30.あの日の夢 2
――気づけば、私は森の中で眠っていた。……いや、気絶していたのだ。
「お姉さま! お姉さま……!」
イリスが泣きながら私を呼んでいた。その後ろでは、神殿の者たちが私の顔を覗き込み、「聖女様が目を覚ました!」と叫んだ。
私は、魔王ゼルヴァルドを倒したらしい。魔王の姿は跡形もなく消え失せていた。私が、その存在を……私が、魔王を浄化したのだ。
〝憎き聖女よ――復讐してやる――〟
「……!」
聞こえるはずのない、ゼルヴァルドの声が聞こえたような気がして、私は息を切らしながら目を覚ました。
視界が揺れる。胸が痛い。過去の記憶が、脳裏にこびりついている。
「……アーデル?」
そして――目の前には、あの金色の瞳があった。
「きゃあ……っ!」
「アーデル!? どうした、俺だ!」
「…………ゼル?」
彼の心配そうな顔を見て、一瞬だけ息が詰まった。
ああ……ゼル。ゼルだ……。その額に魔王の角はない。
月明かりに照らされた金色の瞳が、不安げに揺れていた。
「大丈夫か? うなされていたぞ」
「……ごめん、昔の夢を見ていて……」
「昔の夢?」
ゼルの穏やかな声が、現実へと引き戻す。私はまだ荒い息を整えながら、額に滲んだ汗を拭った。
「……実は私、最強と言われた魔王、ゼルヴァルドを倒した聖女なの」
少し迷った後、決心して口を開くと、ゼルの表情が一瞬固まった。
「ゼルは、魔王ゼルヴァルドを知ってるかな?」
「……ああ、まぁな」
「そっか、ゼルには前世の記憶があるのよね」
「…………」
ゼルは口を開きかけて、すぐに閉じた。私はそんな彼を気にせず、続けた。
「本当に恐ろしかった……私はまだ子供だったけど、本気で死を覚悟したわ」
その瞬間、ゼルの喉がわずかに動く。
「……しかし、死んだのは魔王のほう、だった」
「うん」
あの日の記憶が、まだ鮮明に残っている。強大な魔王を前に、私はただ、生き延びるために戦った。何も考えずに、ただ神殿の命令通りに。
ゼルは静かに息を吐くと、目を伏せた。
「おまえは、その魔王をどう思っているんだ?」
私はしばらく考える。
「……わからない」
それが、正直な気持ちだった。
「私は神殿の命令で魔王を倒しただけだから。魔王は人を襲う恐ろしい存在だと聞いていたし」
ゼルはしばらく黙ったまま、私の言葉を噛みしめるようにしていた。
「……そうか」
彼の声には、何か深いものが滲んでいる気がした。
でも――。
「でもね」
「?」
ゼルがわずかに目を細める。私は、その表情を見ながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は実際に、魔王ゼルヴァルドが人や街を襲っているのを見たわけじゃないの。もしかしたら、もっと平和的に解決することもできたかもしれないって、今なら思う」
その言葉に、ゼルが目を見開く。彼の金色の瞳が、微かに揺れる。
「それじゃあ、もし今その魔王に会うことができたら……おまえはなんて言う?」
ゼルの問いに、私は少しだけ考えて――。
「ごめんなさいって、謝るかな」
「――何?」
「きっと魔王は、私を殺したいほど憎んでいるでしょうけど」
苦笑する私に、ゼルは拳を握った。たとえ謝ったって、自分を殺した女を許してくれるはずないから、今度はきっと私が殺されちゃうと思うけど。
「まぁ、私が殺してしまった魔王に、会うことなんてできないけどね」
「そんなことはない!」
「……え?」
「いや……魔王もきっと、聖女を……おまえを、誤解していただけだ。話し合えば、きっとわかり合える」
「ゼル……ありがとう」
彼の金色の瞳は、何かを訴えるようにまっすぐで――私はそんなゼルを見て、思わず微笑んだ。
「それに……もし」
視線を落として、彼が小さく呟く声に耳を傾ける。
「もし、おまえが誰かに傷つけられるようなことがあったら……俺は相手が誰であろうと、躊躇なく殺すだろう」
「……ゼル」
「おまえは、そんな俺を〝魔王〟と同じように、恐れるか?」
ゼルの瞳が、とても不安げに揺れた。彼は私以上に神に近い、圧倒的な存在なのに……今はまるで子犬のようだ。
「私はゼルを恐れたりしない」
言葉一つ一つを確かめるように、ゆっくりと彼に伝える。
「何があっても、私はこれからもずっとゼルと一緒にいたい」
彼の手をそっと包み込むように握ると、その瞬間、ゼルの肩がわずかに跳ねた。
驚いたように目を見開き、私を見つめ返す。
「アーデル……」
私の名前を呼ぶ声が、どこか震えていた。目の奥に滲んでいた影が、少しずつ和らいでいくのがわかる。
不安も迷いも、私が包み込んであげられるのなら――そう思った。
「ふふ、もう寝よっか」
「ああ……」
ようやく力が抜けたように、ゼルが小さく頷いた――けれど、次の瞬間、眉をひそめる。
「って、なぜおまえがここで寝ているんだ」
彼の視線が、私の隣にある毛布と枕に向けられる。
「ゼルを待ってたら、寝ちゃって」
そう言って頬をかくと、彼は深い溜め息をついた。
「まったく」
呆れたような声。けれど、その瞳はあたたかくて、嬉しそうで。
まるで、愛しさを噛みしめているかのように、彼は私の隣に腰を下ろし、そっと毛布をかけてくれる。
「……今日は、ここにいていい」
「え?」
「また怖い夢を見ても……俺が隣にいる」
彼の言いたいことを察した私は、その不器用な優しさに思わず笑ってしまった。
「じゃあ、遠慮なく」
ゼルの腕にそっと寄り添いながら、私は目を閉じる。
重なった手のひらのぬくもりが、ゆっくりと胸の奥に染み込んでいく。
この場所が、彼にとっても、私にとっても――安らげる場所でありますように。
アーデルがゼルの部屋から出てこないことに気づいたオリヴァとヴォルターは
「もう、さっさと付き合っちゃってくださいよ!!」
って思ってるに違いない。笑