天恵の儀
宿がある南側の商業区エリアから、教会がある西側の施設区に僕たち一行は向かっていた。
王都イグナスを俯瞰してみると、全体像としては綺麗な円形をしている。
各門から中央に向かって伸びる大きな道があり、また、貴族区を除く全てのエリアを通る円形の道が、外壁のすぐ内側と中央に引かれている。
この五本の道が主道路で、基本的にこれらの道を使っておけば迷わない。
僕たちも例に漏れず、主道路を利用して隣の施設区へと向かっていた。
人波に流されるように歩を進めていると、次第に商人や客の喧騒はなくなっていき、次第にカーンカーンと、鉄を打つような音が聞こえてきた。
「ねぇ、ルジーあれ……もしかして」
「ああ、鍛冶屋だな」
「わぁぁ、行きたいなぁ」
剣大好きっ子のアンリが、僕の袖を引っ張りながら目を輝かせている。
女の子が喜ぶようなポイントではない気がするが、アンリは少し変わっているので今更驚きはなかった。
僕の印象では、鍛冶屋といえば大きな竈門のような形をして煙突から煙が出ているようなイメージをしていたのだが、その建物は良くも悪くも普通の木製の建物といった感じで、扉の上にぶら下がっている剣と盾のレリーフが入った看板がなければ、鍛冶屋とわからないかもしれない。
「教会での用事が済めば、行けるんじゃないか?数日間はここにいるだろうし」
「え、そうかな!?……えへへ、楽しみ」
僕の言葉にパッとこちらを振り向いたアンリは、緩んだ笑みを浮かべる。
その可愛らしい様子に、僕の心臓は……特に高鳴りを見せることもなく、静かなものだった。
僕に敵意を抱いていたことも、今は忘れているようだ。
(まだ九歳だしな……目鼻立ちは整ってると思うし、数年後は美少女になってそうではあるけど)
まあその本性は剣の訓練に明け暮れてて全く可愛くないが。
(まあ、訓練でマメだらけになっている手は……その、ちょっと格好いいとは思うけど)
そこまで思考を巡らせたところで、僕は何考えてんだと思考を振り払うように自分の髪をぐしゃっと撫でた。
「それにしても、ごつい装備をした人が多くなってきたな」
商業区では動きやすさを意識した軽装の人が多かったが、今は周囲を見るとゴツゴツとした鎧や、身の丈ほどもある剣、今の自分では持ち上げることさえできず押しつぶされてしまいそうな程重そうな盾を背中に背負った、人たちの姿が目立ってきた。
──冒険者だ。
モンスターの討伐を生業とした戦闘集団。
命を賭けているだけあって、かなり実入りがいいらしい。
戦闘系の天恵を得た者は、一攫千金を目指して冒険者になる者も少なくないそうだ。
国が抱える騎士団だけではとても手が回らないため、国からの援助も手厚いらしい。
僕の将来の選択肢として、冒険者は一つの候補だった。
「うわぁ、すっごい大きな剣……あんなの私にはとてもじゃないけど振れないわ……」
今し方すれ違った男の大剣を、アンリは食い入るように見つめていた。
そのまま立ち止まってしまいそうな勢いだったので、アンリの手を引く。
ああ……と残念そうな声を、アンリは上げた。
「王都にいればいつでも見られるさ。それよりも今は【天恵の儀】だろ?」
「そ、そうね……いい天恵を貰わないと……やっぱり、理想は剣豪かしら……、ど、どうしよう剣聖なんて出ちゃったら!ねぇ、どうするルジー!?」
「まだ、剣聖のけの字すら出てないから落ち着け」
興奮したように捲し立てるアンリの頭に、僕はチョップをする。
あう…とアンリは可愛い悲鳴をあげた。
これなら、剣に見惚れている方がよっぽど健全だったかもしれない。
(アンリも不安なんだろうな。周りの物に目がいってしまうのは、恐らく不安を誤魔化したいのだろう)
【天恵の儀】の話題を出したことについて、アンリに若干の申し訳なさを感じた僕は、他に話題になりそうなものはないかと周囲を見渡した。
(あ、あれは)
金色の龍の首に剣を突き刺したようなレリーフ。
それは、冒険者ギルドだった。
