18.これは何の練習だ!? ※ゼル視点
そして翌朝――。
「おはようございます、ゼル様――お顔がすごいことになっていますよ」
オリヴァの指摘に、俺はムッと眉をひそめた。
「せっかくのハンサムが台無しです」
「……ほっとけ」
鏡に映る自分の顔を見て、げんなりしてきたところだ。
目の下にはくっきりとしたクマ。昨夜、アーデルと同じ部屋で一睡もできなかった代償だ。
「おはようございます! いやぁ~ゼル様のベッドは広くて寝心地がよくて、最高でした!」
そこに、とても爽やかな笑顔で騎士ヴォルターもやってきた。
アーデルはまだ部屋で支度をしている。
「……あれ? どうしたんですか?」
俺がじろりと睨むと、オリヴァが彼に何やら耳打ちして伝えた。
ヴォルターはすぐにピンときたような顔をして、オリヴァと目を合わせる。
「ゼル様……それはつまり、聖女アーデル様のことが好きだということですね?」
「……っ!?」
不意打ちすぎるヴォルターの言葉に、俺は飲んでいた水を危うく吹き出しかける。
「な、何を馬鹿なことを……っ!」
「否定が動揺していますよ、ゼル様」
オリヴァも隣で頷きながら確信めいた表情を浮かべている。
「俺があんな人間の小娘を……好きになるはずが……!!」
「ゼル様、やはり恋愛は初心者ですね……いや、むしろ無知とお見受けしました」
「うるさい!!」
「これはいけませんね。ゼル様ほどの御方が恋愛を知らないとは……」
オリヴァがやれやれと大袈裟に溜め息をつき、ヴォルターは腕を組んで深く頷いた。
「しかし、それも致し方ないのです。ゼル様は偉大過ぎるあまり、これまで釣り合う方がいなかったのですから」
「なるほど……。しかし、聖女アーデル様ならゼル様の相手にぴったりですね!」
「なんとも複雑な気もしますが……まぁ、アーデルなら私もいいと思いますよ」
「勝手に話を進めるな」
勝手に盛り上がっている二人に、俺は溜め息をつく。
オリヴァの言うように、俺には魔王時代から決まった相手などいなかった。
もちろん俺は、魔族の女からモテた。
魔族の中でとびきり力の強い俺と子孫を残したいと言う者は多い。
しかし、まだまだ滅びる予定のなかった俺に、子孫など必要なかったのだ。
そうしているうちに、俺はアーデルの手によって滅ぼされたわけだが……。
「では、今度遊びに来る時は王都で人気の恋愛指南書を持ってきますよ!」
「いらん!」
というか、遊びに来るとはなんだ。この騎士と友達になったつもりはないぞ。
「まぁまぁ。とにかく、まずは基本からいきましょうか」
「はぁ?」
今度はオリヴァが得意げな様子で指を立て、何やら語り始める。
「恋愛とは、相手を想い、ともに時間を過ごし、信頼を築いて――」
「必要ない!」
「ゼル様、すぐにそうやって否定するのもよくないですよ。近頃人気のある男性像は、優しく寄り添い話を聞いてくれる、共感力の高い男です!」
「~~っ!」
俺は耳を塞ごうとするが、オリヴァがまくし立てる。
「例えばですね、ゼル様。人間の女性は繊細で、優しさが大事なんですよ。デートの際には手を取ってエスコートをし、さりげない誉め言葉も忘れずに!」
「デ、デート……?」
「そうです! アーデルに『今日も可愛い』ですとか、『その髪、綺麗だ』ですとか、そういうこともスマートに言えるようになりましょう!」
「な、なぜ俺が……!」
「口説き文句も大切ですよ。『君の瞳に吸い込まれそうだ』ほら、言ってみてください!」
「そんなこと言えるか!」
なぜ、俺がそんな練習をさせられなければならないんだ、アーデルは俺の復讐相手。間違ってもそんな彼女と恋愛など……!
「わかりました。では、簡単な言葉から始めましょう。『好きだ、アーデル』これなら言えますよね?」
「……っ」
オリヴァがにこにこと楽しそうに言うのを、俺は睨みつけた。
そもそも、この二人の前で言う必要がないと言っているというのに……。
しかし、目の前のオリヴァは期待に満ちた顔で身を乗り出してくるし、ヴォルターは腕を組みながらじっと俺を見つめている。
「さぁ! ゼル様!」
プレッシャーをかけるオリヴァに、俺はぎりぎりと歯を噛みしめた。
くそ……。こんなこと、さっさと言って終わらせたほうがマシだ。
別にそれくらい、言うのは簡単だ。この俺にできないことなどないのだから。
アーデルだって、俺が本気になれば口説くなど簡単なこと。
ただ、その必要がないというだけだ。
「す、好きだ、アーデル……」
――だというのに。
そんな簡単な言葉を口にしただけで、俺の鼓動はドクンと高鳴った。
言った直後、オリヴァが「おお~っ!」と感動したように手を叩き、ヴォルターも「案外、素直ですね」と感心している。
俺はなんとも言えない気まずさを抱えつつ、早くこの場を切り抜けようとした。
そのとき――。
「ゼル……、今、私のことが好きって――」
「!?」
「あ、アーデル」
背後から聞こえたやわらかな声に、全身が硬直する。
まさか……まさかこんなタイミングで来るなよ――!!
俺が振り返ると、そこにはほんのりと頬を赤く染めたアーデルの姿があった。
俺を見つめる瞳が、どこか期待に満ちている気がする。
「今のって、どういう意味?」
「な、なんでもない……!!」
アーデルが俺の言葉をじっくりと反芻しているのがわかった。
俺は慌てて手を振り、オリヴァとヴォルターを一瞥する。
二人とも俺から目を逸らし、苦笑いを浮かべやがった。
「ゼル……?」
それでもアーデルは小首をかしげ、じりじりと距離を詰めてくる。
う……っ、可愛い……。
「な、なんでもないと言っただろう! 朝の準備をしろ、準備!!」
俺は必死で話を逸らし、早くこの場から逃れようとしたが、アーデルの表情がまだ納得していないようだった。
そんな俺の様子を見たオリヴァは、にやりと魔族らしい不敵な笑みを浮かべながら、ヴォルターに耳打ちした。
「ゼル様、本気でアーデルに惚れたようですから、今度ぜひ指南書をお願いします」
「ええ、そのときが来るのが楽しみです」
俺は二人の会話を聞きながら、心の中で頭を抱えた。
――もう、二度とこんな戯れには乗らん!!