それぞれの道
王都の街並みを、赤らんだ夕焼けが染め上げている。
思ったよりも教会にいた時間は長かったらしい。
うるさいと感じていた喧騒は少し鳴りを潜め、行きかう人もその数を減らしているようだった。
王立ロールエントリア学園の推薦状をもらったことを、教会を出てすぐ両親には報告していた。
父さんにはすごいじゃないか、と頭をぐしゃっと撫でられ、母さんは...少し悲しそうな表情をしていた。
多分二人ともある程度予想していたのだと思う。
学園に入学するとなれば、王都で暮らすことになり、両親とは離れ離れになる。
母さんの胸中は少し複雑そうだった。
今すぐ離れ離れになるわけではない、というと、母さんは笑みを浮かべた。
僕たちは一度宿に戻り、僕は推薦状を大切に鞄にしまった。
(あ、そういえば、黒い雷について聞きそびれたな...)
誰からも何も言われなかったので、恐らく白い光と同様、他の人には見えていなかっただろうあの黒い雷。
でも、多分あの時のバーモンの様子は見えている人のそれだった。
はあ、とため息が口からこぼれ出る。
(ま、いいか)
最も聞きたかった精霊使い云々に関しては聞けたのだ。
今はそれで満足することにしよう。
ふと、右目に手を当て心の中で念じてみる。
見えろ――。
すると、目の前に光の粒子が重なり合い、一条の光として中空を舞う光景が飛び込んでくる。
まるで鱗粉を振りまくように、周囲に光の粒子を振りまき、やがてまた吸収され、どこかへと飛んでいく。
(これが...精霊、なのだろうか)
その光景に圧倒され、見ているだけで頭痛がする。
眼に痛いような光ではなく、むしろ優しいぐらいなのだが、何せ情報量が多い。
僕はこれ以上見ていられず、見えなくなれと念じた。
普段通りの視界に戻ったことで、ふう、と一つ息をつく。
その時、階下から僕を呼ぶ声が聞こえた。
晩御飯には少し早いが、王都の見物も合わせてどこかに食べに行こうという話になったのだ。
僕の家族だけではなく、ケイやミーナ、アンリの家族も一緒に。
どうやら待たせてしまっているみたいだ。
早く降りよう。
子供の僕は手ぶらでいい。
何も持たずに扉を開き、一階の出入り口へと向かう。
そこには村から来たみんなが勢揃いしていた。
――アンリの一家を除いて。
僕は首を傾げ、父さんに尋ねる。
「アンリは?」
「うーん、それがな。アンリちゃんがなぜか塞ぎこんでるらしくて、外に出たがろうとしないんだと。何があったんだろうな...」
そこで僕は、教会での険しい顔をしたアンリを思い出した。
「父さん、ちょっとアンリのところに行ってくるよ」
「え、ルジー!?おい!」
父さんの返事を待たずに、僕は降りてきた階段を駆け上がる。
アンリの部屋の前には、アンリの両親が困り顔で立ち尽くしているのが見えた。
「...ロンドさん」
アンリの父親、ロンドに声をかけた。
恰幅のいい身体に、いつもは柔らかな表情を浮かべている顔が、しょんぼりと歪んでいる。
「おお、ルジー君か。ごめんね、待たせちゃって」
「いや、それは大丈夫です。いったい何が...」
「なんだかね、アンリがショックを受けているみたいで...ご飯を食べに行こうと誘ったんだけど、私は行かない、二人だけで行ってきてって追い出されちゃったんだよ」
「......」
やっぱり、何かあったんだな。
バーモンと話をするまでは、普通だった...と思う。
そこで何か言われたのか。
「...アンリ?」
コンコンとノックをして、呼びかけてみる。
返事はない。
そこまで扉は厚くないから、聞こえてはいるはずだ。
ロンドたちの方を振り返る。
悲しそうな顔で首を横に振っていた。
「アンリ、入るぞ?」
またもや返事がない。
もし入ってはダメだったら、何か言うだろう。
沈黙は肯定ととらえることにする。
ゆっくりと、僕は扉を開ける。
さび付いた蝶番の音が室内にこだました。
「...アンリ」
一瞬、誰もいないと思った室内だったが、ベッドの一つが不自然に盛り上がっているのを見つけた。
どうやら、頭まですっぽりと布団で覆い隠しているらしい。
そのわかりやすい様子に、思わず苦笑が漏れた。
「...何があったんだ?」
僕はベッド近くの丸椅子に腰かける。
物音に反応したのか、布団の隙間から、綺麗なルビー色の瞳が覗いた。
そしてぽつぽつと話し始めた。
「私...私はね、将来は剣士になって、お父さんにお母さん、それにルジー、村のみんなを守るのが夢だったの」
「...うん」
「ずっと村にいて、仲良しのみんなと笑いながら暮らしていけたらどんなに素敵かなって、そう思ってた」
「...うん」
「ルジーはせっかく才能あるのに、剣の修業さぼってばっかりで...私はルジーと一緒に村のみんなを守りたいと思ってたから、ちょっとムカついてたけど」
「......」
「でも、ルジーはルジーで頑張ってた。私の見えないところで、ちゃんと。私よりもずっと...強くなってた」
アンリは、溢れる言葉をそのまま吐き出すかのように話し続ける。
それは、アンリという少女の紛れもない本心だった。
「バーモンさんにね、教会で言われたの。私の力は世界のために役立てないといけない。今から、教会に所属して力の扱い方、知識、いろんなことを学ばないといけないって」
「...え、それって」
ふっと、目の前の少女の存在感が薄くなったように感じられた。
アンリは確かにそこにいるというのに。
「私、村には帰れないみたい。これからは王都で暮らさないといけない...みたい」
その時、バーモンが言っていた強い力には大きな責任が伴う、という言葉が脳裏をよぎった。
僕は、目の前の少女になんと言葉をかければいいかわからなかった。
才能がありすぎるが故に、そのささやかな夢が奪われようとしている女の子。
頑張れ、と無慈悲な言葉を投げかければいいのか?
逃げよう、と無責任な優しさを見せればいいのか?
どちらも違う気がした。
それに――、
「手紙、書くよ」
「...え?」
「アンリに、手紙書くよ。毎日」
「ルジー...」
そこで初めて、アンリは布団から顔を出した。
目尻が赤くなっていて、目の下には涙の跡がくっきり残っている。
どうやら、泣いていたらしい。
今はその目を驚きで見開いている。
きっと、アンリはもう選んでる。
自分が進むべき道を、とっくに。
アンリは強いから。
僕なんかよりよっぽど。
だから僕にできることは、その背中を押すことだけだ。
じっと、アンリの目を見つめ返していると、アンリはその相好を崩し、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「やっぱり、ルジーには敵わないね」
「当たり前だろ、何年一緒にいると思ってるんだ」
ふふ、と自然に笑うアンリを、随分久しぶりに見た気がした。
「手紙、待ってる」
「...ああ」
「ルジーが村に帰ったら、次に会うのは六年後ね」
「...そうだな、それまでにもっと強くなってる」
「あら、私も負けないわよ」
自然と笑みがこぼれた。
お互い何となく拳を突き出すと、コツンと当てる。
昔、父さん達がやっているのに憧れて、僕とアンリも真似してやるようになった。
なんだか気恥ずかしさで、頬が赤くなっている気がする。
よく見るとアンリも。
窓から差し込む夕焼けのせいだと思いたい。
「それじゃあ、行こう。みんな待ってる」
「...うん!」
そう言って満面の笑みを浮かべた少女は、今までで一番、輝いて見えた。
プロローグ終了です!