数百年前、創設者が龍殺しという異名を持っていたことがモデルらしい。
十分話題のタネになりそうだ。
僕は、少し前を歩く背中に声をかけた。
「父さん、父さんは前まで冒険者だったんだよね?寄らなくていいの?」
「ん?ああ……そうだな、もう少しここに入る予定だし、後で行ってこようかな」
「私も、行きたいです!」
僕の目論見通り、アンリが話題に食いついた。
「僕も行きたい。……そう言えば、父さんの冒険者時代の話ってあんまり聞いたことないかも。聞かせてよ」
僕がそう言うと、隣のアンリがキラキラと目を輝かせてコクコクと頷く。
初めは困ったような顔を浮かべた父さんだったが、アンリの様子を見て断れないと思ったのか、冒険者時代の思い出話を話してくれた。
アンリが話に夢中になるのを確認し、僕はそっと安堵の息を吐いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そこは、荘厳な雰囲気を纏った場所だった。
敷地内に足を踏み入れると、両サイドには祈るように手を組んだ天使の像がずらりと並んでおり、教会の入り口がとても遠くにあるような錯覚を覚えた。
「こっちだ」
父さんが皆を先導する。
そして扉までたどり着くと、扉前にいた男性に来訪の理由を告げる。
その男性は、くるぶし辺りまでを隠すような黒い長衣を着ていた。
地球でいうスータンを想像して貰えばいいかもしれない。
そういった服装をしているということは、おそらく聖職者なのだろう。
父さんの話をニコリとした笑みを浮かべて聞いていた男は、話を聞き終わった後一つ頷くと、こちらに視線を向けた。
「皆さん、初めまして。私は司祭のバーモンと申します。【天恵の儀】ですね、こちらはどうぞ」
そう言って頭を下げられたので、僕もぺこりとお辞儀を返す。
それを見て笑みを深めたバーモンは、扉を開けてついてくるように僕らを促した。
扉を開けると大きな広間だった。
床にはふかふかとした絨毯が引かれ、中央を赤いカーペットが縦断している。
壁面には神秘的な絵画が飾られていた。
雲間から差し込む光と共に空を舞う天使や、膝をついている人に手を差し伸べる女性など。
物珍しいのか、僕ら子供だけでなく大人達もキョロキョロと辺りを見渡していた。
しかし、一番目を引く存在はあれだろう。
中央に鎮座する一つの石像。
身長の三倍以上の大きさを誇るそれは、羽衣を着た女性のようだった。
目の前に立つ僕に対して手を差し伸べるように、両の手を差し出している。
よく見ると、石像の前にはパネルが設置してあり、文字が刻まれている。
──女神 エラリア──
どうやら、この像が女神を模した物であるらしい。
その石像の持つ神秘さを見ると、確かに女神と言われても納得してしまう。
「驚きましたか?」
突如横から声をかけられて、ビクッとしてしまう。
視線を向けると、バーモンが石像に目をやりながら横に立っていた。
「は、はい。こんなに大きなものは見たことがなかったので……」
「ふふ、そうですか」
石像に目を戻し、僕が当たり障りのない返事をすると、バーモンは微笑みを返した。
「もしかしたら、これから何度も目にすることになるかもしれませんよ?」
「……え?」
突然そんなことを言われ、パッとバーモンの方を見る。
(なんだ、どういう意味だ?)
思わず聞き返すが、バーモンは、「変なことを言いましたね、すみません」と言い、こちらです、と案内を再開するように先頭へ行ってしまった。
(なんなんだ、一体……)
なんだかモヤモヤときた気持ちのまま、僕達はバーモンについて行った。
やがて、いくつかある扉の一つに入るよう僕たちはバーマンに促される。
扉をくぐると、壁際を埋めるようにソファが並べられているのが目に入った。
その他には、中央に一つのテーブルと向かい合うように椅子が二つ。
そして、テーブルの上には球状の何かが置かれていた。
(水晶……か?)
それはよく占い師なんかが使っていそうな水晶だった。
【天恵の儀】ではあれを使うのだろうか?
