なんだと? 俺にはそんなもの、必要ない――!』
「大丈夫。私、犬とか猫とか、動物のお世話には自信があるのよ!」
『や、やめろ……! 俺は犬ではない!』
「そっかそっか、ゼルは犬じゃなくて、狼だもんね」
『そうだ……って、それも違う!』
ゼルは露骨に嫌そうな顔を見せた。けれど彼のふわふわの身体をがっしりと捕まえて、私は力強く説得を試みる。
「もう、あなたの手では櫛を持てないでしょう? 威厳あるフェンリルなら、常に身だしなみを整えておかないとね」
ゼルはしばらく不満げに私を見ていたけれど、ついに観念したように溜め息をついた。
『……ふん、好きにしろ。だが、丁寧にやれよ』
「もちろん! 任せて!」
どっしりと腰を下ろしたゼルに、私は早速ブラシを彼の背中に優しく当てた。
最初のひと撫でで、その毛並みが驚くほど滑らかであたたかいことに気がつく。
「わぁ、ゼルの毛並みって艶々のふわふわで、すごく触り心地がいいのね! まるで高級絨毯みたい!」
『俺を絨毯と比較するな!』
ゼルが文句を言ったけど、なんとなく照れているように見える。そんな彼が可愛くて、私は思わず微笑んでしまう。
「ごめんごめん、でも本当にすごいわ」
『当然だ。俺の毛並みは特別だからな』
少し誇らしげに胸を張るゼル。
その姿が更に可愛らしくて、私は手を止めることができなくなった。
「そういうことなら、もっと綺麗にしてあげないとね!」
ブラシで全身を丁寧に梳かしていく。絡まった毛をほぐし、しっぽの先までふわふわに仕上げると、その毛並みはやわらかく輝きを増したように見える。
『む……意外と悪くないな』
目を閉じて満足げなゼルの様子に、思わず笑みがこぼれる。
「ふふっ、そうでしょう? こうやってお世話していると、なんだかゼルが家族みたいに思えてくるわ」
『……家族、だと?』
「うん!」
なんの気なしに言ったその一言に、ゼルの動きがぴたりと止まる。
『……勝手なことを言うな。俺にはそんなもの必要ない』
「ゼルには、家族はいないの?」
『そんなもの、今世にも前世にもいない』
顔を背けてそう言ったゼルの横顔が、どことなく寂しげに見えた。
「それじゃあ私がゼルの初めての家族だね!」
『……はあ?』
「あ、でもそれを言うならオリヴァも家族よね。私たち、三人家族だね!」
ゼルの目が一瞬だけ大きく見開かれて、とても意外そうな、動揺している表情を見せた。でも少しだけ、嬉しそう。
『……ふん、勝手に言っていろ』
「わかった、勝手に言う! 仲良くしようね、ゼル。あ、私のことは〝お姉ちゃん〟って呼んでもいいよ」
『ふざけるな! なぜ俺が弟なんだ!』
不満そうに、ガウッと牙を剥き出したゼルだけど、やっぱりその顔は照れを隠しているように見えた。
「ブラッシング、気持ちよかったでしょう? これからは毎日してあげるね」
『毎日だと!? ひ、必要ない……!!』
「でもゼル、さっき目を細めてうとうとしてたよ?」
『お、おまえが聖女の特殊な力でも使ったのだろう!? 侮れん奴だ……』
「ふふっ、使ってないけどね」
怒ったように言いながらも、ゼルが逃げ出さないあたり、本気で嫌がっていないのがわかる。
「ゼル、可愛い。いい子いい子」
『頭を撫でるな!』
不機嫌を装うゼルを見ていると、自然と顔がほころんでいく。
聖女として登城してから、両親にはずっと会っていない。唯一の妹、イリスにも私は嫌われていたらしい。
そんな私にとってこの関係はきっと特別なものになるだろう。
そんな気がした。