表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/33

32.闇の中の光※ゼル視点

 ――アーデルは、俺を恐れて逃げたのか?


 その考えが脳裏を掠めた瞬間、胸の奥に鋭く冷たい杭が打ち込まれたような感覚が走った。

 視界が揺れ、鼓動が一拍ずつ、鈍く重く響く。


 ……やはり、俺はアーデルにとって今でも〝魔王ゼルヴァルド〟なのか――?

 つい先ほどまで感じていた、確かなぬくもりと笑顔。

 あれらはすべて、幻だったのか?


 心の奥に小さく灯っていた光が、音を立てて砕け散るのがわかった。

 俺の中で、何かがひどく軋む。

 骨ではない。血でもない。

 もっと奥――魂の奥底で、何かが音を立ててひび割れていく。


 手を伸ばすべきだったのか。彼女の名を叫ぶべきだったのか。

 だが、何もできなかった。

 冷静になれ、と言い聞かせても、頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 ――アーデルは、俺を拒んだ。


 そんな思いが、波のように何度も何度も押し寄せ、その場から動けない。喉が締めつけられるように痛んで息ができない。


「……違う」


 それでも俺は頭を横に振った。

 アーデルが、あんなにあっさり俺の前からいなくなるはずがない。

 彼女は俺を受け入れてくれた。魔王に謝りたいと言っていた。

 あの言葉が嘘だとは思えない。


 しかし、胸の奥に広がる暗闇は、否定すればするほど強くなる。

 まるで、心の底から湧き上がる闇が、全身を侵していくように。


 また……また俺は、すべてを失うのか?


 感情が、理性を噛み砕いた。

 その瞬間、周囲の空気がびりびりと震えた。

 俺の足元から、黒い霧がじわりと広がり始める。

 それは、抑え込んでいた魔力が、限界を越えて溢れ出した証。


 ――魔力が、暴走しかけている。


 理性が薄れ、視界の隅でものが歪み始める。

 誰も彼も遠ざけたい。何もかもが鬱陶しい。

 このまますべて壊せば、もう何も感じずに済むのかもしれない。


 やはり、俺の本質は魔王なのだ――。


「……俺はもう、アーデルとともに生きていくことはできないのか?」


 しかし――彼女だけは……アーデルだけは、絶対に傷つけたくない。

 牙を剥く衝動と、それを必死に抑え込む意志がぶつかり合い、精神が崩壊しそうになったそのとき。

 微かな足音が聞こえた。


「――ゼル!」


 その声に、俺の時間が一瞬止まった。

 耳に届いた声は、妄想ではない。とても鮮やかに、胸を貫いた。


 アーデル……?

 信じられない思いで顔を上げると、そこには確かにアーデルがいた。迷いも恐れもない瞳で、まっすぐに俺を見つめている。


「ゼル、ごめんなさい、遅くなって!」


 彼女の言葉は、どんな魔法よりも強く、暴走しかけていた俺を沈めてくれた。

 視界の闇が晴れていく。

 一歩、また一歩、俺に近づいてくるアーデルの姿に、涙が溢れそうになる。


「ゼル……?」


 彼女の瞳は、まっすぐに俺を見ていた。

 俺を恐れるどころか、愛しさのようなものが滲み出ているではないか。

 俺に会えて、ほっとしているようにも見える。


 ――やはりアーデルは、俺を拒んだのではなかったのだ。


 その瞬間、俺の中に広がっていた闇が、完全に消えていった。

 暗闇に沈んでいた心が、俺の名を呼ぶ優しい声によって引き戻される。


「……おまえは、俺を恐れずに戻ってきたのか?」


 かすれた声で問いかける。

 俺は恐れていた。アーデルが俺を見限ることを。俺の正体を知り、忌避(きひ)することを。


 だが、アーデルはいつもと変わらぬ笑顔でくすっと笑った。


「当然でしょう? 私はあなたとずっと一緒にいたいって言ったじゃない」


 その言葉とともに、彼女は歩み寄り、俺の手を取った。


「それに、ゼルは私にこのことを話そうと思ってくれてたんだよね? 話し合えば、聖女と魔王(私たち)はわかり合えるわ」


 ああ――失うかもしれないと思った、この温もり。俺の手を取ることを恐れずにいてくれる存在。

 張り詰めていた心が一気に崩れ、俺はたまらず彼女を強く抱きしめた。


「……アーデル」


 彼女の名を呼ぶだけで、胸がいっぱいになる。

 アーデルは驚いたように息を呑んだが、すぐに俺の背にそっと腕を回した。


「ゼル……私は、あなたが誰だろうと、関係ないの。だって今のあなたが私の大切な人だから」


 まるで俺の不安をすべて見透かしているような言葉だった。


「俺は……魔王だぞ? おまえがかつて倒した、敵だ」

「あのときはごめんなさい。今でも私を憎んでる?」


 俺の顔を窺うように、そっと覗き込んでくるアーデルに、心の中で「そんなわけないだろう」と即答している自分に、思わず笑ってしまう。


 確かに、憎んでいた。聖女には復讐してやろうと思っていた。

 しかし、今は違う。俺はアーデルのことが、心底愛おしい。


「おまえを、愛してる」


 そっと囁くと、アーデルは一瞬頬を赤く染め、そしてやわらかく笑った。


「……私もよ、ゼル」


 彼女の頬に手を添えると、俺たちの唇は自然と重なった。

 すべてを包み込むような、優しくて、あたたかい口づけだった。


 ああ、俺は。この瞬間をどれだけ望んでいただろう。


 ――闇に沈むことは、もう二度とない。


 彼女が俺の光だから。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