「皆さん、どうぞソファに腰掛けてください。今から【天恵の儀】を始めます」
簡単に説明しますね、とバーマンは前置きをし、口を動かす。
「一人ずつお呼びしますので、名前が呼ばれたら真ん中の椅子に座ってください。そして、僕が「触れてください」と言ったら、テーブルに置いてある丸い物に触れてください。【天恵の儀】はそれで終了です。ここまでで、何か質問はありますか?」
誰からも声は上がらない。
簡単な内容なので、皆特に質問することはないようだった。
(思っていたよりも簡単なんだな、【天恵の儀】って)
儀式だなんて言うから身構えていたが、肩透かしを喰らった気分だ。
まあ、難しいよりはよっぽど良いけど。
「では、名前をお呼びしますね。ミーナさん、こちらへ」
「ひゃいッ!」
手元にある紙をパラパラとめくり、バーモンがミーナの名前を呼ぶと、緊張からかミーナの返事が裏返る。
(無理もない……雰囲気が雰囲気だしな)
チラリと横を見ると、ミーナの両親は祈るように手を組み目を瞑っていた。
手と足が一緒に出るような変な歩き方になっているミーナが、それでもなんとか椅子まで辿り着き腰掛ける。
「では、行きますよ」
ミーナが着席したことを確認し、バーモンが水晶に触れる。
すると、ぽわーっと薄く白い光が水晶を包み始める。
(あれはなんだ?)
初めて見る現象に僕は目を凝らすが、よくわからない。
あとでバーモンに聞いてみようか。
そのまま僕は観察を続ける。
水晶全体が白い光に覆われたとき、バーモンが再び口を開いた。
「触れてください」
「……」
ミーナはごくりと生唾を飲み込むと、恐る恐るといった様子で水晶に手を伸ばした。
水晶に触れた瞬間、先ほどまで水晶を覆っていた白い光がミーナの腕を伝うように動き始めた。
(何が起きてる?)
ミーナはじっと動かず、水晶を睨め付けるように見つめている。
あんな得体の知れない光に覆われたら思わず反応してしまいそうだが、ミーナに特に動きはない。
(見えてないのか?)
やがて、水晶と同じくミーナの全身を光が覆い尽くしたところで、離していいですよ、とバーモンがミーナに声をかけた。
「け、結果は!?」
水晶からパッと手を離し、テーブルに身を乗り出すようにミーナはバーモンに問いかける。
それに対してバーモンは視線を下げ、水晶を呼び出した。
「これに、貴方の天恵が示されているはずです。確認してください」
「……えっと、料理人……?」
「そのようですね、貴方の天恵は……料理人です」
「え、嘘!やった!」
その言葉を聞いた瞬間、ミーナは跳ねるように立ち上がり、両親の元へとかけていった。
実は、ミーナの夢は大きな街で大きなレストランを開くことだった。
そんな彼女によって、料理人というのは願ってもない結果だろう。
「それでは次、ケイさん、こちらはどうぞ」
喜ぶミーナ達だったが、バーマンの言葉を聞いて静まり返る。
ケイや僕、アンリの結果がまだわからないことを思うと、自分のことで喜ぶのが憚られたのだ。
緊張した面持ちで、ケイは椅子に座る。
そこからの流れは先ほどと同様だ。
新たに生まれた光が、水晶、そしてケイの体を包み込んでゆく。
バーモンに促され、ケイが水晶を確認した。
「弓使い、かぁ……」
結果を見たケイは、少し微妙な表情を浮かべた。
ケイは将来冒険者になりたいと思っていたので、戦闘系の天恵が出て良かったと思う反面、モンスターとは剣で戦うつもりでいたため、弓を使うことに対して少し抵抗を感じたからだ。
そんなケイに対して、バーモンがフォローを入れる。
「悲しむ必要は全くありませんよ、ケイさん。女神エラリア様が、貴方が最も幸せになれる道が弓使いであると教えてくれているのですから。この道を進むことで、君は大きく成長できると思いますよ」
「……うん、わかりました。ありがとうございます!」
ぺこりとケイはお辞儀をして、ミーナと両親の元へと向かった。
その顔には笑顔も見られ、自分の中で納得することができたようだった。
「それでは次。アンリエッタさん、こちらへ」
アンリの顔にもやはり、前二人と同様、顔には緊張が色濃く浮かんでいた。
しかし、日頃から剣を振っているからか、背筋は伸び、確かな足取りで椅子に座る。
そしてアンリの体が光に包まれ──
(なんだ、光の量が……ッ!?)
光がアンリに触れた瞬間、輝きがどんどん増し始めた。
やがて見ていられないほどの眩しさになり、思わず手で目を覆う。
周囲の様子を横目で確認すると、誰一人として自分のように眩しさを感じていそうな人はおらず、皆しっかり目を開けていた。
(やっぱり俺しか見えていない……?何なんだよこの光は!)
