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29.あの日の夢 1

『今夜、話がある――』


 ゼルにそう言われたとき、私はとても嬉しかった。

 彼のほうから約束を取り付けてくることは珍しく、その様子もどこかそわそわして見えたから。一体なんの話だろうと、あれこれ考えてしまったけれど、それを悟られないように平静を装って着替えを済ませ、先にお水を飲もうと食堂に向かった。


「あ、アーデル! いいところに!」


 けれどそれが間違いで、すっかり出来上がっているオリヴァとヴォルター様に捕まってしまった私は、そこで少し時間を食ってしまった。


「ごめん、ゼルが待ってるから、私行かなくちゃ……!」

「え? ゼル様が?」

「あー! さては愛の告白ですね? お二人、さっきもいい雰囲気でしたもんね~」

「え……? ち、違うと思うけど……とにかくもう行くね!」


 お酒のせいで頬が赤くなった二人を置いて、なんとか食堂を出て、走るように廊下を駆け抜ける。


 すっかり暗くなった庭園に着いたときには、風が肌寒くなっていた。息を吐きながら、私は辺りを見回す。


「ゼル……もういないか」


 石畳の上には誰の足音もなく、ベンチにも誰もいない。

 私が遅れたから、ゼルは部屋に戻ってしまった。


 うっすらと期待していた自分を殴りたくなるような気持ちだった。

 それでも私は、そのままの足でゼルの部屋へ向かった。



「――ゼル、いる?」


 ノックをして声をかけてみるも、返事がない。

 けれど扉の鍵は開いていて、中からガタン、と音が聞こえた。


「ゼル、いるよね……? 入るよ?」


 そっと扉を開けると、中から灯りの明かりが漏れていた。


「ごめん、ゼル。食堂でお水を飲もうとしたら、二人に捕まっちゃって――」


 謝罪の言葉を口にする私に、ゼルは一瞥もくれずに背を向けたまま、ぽつりと呟いた。


「……いい。今日は疲れただろう。もう寝ろ」

「え? でもゼル、話があるって……」

「今夜はやめておく」


 その声は、冷たくはなかった。けれど、まるで何かを切り離すように静かで、遠く感じた。


「私が遅くなっちゃったからだよね、ごめん……!」

「…………いや」


 ゼルに歩み寄ろうと踏み出した私を避けるように、ゼルは立ち上がると、私と視線を合わせようともせず、顔を背けた。


「ゼル?」

「……」


 彼はそれ以上何も言わず、静かに扉の向こうへと姿を消した。

 その背中を見送ることしかできなくて、情けないような、寂しいような気持ちが胸に溜まっていく。


 せめて、ちゃんと謝りたかったのに。

 私はその場にぽつんと残され、ゼルの部屋の中を見回した。きちんと整った空間、どこか無機質で、けれど彼の香りがほんのり残っている。


「やっぱりゼルが戻ってくるの、待ってようかな」


 そっとベッドの端に腰を下ろすと、身体がずしりと重く感じた。


「……ふぅ」


 今日は久しぶりに王宮のパーティーに参加して、確かに少し疲れちゃった。

 胸の奥が重たくて、力を抜いた途端、眠気が襲ってきた。


 ……ちょっとだけ、目を閉じて考える。

 ゼル、怒ったのかな。私のこと、がっかりしたかな。


 意識がふわりと揺れて、私はゼルのベッドに身を預けた。




 ――それから、どれくらい眠っていただろう。


「……なぜアーデルが俺の部屋で寝ているんだ」


 聞き慣れた低い声が落ちてきた。


 ……ゼル。

 眠っているはずなのに、彼の気配が鮮やかに伝わってくる。扉の閉まる音、溜め息の気配、そして近づく足音。


 シーツがほんの少し沈み、誰かがベッドの端に腰かけたのがわかる。


「やれやれ……」


 小さく、けれど確かに呟いたその言葉が、なぜかあたたかくて、無性に愛おしく感じる。


 怒ってると思った。叩き起こされて、追い返されてもおかしくないのに。

 やっぱりゼルは優しいのね。


 起きなきゃ、と思うのに、どうしても身体が動かない。

 でも、ゼルがすぐそばにいると思うと、不思議と心がほどけていく。


 ……もうちょっとだけ、このままでいさせて。

 私はゼルの気配に包まれながら、静かに、夢の中へと落ちていった。




 ――冷たい空気が肌を刺す。

 ああ……まただ。

 私は、幼い頃の自分を見下ろしていた。


 この夢は、何度も何度も繰り返される。忘れたくても、忘れさせてくれない。まるで魂に刻まれた呪いのように。


 そこにいるのは、まだ子供だった頃の私。聖女として、神殿に引き取られ、〝奇跡を起こせる存在〟として働かされていた頃の私。

 昼も夜も関係なく、傷ついた人々を癒し、災厄を祓い、ただ祈ることだけを求められた日々。

 泣いても叫んでも、許されなかった。できるはずだと、そう言われ続けて。


「うわーん、お母さまー!」

「大丈夫よ、イリス……私が一緒だからね」


 それでもイリスの姉として、私はしっかりしなければと、涙を呑んで妹を励ました。

 やるしかなかったのだ。


 ――そして、その日が来た。

 浄化の力に優れていることがわかると、私はイリスとともに、魔王が棲む〝魔の森〟に連れていかれた。

 黒い瘴気が吹き荒れ、世界が闇に呑まれるような感覚に陥った。

 圧倒的な魔力が大気を震わせている。

 目の前にそびえ立つ存在は、今まで見たどんな魔物よりも強大だった。


 ――魔王ゼルヴァルド。


 人々を恐怖に陥れた、最強の存在。

 私の聖なる力でさえ、果たして通用するのか――そんなことを考える暇もなく、彼はそこにいた。

 闇よりも深い長い黒髪が、狂気じみた魔力を孕んで揺れている。

 金色の瞳は、まるで夜空に浮かぶ双月のように、冷たく、鋭く光っていた。

 そして、彼の額には鋭くそびえる、二つの角。

 その姿は、まさに〝災厄〟そのものだった。


「……人間か。それも、まだ子供ではないか」


 静かな声だった。けれど、それだけで全身が凍りつくほどの威圧感があった。

 立っているだけで、足が震える。これまでどんな魔物とも戦ってきた。けれど、彼の魔力はそれらとはけた違いだった。

 呼吸をするだけで肺が軋むよう。全身の細胞が、本能的に〝死〟を悟っていた。


 ――怖い。こんな敵、勝てるはずがない。


 イリスは、私の後ろで声も出せずに、泣くこともできずに、ただ震えていた。


「こんなところに何の用だ? 迷子か?」


 低く囁かれた声に、私はハッとする。魔王は明らかに私たちを舐めていた。殺そうと思えば、一瞬で殺せるとわかっているのだろう。


「……魔王、ゼルヴァルド」


 私は拳を握りしめた。

 ――私は聖女。人々を守るために、この力を持っているのよ。

 だから、怖くてもここで逃げるわけにはいかない。


「あなたを、倒す」


 私はすべての力を手のひらに込め、魔王に向かって放った。



アーデルの夢、続きます。

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