27.せっかくだし、踊ろう?
王宮の大広間には、豪華なシャンデリアが輝き、華やかな音楽が響き渡っていた。
大広間に足を踏み入れた瞬間、周囲の視線がこちらに集まった。
貴族たちが次々と囁き合い、まるで波が広がるように噂が広がっていくのがわかる。
「おい、見ろよ。あれは誰だ?」
「なんて美しい人だ」
「本当に神々しい……」
その噂の中心にいるのは――ゼルだった。
堂々とした立ち姿。鋭く輝く金色の瞳に、まるで造り物のように美しい顔。そして滲み出る威圧感と風格。
その存在は、王宮の中に神様が舞い降りたかのような迫力があった。
まさに人間離れした威厳と美しさ。さすが、聖神様――。
「ゼル、すごいわね……!」
思わず感嘆の声を漏らすと、隣のゼルはなんでもないことのように鼻を鳴らした。
「ふん、当然だ」
でも少しだけ誇らしげで、優越感に浸る彼の横顔を見て、私はつい微笑んでしまう。
ゼルの威圧感に気圧されながらも、周囲の女性たちは彼に見惚れているようだった。頬を赤らめてこっそり囁き合い、時折ちらちらと彼のほうを盗み見る。
一方で男性たちはというと――。
「なんなんだ、あの威圧感は……」
「まるで王族……いや、神のような雰囲気だな……」
ゼルのただならぬ空気に、少し距離を取りながら呟いている。
うん、わかる。ゼル、本当に格好いいもの。実際、聖神様だし。
「私、ちょっと飲み物取ってくるね」
「ああ」
そんなゼルの堂々とした様子に安心した私は、喉が渇いたこともあって、飲み物を取りに一人でその場を離れた。
美しく並べられたトレーから、透き通った琥珀色の飲み物を手に取ろうとしたその瞬間――。
「これはこれは、伝説の聖女、アーデル様ではありませんか?」
突如、後ろから男性の声が聞こえて振り向くと、そこには数人の貴族男性が立っていた。
「お噂はかねがね伺っております。国を救った英雄、そのお姿をぜひ間近で拝見したいと思っておりました」
「いやぁ、なんてお美しい方なんだ!」
「は、はぁ……」
そう言って近寄ってくる彼らは皆、私の知らない人ばかり。
少し前まで私は〝血に濡れた聖女〟と言われていたのに、あの一件以来、すっかり〝伝説の聖女〟に逆戻り。
国のために我が身を犠牲にした……と思われているのよね。
本当は生贄にされた聖女なんですけど。
「聖女様、私と一曲踊っていただけませんか?」
「いやいや、こんな大切な方を軽々しく誘うのは失礼だ。……しかし叶うなら、私と一曲」
「自分だって誘っているじゃないか! 聖女様、ぜひ私と一曲!」
彼らは一様に興奮した様子で、次々と私に声をかけてくる。
ち、近い……!
確かに王宮の夜会では、社交としてダンスを申し込まれることは普通のことだ。でも、こんなに一度にちやほやされるなんて、予想外すぎる。
「えっと……私には連れが……」
圧倒されながらもお断りの言葉を口にしたものの、彼らは次々に手を差し出してくる。まるで聞いていない。
どうしよう……。
そのときだった。
――パリンッ!!
突然、何かが割れる高い音が辺りに響いた。
パリン! パリンパリンパリンッ!!