次第に輝きが薄れていくのを感じ、内心ホッとする。
あのままだったらとても儀式なんてできなかった。
完全に光が落ち着くと、バーモンがアンリに声をかける。
「聖騎士……」
その言葉を聞き、今までニコリとした笑顔を崩さなかったバーモンの顔が驚愕に彩られる。
──聖騎士。
別名、聖なる守護者と呼ばれていて、世界中で三人しか存在しない。
その全員が、教会内で教皇に次ぐ権力を持っている。
そして今、新たな聖騎士がここに誕生した。
「アンリエッタさん!おめでとうございます!貴方は……いえ、貴方様は新たなこの世界の希望となられました!後でお話がありますので、【天恵の儀】の後、少しお時間をいただけますでしょうか」
「え、あ、はい。大丈夫……です」
態度が急変したバーモンの様子に驚いたのか、戸惑ったようにアンリは頷いた。
その様子を見て、バーモンは自身が興奮していることに気づいたのか、ごほんとひとつ咳払いをする。
「失礼しました。アンリエッタさんの【天恵の儀】はこれで終わりです。ご両親のところに行って大丈夫ですよ」
「はい!」
(まさか、アンリがそんなにすごいとは)
多分、今日中には王都中でニュースになる。
新たな聖騎士が誕生したと。
それがわかっているのかいないのか。
アンリも、アンリの両親もどこか呆然とし少し間抜けな顔をしていた。
その様子が少し可笑しく、ふっと軽い笑みが自分の口から漏れた。
(さて……)
視線を戻すと、バーモンと目が合った。
バーモンはニコリとした笑みを浮かべる。
「それでは最後ですね。ルージュくん、こちらへ」
親をはじめ、様々な人からルジーと普段呼ばれているため、本名で呼ばれることに少し違和感を感じた。
はい、と返事をして椅子に着席する。
やはり、水晶を光が包み込んでいく。
先ほどの眩しさもあり、今はなんだか、この光が薄気味悪いものに感じていた。
「触れてください」
僕はバーモンの言葉に従い、水晶に手を当てる。
熱くも冷たくもない不思議な感覚。
光が腕を這い上がってくる。
ぬるりとした何かに腕を舐めまわされているような怖気を感じた。
(気持ち悪い……)
やがて光は首に達し、全身に広がっていく。
それはまるで、大量の蛞蝓に全身を這い回られているかのようだった。
(ダメだ、我慢できないッ!)
思わず水晶から手を離そうとするが、何かに絡め取られているように手が離れない。
それでも無理やり引き剥がそうとすると、バチバチッという音を立てて、黒い雷のようなものが僕の全身から溢れ出した。
それは白い光とぶつかり拮抗する。
まるで争っているかのように。
「ぐ……ッ!?」
刺すような痛みが頭に走る。
キィーンという耳鳴りまでし始めた。
もうどうしたら良いのかわからない。
そんな混乱の渦中にいる僕を救ってくれたのは、バーモンだった。
(落ち着いて。深呼吸して下さい。……そう、そうです。もう手を離して大丈夫ですよ)
藁にもすがる思いで言われた通りにする。
深呼吸すると、スゥーッと頭痛が治っていき、気がつけば白い光も黒い雷も綺麗さっぱり消え去っていた。
「はぁはぁ……はぁ」
いつの間にか荒くなっていた呼吸を落ち着かせると、水晶を覗き込む。
しかし、何も書かれていない。
(……これは不味いんじゃないのか?)
と、内心焦っていると、
これはサービスですよ、と小さめの声でバーモンが呟き、最初をつるりと一撫でする。
すると、そこに文字が浮かび上がってきた。
「精霊使い……」
精霊使いというのは、精霊と呼ばれる存在を使役して、様々な超常現象を起こす存在を指す。
かなり希少な天恵で、詳しい数は不明だが、聖騎士と同様片手で数えられるほどしかいないと言われている。
つまり、かなりの当たりくじだ。
──この結果が事実であれば、だが。
精霊は精霊使いにしか見えないというが、僕には精霊なんて見えたことがない。
この結果がとても真実だとは思えなかった。
それに僕の魔法は、精霊を介したものではない。
僕は何か言いたげな目をしていたのだろう。
バーモンは苦笑し、またまた控えめな声で、後でお話ししましょう、と言われた。
そして両親の元へ行くよう手で僕を促す。
僕は頷き、椅子から立ち上がる。
そして両親のところへ戻ろうと一歩踏み出したところで、振り返った。
「ありがとうございました」
多分、僕はこの人に助けられた。
結局何が何だかあまりわかっていないけれど。
そんな僕の気持ちが伝わったのか、バーモンは一瞬ほんの少し目を見開くと、やはりニコリとした笑みを浮かべた。