そして、まるで連鎖反応のように、周囲にいた貴族男性たちが持っていたワイングラスが次々と砕け散る。
「な、なんだ……!?」
「グラスが勝手に割れていくぞ!?」
彼らが慌てた声を上げる。その指先には砕けたグラスの持ち手部分だけが残っており、中身のワインが彼らの服に派手に飛び散った。
「――おい」
そして、低く冷えた声が、彼らの背後から響いた。
その瞬間、貴族たちは一斉に硬直する。
ゆっくりと振り返ると、そこにはゼルが立っていた。
金色の瞳が鋭く光り、そこから滲み出る威圧的なオーラ。空気そのものが張り詰めるような、強烈な威圧感。
ゼルはゆっくりと私の元へ歩み寄り、貴族たちの間に割って入るように立った。
そして、一言。
「アーデルから離れろ」
その一言だけで、彼らはたじろぎ、後ずさる。
「ひ、ひぇ……」
「こ、これは失礼しました……お連れ様がいたとは……」
見る間に退散していく貴族たち。
ゼルはそれを冷ややかに見送り、ふっと小さく息をついた。
「まったく、ちょっと目を離すとこれだ」
「え、えへへ……」
ゼルが助けてくれた安心感で、私は少し気が抜けてしまう。
すると、ゼルは私の手をすっと取り、優しく握りしめた。
「もう俺から離れるな」
「……うん」
その低く囁かれた言葉に、私はドキリとする。ゼルの手はあたたかくて、力強い。
まるで自分のものとでも言うように私を独占するゼルだけど……焼きもちを焼いたのかな?
ふふ、可愛いなぁ、ゼル。
でも――。
「グラスを割ったの、ゼルでしょう? あれはちょっとやりすぎよ。普通に断れば済んだんだから」
「しつこかっただろう。俺の魔力で片付けたほうが早い」
「片付けるって……」
とても物騒な物言いに、思わず苦笑してしまう。
「それに、砕くのはグラスにしてやったのだから、ありがたく思うんだな。頭蓋骨を粉砕してやってもよかったんだ」
「…………」
それ、冗談だよね?
ゼルの笑えないジョークに、やっぱり私は苦笑いを浮かべることしかできない。
「でも、私のためを思ってくれたことは、嬉しかったよ。ありがとう」
「……当然だ」
素直にお礼を伝えると、ゼルは照れ隠しに目を逸らしつつ、私の手をぎゅっと握った。
彼の人間社会への道は、まだまだ険しいものとなりそうだった。
それから、ゼルに手を取られたまま、私は大広間の中央へと導かれた。
周囲では貴族たちが華やかに踊り、その場を彩っていた。流れる旋律は優雅で、まるで夢の中のよう。
けれど――。
私の世界には、もうゼルしか映っていなかった。
「せっかくだし、踊ろう?」
「……いいだろう」
「ところでゼル、踊れるの?」
「少しはな」
ゼルの手が私の腰を軽く抱き、もう片方の手が私の手を包み込む。
普段はどこか無頓着なところがあるけれど、今はまるで一流の紳士のようにエスコートしてくれている。
それがなんだか新鮮で、胸がドキドキと高鳴ってしまう。
音楽が始まり、ゼルがゆっくりと私をリードする。足元がふわりと浮くような感覚。流れるようなステップに身を委ね、私たちは大広間の中心で静かに踊った。
ゼルの腕はしっかりと私を支え、その体温が伝わってくる。
「ゼル、格好いいね」
思わず素直にそう口にすると、ゼルの耳がぴくりと動いた。そして少しだけ目を逸らしながら、小さく鼻を鳴らす。
「……当然だ」
だけどその横顔は微かに赤く染まっていた。それが、なんだかとても愛おしい。
「アーデル、おまえも――」
くるりと回るたびに、ゼルの瞳が私を捉える。静かな金色の輝きが、揺れるシャンデリアの光を映している。
「綺麗だな」
耳元で、低く響く声に、息が止まりそうになった。
「……ゼル」
ゼルは私から目を逸らさずに、はっきりとそう言った。
気づけば、ほんの少し――顔が近い。ゼルの体温も、息遣いも感じるほどに。
その距離に、胸の鼓動が速くなった。
音楽が終わる頃、私はゼルの腕の中で静かに息をついた。
ゼルは私の手を離すことなく、そっと指先を絡める。
「アーデル……今夜、城に帰ってから、話がある」
「話?」
「城の庭に来てほしい」
いつになく真剣な視線と、少し緊張した面持ちのゼルに、私の鼓動は期待に弾んだ。
「今じゃ駄目なの?」
「二人きりになって、ゆっくり話したいんだ」
「そっか……わかった」
話ってなんだろう?
気になるから早く聞きたいけど……ゼルの様子に、とても大切な話なのだと悟って、私は静かに頷いた。